匠雅音の家族についてのブックレビュー   中国農民の反乱−昇竜のアキレス腱:隠された反日の温床|清水美和

中国農民の反乱
昇竜のアキレス腱:隠された反日の温床
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編著者:清水美和(しみず よしかず)講談社、2002年  ¥1、700−

著者の略歴−1953年愛知県名古屋市に生まれる。77年京 都大学経済学部を卒業後、中日新聞社(東京新聞)に入社。三重総局、東京本社社会部、特別報道部 を経て87年、北京語言学院(現・北京語言文化大学)で中国語研修。89年より香港特派員、北京特派員、米コロ ンビア大学東アジア研究センター客員研究員などを経て99年、中国総局長に。2002年より東京新聞編集局 編集委員(国際)。中国特派員10年の経歴を生かし、政治、外交を中心に現代中国に切り込む報道、評論活動を展開じている。
 情報が公開されにくい中国の農村部について、相当に踏み込んだ報告なのだろう。
都市と農村の所得格差は3:1にまで広がっており、中国が近々わが国を追い越すとか、
21世紀は中国の時代といわれるなかで、農村問題は中国のアキレス腱だという。
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 土地という不動のものを労働対象にしているかぎり、
人々は物質的には貧しくとも、安定した生活が用意されていた。
土地の生産性の範囲内であれば、人々は日々平安に暮らすことができる。
農耕社会という安定した社会から、工業を中心とした社会へと転じることは、社会が不安定になることである。
中南米や中近東諸国が、いまだに前近代にいるなかで、
前近代から近代へと、中国は今、大変革をとげつつあることは間違いない。

 近代の予兆は、農民の都市への流入である。
西洋諸国においても、農村部の生産性が上がり、余剰労働者となった農民は、都市へと流れ込んだ。
そのため都市の秩序が乱れた。
18世紀のロンドンの非衛生ぶりは、つとに有名である。
わが国も例外ではなかった。
東京4大スラムといわれた地区での生活は、猖獗をきわめたと記されている。
現在近代化が進行中の、アジア諸国のスラム街の状況は周知であろう。

 中国は、共産党政権が人口移動を強権的に禁止していたので、
農民の都市流入はなかなか始まらなかった。
しかし、1980年代になって、近代化が本格化し始めると、都市への流入がはじまった。
そうした人々が<盲流>と呼ばれ、都市住民から嫌われたのは記憶に新しい。

 前近代は、身分制がはびこり、ワイロが不可欠の社会である。
それはわが国や中国を問わず、前近代に共通の特徴である。
前近代は身分制の上部にいる人には、きわめて有利だった。
しかし、近代に入ったからといって、人々の意識は簡単には変わるものではない。
かつての支配者に代わった共産党の幹部たちが、ワイロを要求し始めたのは当然の流れである。

 
農村では共産党幹部の腐敗が進み、国の定めた税金以外に、道の普請から学校の経費、家畜1頭1頭の処理にまで、さまざまな名目で農民に費用や手数料の負担を求める「乱収費」が横行している。こうした負担の重さに耐えかねて都市に出稼ぎに出ても、建国以来、都市と農村の住民を厳格に区別してきた戸籍制度の壁に阻まれ、条件のよい仕事には、ありつきにくく、子供に教育もうけさせられず、定住が難しいという状況に基本的には変わりはない。P4

 筆者は新聞記者らしく事実を集めることに執着しているが、
筆者の視点は事実の裏を流れる歴史には目が届いていない。
中国の農民が劣位に置かれ、都市住民との所得格差が拡大していることを、問題視している。
今日の人道主義的な視点からは、筆者の言うとおりだが、わが国の戦前を思い出して欲しい。
東北地方の貧困な農村問題から、2.26事件が起きたわけだし、
貧困克服のために戦争への道を走ったのである。

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 太平洋戦争のときには、わが国の農業就労人口は50%を切っておらず、
わが国の近代化は農村部の犠牲のうえに遂行された。
戦争に走ったことの是非を考慮の外においても、このあとの歴史は脱農業一直線だった。
現在では農業労働者は5%程度であり、アメリカのそれは3%を切っている。
いずれの国でも、農村部での人口圧が、近代化の原動力でもある。

 都市流入がおきるのは、農村部での労働生産性が上がったからであり、
完全な近代国家になると農産物の価格は下がる。
農村の分解が進まない中国の農産物は、当然のこととして高価であり、国際競争力がない。
ちなみに、わが国も近代化が不充分なので、農産物は高価である。

