著者の略歴− 1967年福岡県北九州市生まれ。多くのリピーターを抱えるプロ添乗員。96年より本格的にケニアに移住し、2005年4月、本物のマサイ戦士であるジャクソンさんと結婚、第二夫人となる。最近は、より深くアフリカを知るためのスタディツアーにも力を入れている。ウェブサイトはhttp://www.masailand.com 筆者は、海外旅行の添乗員を天与の職業としており、世界各地をまわった。 なかでも、彼女がひかれたのは、アフリカだった。 2人の男性と結婚・離婚したあと、とうとうマサイ戦士の第二夫人となってしまった。
当人たちの育ってきた文化が違うので、 国際結婚はむずかしいと言われる。 しかし、マサイと日本ほどに違ってしまうと、 互いの違いを認めざるをえないから、かえって上手くいくのかも知れない。 違いを認めあった国際結婚も、ここまでくると何とも言えなくなる。 筆者は、マサイの戦士ジャクソンに一目惚れした。 すると何と、相手からも見初められており、プロポーズされたのだ。 好意は人種など関係ない見本である。 恋愛は簡単だが、結婚して同居するのはむずかしい。 その困難を少しずつ、2人は乗り越えていく。 はた目から見ると、マサイ族は1夫多妻制をとり、 すでに第一夫人のいる男性の第二夫人となるのに、抵抗がなかったのだろうかと思う。 もともと私には、一夫多妻制に対する偏見はありませんでした。ただ、第二夫人になるということもぴんとこなかったし、その意味がよく分からなかったのも事実です。 しかし、彼女(第一夫人)の言葉から「一夫多妻制は家族が増えること、だから嬉しい」といったマサイの人々の素朴で純粋な広い心が読み取れ、一瞬で、その制度の意味を理解することができたのです。ひとりの尊敬する男性を複数の女性が支えていく。そんな家族の姿は素晴らしく、ごく自然の形に思えました。 しかも彼女は、「尊敬する夫が選んだ人なら間違いない」と自信を持って、日本人である私を第二夫人として認めてくれるのです。P114 彼女は結婚にあたって、「第三夫人をもらわない」 「女の子が生まれた場合、割礼は本人の意思に任す」、 そして一番重要な「仕事を続ける」ことの、3つの条件をだした。 文化的な相違があるとすれば、マサイにとってはどれも受けいれがたいものだろう。 しかし、ジャクソンは受けいれた。 マサイ族は他文化を認め、結婚相手の希望をかなえるのに抵抗がない。 これはジャクソンだけではないかも知れないが、彼はとりわけ寛容だった。 そして、彼は結婚後も誠実に対応している。 そのため、筆者はあいかわらず添乗員の仕事をつづけている。
ジャクソンの住むエナイボルクルムは、車で6時間もはなれている。 遠距離結婚生活は想像するだけでも大変だ。 しかし、筆者がエナイボルクルム村に、村民として定住しなかったのが、上手くいっている原因かも知れない。 どんな結婚にも、それを継続する上での困難はある。 2人で困難をのりこえるのは、どの結婚でも同じだろう。 本書を読むかぎり、2人はとてもよく協力しあっている。 ところで、男女関係といえば、ゲスな勘ぐりが働く。 西洋人のように濃厚なセックスを楽しみたいわけではないのですが、少なくともお互いが満足できる時間にしたい。セックスは愛情を確認し合う行為のはずなのに、マサイにとってのセックスには、その要素がありません。そもそもスキンシップのないマサイの愛情表現からすれば、当然のことかも知れません。 日常的なことであれば、私もまだ文化の違いとして受け止めることもできますが、セックスは重要な夫婦生活の一部と思っていただけに、マサイの文化だからと諦めたくはない。ジャクソンが自分勝手な人ならまだ責められますが、性文化の違いから起きるすれ違いだけに、どう説明していいのか悩んでしまいました。P158 初めての夜から1年9ヶ月をかけて、身体を触り合うスキンシップはコミュニケーションとして大切だということを訴え続け、何とかジャクソンも理解してくれるようになったのです。 おそらく人前で抱擁することは一生ないでしょうし、期待もしていないのですが、家の中では私が抱擁しても大丈夫になるまで進歩しました。しかし、スキンシップはいまだ慣れないようで、私の期待に応えるため、触る努力はしてくれるのですが、決して楽しいとは思っていないのです。 ある時、ぎこちないながらも彼の手が私の下半身にまで伸びた時、思い切って私も彼の股間に手を伸ばしてみたことがありました。するとびくっと腰が引けてしまったのです。そればかりか完全に萎えてしまったのです。これはショックでした。 マサイの中では女性に股間を触らせること、見せることはありえないらしいのです。私の行為が完全否定されたようにも思え、それからはむやみに触ることが怖くてできなくなってしまいました。P206 我が国において、いまやセックスの意味は、子供を作ることではない。 セックスは2人の関係を深めるためであり、 快楽のためであり、楽しみのためである。 