匠雅音の家族についてのブックレビュー    縛られた巨人−南方熊楠の生涯|神坂次郎

縛られた巨人
南方熊楠の生涯
お奨度:

著者:神坂次郎(こうさか じろう)  新潮文庫、1991年    ¥667−

著者の略歴−1927(昭和2)年、和歌山市生れ。’82年『黒潮の岸辺』で日本文芸大賞、教育映画「南方熊楠・その人と生涯」の企画・製作・脚本で文部大臣賞最優秀賞、’87年「縛られた巨人−南方熊楠の生涯−」で大衆文学研究賞を受賞。’92年には、皇太子殿下に自著「熊野御幸」を二時間半にわたって御進講した。他の著書に 「元禄御畳奉行の日記」「今日われ生きてあり」「熊野まんだら街道」など。
 南方熊楠の話を聞くたびに、何だかやるせない思いに駆られる。
本人の人となりが災いしたがゆえの、厳しい人生だったのだろうが、それにしても数奇な人生である。
彼の伝記はたくさん書かれており、本書もその一つだが、本書は孫引きをさけて、熊楠の足跡を丁寧に追っている。
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 アメリカからキューバ、そしてイギリスと熊楠の辿った道は、明治の時代としてはとんでもないものだと思う。
しかし、明治にあっても、熊楠は世界の各地で、日本人に出会っている。
少数とは言え、当時から世界に出かけた人間はいたのだ。

 伝記が書かれるくらいの人物であれば、大きな人物であろう。
当然のこととして、その伝記はある一面から切ったものにならざるをえない。
いかなる人物でも、鬼籍に入った以上、歴史となる。
歴史となれば、その人物の息吹は風化し、遠くから眺めた物語になるのは、やむを得ない。
 
 もともと、ひとつのことに打ち込むと他のことを忘れてしまう熊楠であった。学校に通っても、好きな学科以外は学ぼうともしない。熊楠の場合、その好悪の差が極端であった。試験の成績にしても、得手のいい国漢、作文や英語、理科などはずばぬけていて、常に満点であったが、苦手の数学などは見向きもしなかった。答案はいつも白紙であった。ところが都合のいいことに、当時の中学校の進級試験は全課日の合計点できまったので、なんとか及第点を稼ぎ、すれすれのところで進級していった。P25

 エジソンにしたって劣等生だったのだし、天才にはこうした言動が多い。
だからといって、近代の学校教育が不備だと言うつもりは、まったくない。
近代の学校教育は、誰にでも門戸を開いている。
熊楠のように生家が裕福でなくても、教育を受けることができる。
それはとても幸福なことだ。
今後の教育は多いに変わらなければならないが、少なくとも近代の教育はそれなりに機能した。

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 ロンドンでの熊楠が、好意を抱いた人びとに底抜けな親切ぶりをみせているのは、そのことによってわが身の寂しさをまぎらわせていたのかもしれない。
 鼻っ柱のつよいくせに熊楠は、その素顔の底に一抹の人恋しさをいつも秘めている。孫文のときも、土宜法龍のときもそうであった。好悪の情がつよいだけに熊楠は、いったん友情を感じてしまうと、とめども抑えようもなくなってしまうのであろう。行住坐臥、片ときも傍を離れず、ときには相手の下宿に泊りこんで酒を飲み、夜を徹して語りあっている。P182


 「ネイチャー」掲載論文などにより、大英博物館へ自由に出入りできるようになる。
そして彼の天分を見込んで、イギリス人が大英博物館の館員に採用しようと運動してくれる。
しかし、なぜだか彼はそれを拒否して、嘱託という不安定な身分のままでいる。
それが彼の性格で、そうした性格が大きな成果を生んだのだ、と言えばそれまでである。

 人の性格というのは、多面的でありながら一面的で、
こうした性格が悪いと言っても、悪い性格が業績を生む源でもある。
まことに人間というのは、まか不思議なものである。
近代にはいると、平均化をうながす学校教育も手伝って、変人は少なくなってきた。
それでも人間の評価は難しいものだ。

 熊楠の人生は、とても凡人では計り知れない。
その交友録を見ても、後に名を残した人が綺羅星のごとくに見える。
そうした意味では、彼は生きている最中に充分に評価されたといえるだろう。
多くの天才が、人知れず極貧のうちに死んでいったことを思えば、彼は充分に認められたといえる。
元来が彼のような生き方をしていれば、世人に受け入れろと言うほうが無理である。
にもかかわらず、天皇にも会えたし、彼としては充分の人生だったように思う。

 熊楠の死後、書斎に並んだ土蔵の二階の大長持の中から、
整然と納められたおびただしい菌類標本、図譜が発見された。
菌類図譜4、500種、その他にアメリカ産菌類の標本1、383三種、イギリス産藻類150種、日本産の菌、地衣、蘚苔、藻類、無数……。
発見された菌類標本はいずれも洋紙にペン書き英文で、
諸々の観察や生態、成長を写生彩色し、分類学上もっとも重要な目安になるべき胞子は一つ一つ小さな紙袋に入れ、丹念に添付されていた。P484

 大往生だったろう。
本書には、彼の男色などにはまったく触れていない。
彼が少年愛者だったかは、わからない。
しかし、天衣無縫の彼のことだから、現世の決まりなど、まったく蹴飛ばしていったことであろう。
(2002.8.2)
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参考:
早川聞多「浮世絵春画と男色」河出書房新社、1998
松倉すみ歩「ウリ専」英知出版、2006年
ポール・モネット「ボロウド・タイム 上・下」時空出版、1990
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
伊藤文学「薔薇ひらく日を 薔薇族と共に歩んだ30年」河出書房新社、2001
モートン・ハント「ゲイ:新しき隣人たち」河出書房新社、1982
リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」筑摩書房、1996
尾辻かな子「カミングアウト」講談社、2005
伏見憲明+野口勝三「「オカマ」は差別か」ポット出版、2002
顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000
及川健二「ゲイ パリ」長崎出版、2006
礫川全次「男色の民俗学」批評社、2003
伊藤文学「薔薇ひらく日を」河出書房新社、2001
リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」筑摩書房、1996
稲垣足穂「少年愛の美学」河出文庫、1986
ミシェル・フーコー「同性愛と生存の美学」哲学書房、1987
プラトン「饗宴」岩波文庫、1952
伏見憲明「ゲイという経験」ポット出版、2002
東郷健「常識を越えて オカマの道、70年」 ポット出版、2002
ギルバート・ハート「同性愛のカルチャー研究」現代書館、2002
早川聞多「浮世絵春画と男色」河出書房新社、1998
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
神坂次郎「縛られた巨人」新潮文庫、1991
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう:忘れられた生活様式」鹿島出版会、1985


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