匠雅音の家族についてのブックレビュー    「オカマ」は差別か−『週刊金曜日』の「差別表現」事件|伏見憲明

「オカマ」は差別か
『週刊金曜日』の「差別表現」事件
お奨度:

著者:伏見憲明(ふしみ のりあき)野口勝三(のぐち かつぞう)
ポット出版、2002年、  ¥1、500−

著者の略歴−伏見憲明:1963年東京生まれ、埼玉育ち。武蔵野音楽大学付属武蔵野高校声楽科卒、慶応義塾大学法学部政治学科卒。評論家・ゲイライター。「プライベート・ゲイ・ライフ」学陽書房1991、「ゲイという経験」ポット出版 2002。
 野口勝三:1964年生まれ。総合研究大学院大学後期博士課程修了退学。編著に「クィアスタディーズ96」「クィアスタディーズ97」。主論文に「クィア理論とポスト構造主義<反形而上学の潮流として>」


 東郷健氏の人生を、及川健二氏が「週刊金曜日」2001年6月15日号に、<伝説のオカマ 愛欲と反逆に燃えたぎる>を、書いたことから問題が始まった。
この記事に関して、同性愛にかんする正確な情報を発信している当事者団体を自称する、<すこたん企画>なる集団が、週刊金曜日に抗議した。
本書によれば、その内容とは次のようなものだ。
TAKUMI アマゾンで購入

 1.オカマという蔑称をタイトルにつかった 
 2.オカマという言葉の解説が間違っている
 3.編集部と勉強会をやったおり、オカマという言葉を使う話がでなかった。

 それに対して、週刊金曜日はほぼ全面的に謝罪し、<性と人権>という記事を組んだらしい。
この経緯をめぐって、2001年9月30日に新宿のロフトプラスワンで、討論会が行われた。
本書はその時の討論内容をダイジェストし、参考資料を付けたものである。
東郷氏の体験談は、「常識を越えて」という著書として上梓され、本サイトでは東郷氏の生き方にも敬意を表し、星を一つ献呈している。

 オカマという言葉が蔑称だから、つかうなという抗議はできるだろう。
誰にも抗議する自由はある。
しかし、その抗議に従うかどうかは、抗議された方の自由である。
抗議も無視も自由が前提として、ことの経緯を考える。
一つの単語に特別の思い入れを込め、前後の文脈を無視してしまう傾向は、まったく愚かとしかいいようがない。
<すこたん企画>の姿勢は、傲慢以外の何ものでもない。

 オカマが蔑称だとしても、東郷氏自身がオカマという言葉を、誇りをもってつかっており、及川氏の記事もその文脈の上にある。
ある単語を蔑称だから、差別用語だから使わないというのは、使う本人の構えの問題である。
文章全体が文脈として、蔑視であるならいざ知らず、単語だけを取り上げて云々することは、表現の幅を狭めることであり、結局は自分の首を絞めることである。

 差別用語だから使うなという、言葉狩りは品性が低い運動である。
差別とは単語で生まれてくるものではなく、社会的な産物である。
差別を支えるのは多くの場合、物的もしくは経済構造である。
言葉と現実の差別は直結していない。
むしろ言葉の使用を禁止することによって、芳醇な現実の表現が狭まってしまう。

 ある言葉を使わなくなったことが、差別を解消したのではなく、社会的な関係が変化したから差別は解消するのである。
西洋諸国において、ゲイ差別が徐々にではあれ減ってきたのは、ゲイが裕福になったからである。
裕福になり、社会的な発言権が増したから、ゲイ差別は減少せざるをえなくなったのである。
ゲイでない人たちが、自発的な好意としてゲイ差別をやめたわけではない。

 わが国でも、かつて代言(=今いう弁護士のこと)という職業が蔑視された。
いまでも三百代言といえば、詭弁を弄することだ。
代言と蔑視された弁護士も、自分たちの努力によって、地位を上げ裕福になって、差別を克服してきた。
代書屋も同じである。
現在では代書屋という蔑称ではなく、司法書士は先生と呼ばれている。
いずれも言葉を変えるのではなく、実態が変わってきたから、差別意識も減ってきたのである。

 本書に従えば<すこたん企画>は、同性愛にかんする正確な情報を発信している当事者団体を自称しているらしい。
しかし、正確な情報を発信している当事者団体と自称するとは、自己認識に根本的な間違いがある。
まず、同性愛自体の定義がまだ定かではない以上、何が正確かは時代が決めることである。
当事者だけが正確な情報を認識できるかとは、まったく保証がない。
むしろ当事者であれば、自分に都合のいいように事実を歪めがちである。

広告
 自分が絶対の正義だと名乗ったときには、すでに正義でも何でもない。
この集団はホモではない人に、正確な(?)情報を発信しているらしいが、知が相対的であることを知らないのだろうか。
自分が正義だとなのる構造は、わが国の多くの反体制運動もそうだったし、フェミニズムもそうである。
そのせいで、和製フェミニズムは硬直しきっている。