だから、スキンシップに充分に時間をかけ、互いに性的な満足をえることが、 夫婦にとってかけがえのないことだ、と考えている。 しかし、結婚とは生活である。 生活である以上、生きることが優先する。 生きることとは、働くことであり、食べることである。 生活にセックスも含まれはするが、セックスの重要度は必ずしも上位にはない。 にもかかわらず、生活においてセックスを重要視することは、そのツケも返ってくる。 筆者は、マサイの淡泊なセックスと、西洋人の濃厚な愛情表現とをくらべて、次のように言っている。 男女関係の西洋化はジェラシーの西洋化に繋がる。P154 砂漠のように生きることが過酷な場所では、男性が少なくなるので1夫多妻もありうる。 そこでは近代人とは別の価値観が支配している。 1対1の男女関係を、当たり前だとする文化に住んでいると、 ジェラシーの西洋化に襲われても、それに気づかない。 本書を読むと、近代の意味を考えさせられる。 別の話だが、マサイの戦士ルケティンガを、夫にしたコリンヌ・ホフマンというスイス人は、 結婚生活が4年で破綻し、子供のナピライとともにスイスに帰る。 彼女は夫のルケティンガに、西欧的な愛情表現(と濃厚なセックス?)を要求しそれを獲得した。 その結果、彼に嫉妬心を教えてしまった。 彼の嫉妬心に悩んだあげく、とうとうスイスに帰らざるをえなくなった経緯を、コリンヌは「マサイの恋人」に書いている。 生きることが厳しい社会では、濃厚なセックスを楽しむことなどできない。 近代という豊かな社会になってはじめて、人間は濃厚なセックスを楽しめるようになった。 しかし、同時にそれは、独占欲という嫉妬心を生むという。 筆者の書いてくれたことが、我々の日常を見なおす良い機会になった。 (2007.12.25)
参考: コリンヌ・ホフマン「マサイの恋人」講談社 2002年 永松真紀「私の夫はマサイ戦士」新潮社 2006年 宮本常一「宮本常一アフリカ・アジアを歩く」岩波書店 杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980 アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000 石井光太「絶対貧困」光文社、2009 上原善広「被差別の食卓」新潮新書、2005 ジュリー・オオツカ「天皇が神だった頃」アーティストハウス、2002 G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001 G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000 六嶋由岐子「ロンドン骨董街の人びと」新潮文庫、2001 エヴァ・クルーズ「ファロスの王国 T・U」岩波書店、1989 バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう:忘れられた生活様式」鹿島出版会、1985 高尾慶子「イギリス人はおかしい」文春文庫、2001 瀬川清子「食生活の歴史」講談社学術文庫、2001 西川恵「エリゼ宮の食卓 その饗宴と美食外交」新潮文庫、2001 アンソニー・ボーデン「キッチン・コンフィデンシャル」新潮社、2001 ジョン・ハワード「18世紀ヨーロッパ監獄事情」岩波文庫、1994 会田雄次「アーロン収容所」中公新書、1962 今一生「ゲストハウスに住もう!」晶文社、2004 レナード・ショッパ「「最後の社会主義国」日本の苦悩」毎日新聞社 2007 岩瀬達哉「新聞が面白くない理由」講談社文庫、1998 山本理顕「住居論」住まいの図書館出版局、1993 古島敏雄「台所用具の近代史」有斐閣、1996 久家義之「大使館なんかいらない」角川文庫、2001 田中琢&佐原真「発掘を科学する」岩波新書、1994 臼田昭「ピープス氏の秘められた日記」岩波新書、1982 パット・カリフィア他「ポルノと検閲」青弓社、2002 下川裕治「バンコクに惑う」双葉文庫、1994 清水美和「中国農民の反乱」講談社、2002 編・暁冲「汚職大国・中国」文春文庫、2001 顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000 金素妍「金日成長寿研究所の秘密」文春文庫、2002 邱永漢「中国人の思想構造」中公文庫、2000 中島岳志「インドの時代」新潮文庫、2009 山際素男「不可触民」光文社、2000 潘允康「変貌する中国の家族」岩波書店、1994 須藤健一「母系社会の構造」紀伊国屋書店、1989 宮本常一「宮本常一アフリカ・アジアを歩く」岩波書店、2001 川田順造「無文字社会の歴史」岩波書店、1990 ジェーン・グドール「森の隣人」平凡社、1973 阿部謹也「ヨーロッパ中世の宇宙観」講談社学術文庫、1991 ジェーン・グドール「森の隣人」平凡社、1973
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