著者の略歴−1949年生よれ。ノンフィクションライター。歴史民俗学研究会代表。[著書]『サンカと説教強盗』、『史疑 幻の家康論』、『大津事件と明治天皇』『戦後ニッポン犯罪史』。[編著書]歴史民俗学資料叢書(第一期・全五巻)。[覆刻版解題]尾佐竹猛『下等百科辞典』、『法窓秘聞』、『明治秘史 疑獄難獄』、小泉輝三朗『明治黎明期の犯罪と刑罰』、菊池山哉『蝦夷とアイヌ』、『先住民族と賎民族の研究』ほか多数(以上、批評社刊)。 成人男性が若い少年を、性的な対象にすることを、男色という。 それにたいして、成人女性が少女を性的な相手にすることは、それをあらわす言葉がない。 女色といえば、男性が女性とセックスすることである。 いずれにせよ、女性が主体となった言葉がない。
今日では男性主体の発想をとらなくなった。 そのため、男性でも女性でも、同性愛とか異性愛とよぶ。 同性同士の性愛をゲイともいうが、ゲイも男色とはちがう。 男色とは、あくまでも成人男性が、20歳未満の少年を相手にするものだ。 本書は、明治期に書かれた、男色論を21本ばかり集めたものである。 冒頭に、編者である礫川全次氏が、<男色の沿革を略述し、日本人の国民性に及ぶ>という文書を書いている。 しかし、相変わらず男性間の性愛を、すべて同じ同性愛ととらえ、男色とゲイを混同している。 筆者はオウム信者たちが男色だったというが、ここでの同性愛は同年齢の男性であり、本書がかたる明治以前の男色とは、質的に違うものである。 同性愛にかぎらず性的な事柄は、どうしても興味本位に語られやすい。 そのため、こんなに酷い、こんなに非常識だといった論調になりがちである。 読者の良識に迎合しているつもりであろうが、むしろ同性愛を蔑視する本心が、露呈しているように感じる。 本書は21本の論文集なので、一貫した主張はない。 しかし、男色の当事者たちは、成人男性と未成年の少年であることは、どの論文にも共通している。 しかも、少年たちは美しく、なかば女性の代替であったように、田中香涯が<男色に関する史的および文学的公証>で書いている。 少年俳優が男娼に墜落してより以来、その技藝は拙劣でも容色さへ美しければ、第一流の少年俳優として世人に謳歌せられるやうになつた。阪田市之丞といふ俳優は、踊りは出来なかつたが、容色が好いので、太夫子即ち第一流の少年俳優となつた。萬治年代の刊行本『野郎虫』に彼を評して、その踊の拙劣なることを記し、『太夫分になりたる故に、いよく勿体をつけらるれど、ならぬことなれば、猪の水を泳ぐやうなることもあり』とある。これは踊の甚だ拙劣なることを猪の水を泳ぐに比したものである。P104 かつて芸人が身を売った。 身体を売ることと芸を見せることは、ほとんど同じように考えられていたのだろう。 前近代にあっては、身体を売る、つまり売春は、一種の芸であった。 特別に罪悪視されていなかったに違いない。 だから、上手な芸人は芸を売り、下手な芸人は身を売った。 下手な芸人が身体をうっても、そんなに違和感がなかったのだろう。 しかし、明治になると売春は、堕落の象徴と見られ始めた。 堕落するに徒つて男娼の種類も増加し、右の舞童子の外に、『蔭間』『飛子』など云う者も現はれて来た。蔭間とは舞台へ出ぬ純粋の男娼をいひ、飛子とは田舎まわりをする者の謂で、舞童子に比して遙かに低級なものであつた。斯くの如く男娼に、太夫子、舞台子、蔭間等の区別のあったのは、あたかも遊女の太夫、格子、局と区別されたのと同様である。P106 男女を問わずに、美しい若者が、成人男性の性的な対象になったのだ。 かつては、男性と女性が区別されずに、性の相手であれば良かったのかも知れない。 誰でも良かったというのではなく、相手にする基準が男女ではなく、美醜の違いにあったのかも知れない。 明治期の筆者たちは、男色に堕落するといって、性的な快楽に浸ることを否定的に見ている。 現代でも、売春婦を蔑視している。 同じように、明治期の言論人たちは、男性のであれ女性のであれ、売春をきわめて悪いことと見なしていたようだ。 明治になって、核家族意識が芽生えたためだろう。 男娼が若い時代だけだとすると、成人後はどうしたのであろうか。 湯島の男娼は上野の僧侶を相手にする美少年であるから、17歳乃至20歳になると、「上がり」といって客の勤めを止めるのが普通になってゐた。しかし、20歳を越した者の中には曾て愛して貰つた僧侶から小役人の株を買つて貰つたり、或は寺侍に取り立て、貰つたり、或は資金を貰つて蔭問屋や料理店の主人になつたりして、生活を安定することが出来た者もあるが、好い馴染客の無かつたものは或は香具師となり或は田舎まわりの女形の役者になつたりしみじて惨めな敗残生活を迭らなければならなかつた。P228 成人男性が未成年の少年を、性的な相手にするのは世界中にあった。 一種の通過儀礼であろう。 文化は男性から男性へと伝えられると、男性たちが意識していたことが、男色を支えていたと思う。 僧侶は女犯が禁止されていたので、性欲が高じて少年に走ったのではない。 男色者はたんに性欲から少年に手をだしたのではない。 僧侶たちは念者(=被男色者)にたいして、自分の知り得た知識を教えただろう。 