匠雅音の家族についてのブックレビュー    変貌する中国の家族−血統社会の人間関係|潘允康

変貌する中国の家族
血統社会の人間関係
お奨度:

著者:潘允康(パン ユンカン)  岩波書店、1994年   ¥2000−

著者の略歴−1946年生、天津社会科学院社会学研究所所長、天津市婚姻家庭研究会副会長。「中国城市家庭」共著、1985年、山東人民出版社、「家庭社会学」1986年、重慶出版社、「生活方式」共著、1986年、人民出版社、「中国城市婚姻与家庭」編、1987年、山東人民出版社、「中国婚姻家庭研究」共著、1987年、社会科学文献出版社、「当代中国農村家庭」共著、1993年、社会科学文献出版社、「当代中国家庭大変動」共著、1994年、広東人民出版社
 急速に近代が進む中国だが、家族もまた近代化の影響を受けている。
前近代から近代へを今通過している中国は、
わが国が何十年か前に経験したのと、まったく同じ体験をしている。
本書の見返しには、次のように書かれているが、わが国でも同じだったのだろう。
近代への道程は、辛く厳しいものである。
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変貌する中国の家族

官僚組織や企業を侵食するネポティズム(身びいき)
後をたたない売買婚、重婚、蓄妾
急増する性犯罪、氾濫する地下ポルノ、男児ほしさの女児遺棄
厳しい人口計画ゆえの出生性比のアンバランス
急速に進む核家族化に追いつかない高齢者福祉
−経済の活性化にともなう生活水準の向上とは裏腹に
消滅したはずの旧時代の悪弊が蔓延する現代中国
この腐敗と不正の温床には、中国社会を支えてきた血統主義がある
中国気鋭の家族社会学者が、豊富な家族調査のデータと
報道された興味深い事例をふまえ、新しさと古さが入り混じって
変わりゆく中国の家族の実像に迫る


 工業社会まで、個人は直接に社会と対面するわけではない。
個人なる概念がない前近代ではなおさら、家族の役割が大きい。
個人は家族の一員としてのみ、かろうじて生活が成り立つのが前近代である。
前近代の家族は生産組織でもあり、それゆえの規定性を個人に強いてきた。
つまり家を守るために、個人の望みは犠牲にされたのだ。

 しかし、前近代にあって、家の生産力をこえて個人が希望を貫いたら、おそらく家の全員が生きていけなかっただろう。
生産力が低いということは、人間に自分勝手は許さない。
近代の暁光が見え始めると、いいかえると生産力が向上し始めると、
個人は自分の願望を実現すべく動き始める。
それは古き良き秩序の崩壊となって現出する。

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 実際「家族の危機」は、「離婿率の大幅な上昇」、「核家族化」、「女性を世帯主とする家族の増加」、「未婿の母や同棲者の増大」、「私生児の増大」、「扶養を受けられない老人の増加」、「子供の面倒を見る人の減少」、「主婦の突然の家出」、「夫婦喧嘩のエスカレート」、「親子関係の希薄化」、「独身世帯の増加」、「出生率の低下」、「一時的な同棲や短期同居の出現」、「家庭内暴力や自殺の増加」として、具体的に指摘されてきた。ともあれ、洋の東西を問わず、「先進国」から「途上国」にいたるまで、「家族の危機」という「暗雲」が垂れ込めているのは確かである。P5

 中国でも家族が変化し初めているではあろうが、
初期工業社会の段階にある中国では、先進国のそれとは似て非なるものである。
筆者は上記のように書きながら、大家族の崩壊を嘆いている様子が感じられる。
しかし、情報社会に入ろうとする先進国では、
今や大家族はまったくあり得ず、核家族ですら崩壊させようとしている。
私などは、核家族であり続けることは、悲劇のもとだと思っている。

 時代は確実に中国をおそっている。
農耕社会といった前近代から、工業社会という近代へと転じるのは不可避である。
先進国の事情をしっているがゆえに、
先進国の男女関係を羨望のまなざしで見つめる筆者は、愛情こそ大切だという。

しかし、前近代にあっては愛情が、男女間を取り結ぶのではない。

 儒教の伝統によれば、結婚は双方の宗族の問題であり、男女個人の問題ではないとされている。それゆえ、礼儀に則って「婦」になる儀式は、「妻」になる儀式より重視されてきた。
 (中略)結婚は、男女個人が正式に結びつくだけではなく、実際には二つの宗族が結びつくために必要なプロセスでもあった。換言すれは、男子は自分のために妻をめとるのではなく、宗族のために婦をめとるのであり、また女子は、自分のために実に嫁ぐのではなく、夫側の宗族の婦として嫁いできたのである。P53


 こうした事情は、何も中国に限ったことではない。
わが国だって同じだったし、ヨーロッパだって同じだった。
土地が人間の生き方を規定している前近代では、愛情などというものでは生活が成り立たなかった。
結婚は個人のためにではなく、生産組織たる家のためにするものだった。
だから女性のみならず男性も、結婚制度に縛られていた。
近代的な愛情にめざめた筆者の嘆きがよくわかるだけに、近代というのは残酷なものであると思う。
かつ、近代が終わるのも、また残酷である。

 時代に翻弄される人間たちの様子は、悲喜劇を生む。
神を裏切った罰としてこれからも、人間たちは苦しい思いをどっしりと背負わされるであろう。
しかし、私は神に負けるほど、人間はヤワではないことを信じている。
(2002.10.4)
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参考:
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香山リカ「結婚がこわい」講談社、2005
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ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河出書房新社、2004
川村邦光「性家族の誕生」ちくま学芸文庫、2004
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001
菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」すばる舎、2005
原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003
A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998
ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001
中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005
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松原惇子「ひとり家族」文春文庫、1993
森永卓郎「<非婚>のすすめ」講談社現代新書、1997
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伊田広行「シングル単位の社会論」世界思想社、1998
斎藤学「「夫婦」という幻想」祥伝社新書、2009
清水美和「中国農民の反乱 昇竜のアキレス腱」講談社、2002
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