匠雅音の家族についてのブックレビュー    日本奥地紀行|イザベラ・バード

日本奥地紀行 お奨め度:

著者:イザベラ・バード−−平凡社、2000年 ¥1、500−

著者の略歴:イザベラ・バ−ド(1831−1904)イギリス生まれ。病弱な幼少期を経て、23歳のとき、医者に航海をすすめられ、アメリカとカナダを訪れる。2年後、初の旅行記「英国女性のみたアメリカ」を出版。40歳を過ぎてから本格的な旅行を始め、オーストラリア、日本、マレー半島、チベット、朝鮮などをはじめ,生涯の大半を旅に終えた。おもな著書に、「朝鮮奥地紀行」(平凡社東洋文庫)、「ロッキー山脈踏破行」(平凡社ライブラリー)などがある. 
 本書は1878年つまり明治11年に、わが国の東北地方と北海道を訪れたイギリス女性の紀行文である。
明治の初期に、わが国に来日した女性はきわめて少ない。
しかも、東北地方と北海道へ旅行した女性はいない。
彼女が始めてであり、アイヌ人との接触は外国人としては最も早い部類であろう。
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 筆者はイギリス人だが、世界各地を旅しているだけで、特別な学者でもなければ研究者でもない。
そうでありながら、彼女の観察眼は鋭く、しばし感嘆させられる。
当時の文明国のイギリスから未文明国の日本へ来たのだから、偏見を持った目であることは否めない。
しかし今から見ると、事実と彼女の偏見がはっきりと判るので、偏見の部分は無視して読めばいい。
すると、いろいろと教えられる。
私も海外を旅するが、文明の違いに新鮮な驚きをもちつつ、彼女程度には観察したいものである。

 明治11年は、すでに近代化が始まっているとはいえ、東北や北海道にはその波はまだ到達していない。
そのため、前近代の生活様式がそのまま観察されている。
それは私のアジア旅行での感想と共通する点が多く、わが国の前近代が他のアジア諸国と同じだったことを示している。
そうした意味でも、本書をとても興味深く読んだ。

 まず、多くの日本人が皮膚病や眼病・腫瘍をもっていること。
これも現在のアジア諸国の山間部と同じ。
石鹸がないために身体を清潔に保てない。
身体を清潔に保つということは、まさに近代の思想である。
前近代人は現在のように気軽に風呂に入れなかった。
衛生観念の普及が、平均寿命の伸長や幼稚死亡率の低下を招いたのである。
当時の家には蚤や虱がたくさんいる記述が続き、今日から見ればいかに非衛生的だったか想像がつく。
近頃都会では蠅を見なくなったが、害虫が撲滅されたのもそんなに昔のことではない。
蚤や虱の撲滅は、アジアでは今でも同時進行の話である。

 一般には文字に書かれた記録から、過去の生活を復元することが多い。
たとえば、一軒の家族構成員の数は、宗門人別長から推測される。
それによれば、江戸時代にはすでに5〜7人程度で、核家族化が始まっているとされる。
しかし、本書には次のような記述がある。

 日本では、戸数から人口を堆定するには、戸数を五倍するのがふつうである。ところが私は、好奇心から、沼の部落を歩きまわり、すべての日本の家屋の入口にかけてある名札を伊藤に訳させた。そして、家に住む人の名前と数、性別を調べたところが、24軒の家に307人も住んでいたのである。ある家には4家族も同居していた。P205

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 これをどう理解すべきなのだろうか。
307人を24軒で割れば、約12.8人である。
一軒の家に13人近くが同居していたのだろうか。
それとも人別帳は、家族単位であって、同居単位ではなかったのであろうか。
もし、真相がこんな大家族だとしたら、現在の家族論の根拠を再検討してみる必要がある。

 今日では評判の悪い警官だが、その出自は武士である。
出所は不明だが、警官に関して次のように言う。

 日本の警察は全部合わせると、働き盛りの教育ある男子23、300人を数える。(中略)そのうち5、600人が江戸(東京) に駐在し、必要あるときはすぐ各地に派遣される。京都に1、004人、大阪に815人、残りの1万人は全国に散らばっている。P259

 当時のわが国の人口は約3千万人だったから、23,500人という数字はきわめて少ない。
軍隊を別にすれば、これで治安が維持できたのであろう。
この数字から江戸時代の平和さを連想するのは間違いだろうか。
本書の文中には、武士だった人間と平民の違いがさかんに登場する。
武士は体格も良く人品賤しからぬ面構えであるのにたいして、庶民はそうではないという。
身長が5尺程度しかなく、アイヌ人と比べて内地人を次のように書く。

 日本人の黄色い皮膚、馬のような硬い髪、弱々しい瞼、細長い眼、尻下がりの眉毛、平べったい鼻、凹んだ胸、蒙古系の頼が出た顔形、ちっぼけな体格、男たちのよろよろした歩きぶり、女たちのよちよちした歩きぶりなど、一般に日本人の姿を見て感じるのは堕落しているという印象である。P405

 支配階級と被支配階級の体躯の違いは、イギリス人を例に良く語られるが、
わが国でも同様だったのではないか。
身分制の確立した社会では、体格が違うと考えるべきだろう。
それゆえに支配のための暴力装置は小さくてすむのではないか。
庶民の自立とともに、権利意識が芽生え体格が同等になるので、治安部隊が肥大化するように思う。

 学者たちの調べるものは、本当に社会の真相に迫っているのだろうか。
ごく一部をとりだして、当時の社会を現在と比べているのではないだろうか。
本書を読むと、歴史の見方を変えなさい、と言われている感じがする。 
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参考:
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永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
増川宏一「碁打ち・将棋指しの誕生」平凡社、1996
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青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
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G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
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石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
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小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
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フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
北見昌朗「製造業崩壊」東洋経済新報社、2006
小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000
松本昭夫「精神病棟の20年」新潮文庫、2001
斉藤茂太「精神科の待合室」中公文庫、1978
ハンス・アイゼンク 「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
吉田おさみ「「精神障害者」の解放と連帯」新泉社、1983
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三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992

赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972


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