やがては自分の跡継ぎと考えたかも知れない。 武士たちにしても念者をかかえたのは、自分の生き方を伝えたかったのだ。 男色はいわば文化を伝える行為だったから、長い歴史を生き延びてきたのである。 それにたいして、ゲイは個人の自立があって、自分の嗜好を個人的に発揮することが許されたから、近代になって生まれたものだ。 (2009.3.14) 感想・ご意見などを掲示板にどうぞ 参考: アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000 M・ハリス「ヒトはなぜヒトを食べたか」ハヤカワ文庫、1997 早川聞多「浮世絵春画と男色」河出書房新社、1998 氏家幹人「大江戸残酷物語」洋泉社、2002 福田和彦「閨の睦言」現代書林、183 田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999年 佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995 高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年 生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002 瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年 佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995 フランチェスコ・アルベローニ「エロティシズム」中央公論 1991 ジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」ちくま学芸文庫、2001 オリビア・セント クレア「 ジョアンナの愛し方」飛鳥新社、1992 石坂晴海「掟やぶりの結婚道 既婚者にも恋愛を!」講談社文庫、2002 梅田功「悪戦苦闘ED日記」宝島社新書、2001 山村不二夫「性技 実践講座」河出文庫、1999 謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960 清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002 プッシー珠実「男を楽しむ女の性交マニュアル」データハウス、2002 生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002 赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984 生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002 福田和彦「閨の睦言」現代書林、1983 田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999 佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1995 松倉すみ歩「ウリ専」英知出版、2006年 ポール・モネット「ボロウド・タイム 上・下」時空出版、1990 ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001 伊藤文学「薔薇ひらく日を 薔薇族と共に歩んだ30年」河出書房新社、2001 モートン・ハント「ゲイ:新しき隣人たち」河出書房新社、1982 リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」筑摩書房、1996 尾辻かな子「カミングアウト」講談社、2005 伏見憲明+野口勝三「「オカマ」は差別か」ポット出版、2002 顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000 及川健二「ゲイ パリ」長崎出版、2006 礫川全次「男色の民俗学」批評社、2003 伊藤文学「薔薇ひらく日を」河出書房新社、2001 リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」筑摩書房、1996 稲垣足穂「少年愛の美学」河出文庫、1986 ミシェル・フーコー「同性愛と生存の美学」哲学書房、1987 プラトン「饗宴」岩波文庫、1952 伏見憲明「ゲイという経験」ポット出版、2002 東郷健「常識を越えて オカマの道、70年」 ポット出版、2002 ギルバート・ハート「同性愛のカルチャー研究」現代書館、2002 早川聞多「浮世絵春画と男色」河出書房新社、1998 ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001 神坂次郎「縛られた巨人」新潮文庫、1991
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