 本書で、野口勝三氏が次のように言っているが、至言だと思う。

 反差別運動全体の今の中心的な考え方というのは、「差別の問題をマイノリティがマジョリティに対して説明する責任なんかはない。マジョリティがマイノリティの立場に立って自分の抑圧性というものを深く反省しないといけないのだ」というものなんですね。これは、僕が悪意的に言っているわけじやなくて、例えば、上野千鶴子さんが編者をされた『岩波講座 現代社会学15 差別と共生の社会学』岩波書店、1996という本があるんですが、収録されている論文の多くがそういうトーンで貰かれています。ですがこれは、やっばり間違い。変えていかないといけない。

 「最も弱い弱者」とか「一番傷つきやすい人」という言葉がよく使われるが、この使われかたは以前の部落差別などではあまり見なかった。
わが国の女性運動に、フェミニズムが入り込むに及び、女性が弱者であることを強調しだした。
上野氏の発言などに象徴されるように、弱者への居直りが差別運動に浸透しはじめた。
部落差別やかつての女性運動は、結婚や就職・選挙権といった具体的な運動目的を持っていたので、居直る必要もなかった。
 
 ところが、わが国のフェミニズムなどが問題視しだしたのは、具体的なものではなく意識改革である。
差別意識をなくせという運動は、信教の自由を否定するファッシズムである。
意識を問題にするのではなく、ゲイや女性であるがゆえに職業に就けないとか、特定の扱いを受けるといった制度が問題である。

 被差別者が弱者としての立場に居直ったとき、反差別運動は堕落し、腐敗をはじめた。
立場への居直りとは、体験の絶対的な肯定に他ならず、差別の根拠を属性へと収束させていく。
体験とか属性といった、思想や意思ではないものに、反差別の根拠をもとめることは、人間の想像力を否定することである。
差別は社会的・経済的な支えをもってはいるが、人間の意識をも拘束する。
とすれば、想像力こそ差別克服の原動力である。

 弱者なる当事者だけが、ことを決し得るとしたら、そこには知的な怠惰だけが跋扈する。
一番傷つきやすい人を守れなどいった言葉が横行するが、傷つくかどうかは事前には判らない。
また、個々のケースで傷つき方は異なる。
すべての事件を引き受ける当事者など存在するわけがないから、何が傷つくのだか余人には思いもつかない。
上野千鶴子という東大教授が、一番傷つきやすい人だとは思えない。
むしろ東大教授は、最強者の象徴だろう。

 もちろん差別を認めると言っているのではない。
差別は解消されなければならないが、差別が何であるかを決めるのは、当事者だけではない。
足を踏まれた人の痛みは、踏んだ人にもわかる。
また判らせる得る。
それが人間の想像力というものだ。
反差別運動において知が退廃腐敗すると、差別をしている者たちより醜悪になる。
それを私たちは反体制運動にもみたし、共産主義国家の崩壊は、何よりもその証明だった。
和製フェミニズムもまた同じ道を歩いている。
我が国のゲイ運動はどうなるのだろうか。    
(2003.2.14)
広告
  感想・ご意見などを掲示板にどうぞ
参考:
目黒依子「女役割 性支配の分析」垣内出版、1980
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
松倉すみ歩「ウリ専」英知出版、2006年
ポール・モネット「ボロウド・タイム 上・下」時空出版、1990
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
伊藤文学「薔薇ひらく日を 薔薇族と共に歩んだ30年」河出書房新社、2001
モートン・ハント「ゲイ:新しき隣人たち」河出書房新社、1982
リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」筑摩書房、1996
尾辻かな子「カミングアウト」講談社、2005
伏見憲明+野口勝三「「オカマ」は差別か」ポット出版、2002
顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000
及川健二「ゲイ パリ」長崎出版、2006
礫川全次「男色の民俗学」批評社、2003
伊藤文学「薔薇ひらく日を」河出書房新社、2001
リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」筑摩書房、1996
稲垣足穂「少年愛の美学」河出文庫、1986
ミシェル・フーコー「同性愛と生存の美学」哲学書房、1987
アラン・ブレイ「同性愛の社会史 イギリス・ルネッサンス」彩流社、1993
プラトン「饗宴」岩波文庫、1952
伏見憲明「ゲイという経験」ポット出版、2002
東郷健「常識を越えて オカマの道、70年」 ポット出版、2002
ギルバート・ハート「同性愛のカルチャー研究」現代書館、2002
早川聞多「浮世絵春画と男色」河出書房新社、1998
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
神坂次郎「縛られた巨人」新潮文庫、1991


「匠雅音の家族について本を読む」のトップにもどる