男性器を切断されて、もしくは切断して生きた人間たちの物語である。
中国における宦官は、3千数百年の昔から20世紀まで生き続け、政治の世界に大きな影響を与えた。
今日では、性別と性差は別次元のものと考えられて、映画「ボーイズ ドント クライ」でも描かれたように、トランスジェンダーなる人間が登場し始めた。
彼(女)等は、自分の性別が自分の性差=社会的な性のメンタリティーと合わないがゆえに、自分の肉体に外科的な処置さえしようとする。
宦官も同じように男性器を切断するのだが、彼等はトランスジェンダーではない。
また、中国に限らず世界中で閹人(えんじん:性器を切除した者)はおり、インドでは現在もヒジュラといわれて現在も生きている。
宦官の始まりは、戦争による捕虜の処遇からだったらしい。
捕虜を労働力として使いたいが、屈強な男性をそのままにしておいては危険である。
動物の去勢から連想されたのであろう。
男性器を切除して使役の対象とした。
男性器を切除することにより、繁殖力を失わせるだけでなく、肌が柔らかくなって筋肉質が失われ、女性的になっていく。
そこでもはや反乱など企てないというわけである。
ちなみに、動物を去勢する習慣のある地方では、人間も去勢の対象としたので、昔から閹人は世界中にいた。
去勢動物を飼う習慣のないわが国では閹人はおらず、むしろわが国のほうが稀な例である。
性器切除は刑罰としても行われた。
有名なところでは、司馬遷が宮刑(性器切除の刑罰)によって去勢されている。
また、女性に対しても同様の刑罰があったらしく、腹部を木槌で叩いて子宮を下げ、膣を極端に短くして性交不能にさせたらしい。
しかし、女性の場合は外見上に表れず、女性器を切除するわけではないから、体質的な変化が起きるわけではない。
男性の宦官のような一大勢力となっていないこともあって、宮刑を受けた女性のほうは歴史の表面にあまり出てこない。
捕虜に関するジュネーブ協定など無かった時代であるから、捕虜の肉体の一部を切除することに、何のためらいもなかったに違いない。
むしろ殺してしまうより、はるかに人道的な処置だったかもしれない。
専制君主の後宮では、大勢の女性を妾として囲っていた。
その女性たちを決して妊娠せさることなく、しかも管理する人間が必要だった。
それに宦官が打ってつけだったのである。
宦官は繁殖力を持たない労働力として重用され、専制君主の近くにいた。
そのために、政治の世界にもその勢力を伸ばしていく。
支配の官僚システムや軍の中にも影響力を持ち、時によっては君主に代わって権力をふるいさえした。
本書は、宦官の権威の裏付けは皇帝にあり、いわば虎の威を借りる狐だったという見解をとっている。
自分には権威がない者が、政権を私有化するとき権力は腐敗するという。
しかも、性器を失ったトラウマが様々な猜疑心を生み、宦官特有の屈折したものの見方をつくり、暗殺や秘密警察の跋扈など、常道から外れた政治へとねじ曲げたというのである。
国家経済を私有したので、宦官は国家財政を食いつぶす存在だった。
多くの点で、宦官は悪影響を及ぼしこそすれ、良いことはなかったと言う。
しかし、紙の発明や世界初のドックの建造など、わずかながら宦官の業績もあったとも言う。
閹人は、性にまつわる事柄だけになかなか表面だって語られないが、中国史のなかで宦官は無視できぬ存在である。
今日のトランスジェンダー的視点から見直してみると、また違った実相が浮かび上がってくるだろう。
事実としての歴史を考えるうえで、興味ある話題を提供してくれた1冊だった。 |