 中国産の農産物といえば、日本では輸入制限問題が起きたネギや生シイタケのように「安い」というイメージが先行しているが、実際には国際価格より高い農産物が多い。とくに基幹的な食糧(主食となる穀物)は国際市場の価格より高いものがほとんどだ。
 小麦は約15パーセント、トウモロコシは約65パーセント、コメは約25パーセント、それぞれ国際価格よりも高く、大豆、綿花、植物油なども国際価格を上回る。
 したがってWTO加盟によって米国やオーストラリア、欧州産などの安い農産物が輸入されれば、これらの食糧作物の生産に頼ってきた農家は深刻な打撃をうける。P248


 前近代であれば、社会変革の原動力は農民がもっていた。
農民の不満が王朝を転覆した。
しかし工業を知ってしまった近代では、
どんなに農民人口が多くても、農民は変革の原動力たり得ない。
工業の発生は身分制を崩壊させ、個人なる概念を、人々に教えてしまった。
個人なる概念を知ってしまうと、個人レベルで上昇志向=立身出世が可能になる。
そのため、工業を知ってしまった国では、階級闘争は個人へと分解し、農民革命は起きようがない。
労働集約的な農業は、もはや時代を担えない。

 筆者は悲惨な生活をおくる農民を救えとにおわすが、
農民を農業従事者のまま救うのは不可能だろう。
中国では、近代化に伴う陣痛がまだまだ続くだろうが、
その痛さが近代化を止めることはあり得ない。
現在のわが国の工業労働者が、割を食わされているように、
取り残される産業に従事するものは、いつも貧乏くじを引かされる運命にある。

 本書はよく調べて、曇りのない目で見ているが、歴史観がない。
そのため事実の後付に終始し、今後おきる中国の事件を、予測することはできないだろう。
歴史観をもたないままの記述は、残念ながら筆者だけのものではなく、
わが国の新聞記者や学者たちに共通の資質である。
(2002.10.4)
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参考:
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
六嶋由岐子「ロンドン骨董街の人びと」新潮文庫、2001
エヴァ・クルーズ「ファロスの王国 T・U」岩波書店、1989
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう:忘れられた生活様式」鹿島出版会、1985

高尾慶子「イギリス人はおかしい」文春文庫、2001
瀬川清子「食生活の歴史」講談社学術文庫、2001
西川恵「エリゼ宮の食卓 その饗宴と美食外交」新潮文庫、2001
アンソニー・ボーデン「キッチン・コンフィデンシャル」新潮社、2001
ジョン・ハワード「18世紀ヨーロッパ監獄事情」岩波文庫、1994
会田雄次「アーロン収容所」中公新書、1962
今一生「ゲストハウスに住もう!」晶文社、2004
レナード・ショッパ「「最後の社会主義国」日本の苦悩」毎日新聞社 2007
岩瀬達哉「新聞が面白くない理由」講談社文庫、1998
山本理顕「住居論」住まいの図書館出版局、1993
古島敏雄「台所用具の近代史」有斐閣、1996
久家義之「大使館なんかいらない」角川文庫、2001
田中琢&佐原真「発掘を科学する」岩波新書、1994
臼田昭「ピープス氏の秘められた日記」岩波新書、1982
パット・カリフィア他「ポルノと検閲」青弓社、2002

下川裕治「バンコクに惑う」双葉文庫、1994
清水美和「中国農民の反乱」講談社、2002  
編・暁冲「汚職大国・中国」文春文庫、2001
顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000
金素妍「金日成長寿研究所の秘密」文春文庫、2002
邱永漢「中国人の思想構造」中公文庫、2000
中島岳志「インドの時代」新潮文庫、2009
山際素男「不可触民」光文社、2000
潘允康「変貌する中国の家族」岩波書店、1994
須藤健一「母系社会の構造」紀伊国屋書店、1989
宮本常一「宮本常一アフリカ・アジアを歩く」岩波書店、2001
コリンヌ・ホフマン「マサイの恋人」講談社、2002
川田順造「無文字社会の歴史」岩波書店、1990
ジェーン・グドール「森の隣人」平凡社、1973
阿部謹也「ヨーロッパ中世の宇宙観」講談社学術文庫、1991
永松真紀「私の夫はマサイ戦士」新潮社、2006
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう:忘れられた生活様式」鹿島出版会、1985
瀬川清子「食生活の歴史」講談社学術文庫、2001
菊池勇夫「飢饉 飢えと食の日本史」集英社新書、2000
アンソニー・ボーデン「キッチン・コンフィデンシャル」新潮社、2001


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