匠雅音の家族についてのブックレビュー    少年愛の美学|稲垣足穂

少年愛の美学 お奨度:

著者:稲垣足穂(いながき たるほ)−河出書房新社、1986 ¥640−

著者の略歴−1900年生まれ、21歳のとき上京し、佐藤春夫の知遇を得て執筆活動にはいる。1923年「一千一秒物語」を刊行。モダンボーイと目され、横光利一、室生犀星、滝口修造らとまじわり、新人作家として活躍。1932年明石の無量光寺に起居し、「ヰタ マキニカリス」を浄書したあと、上京する。しかし、次第に生活苦に追われていった。著書:「ヰタ マキニカリス」河出書房新社、「ヒコーキ野郎たち」「宇宙論入門」
 1950年代(昭和30年代)に発表されたものが、何度か改訂版としてつくられた。
本書は、最終稿の角川文庫版に準拠したとある。
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 少年愛が同性愛を意味し、ゲイを意味するのではないことは自明である。
年長の男性が、まだ前髪を残した少年と、性愛関係に入るのが同性愛であり、少年愛である。
性愛関係だからもちろん相互関係ではあるが、ここで語られるのは年長者からの少年賛美である。
変声期前の少年が、いかに悩ましく男性の妄想をかきたてるかが、切々と綴られているのが本書である。
ヒップ、A感覚を中心とするファンタジーが、筆者のつくる独特な世界である。

 その巻物は、年のころ14、5歳の臈たけた稚児が紋紗の水干の胸ひもを解き、指貫を脱ぎ棄てて行く処に始まっている。若草の匂いがする裸身が揚あみして、次にそこに用意された火桶に跨がることによって、下半身部が隅々まで暖められ、焚物で薫じられる。いずれの場面も、白桃のようなお尻を見せたうしろ姿である。P15

 人類の半分は女性であり、異性愛はどこにでもある。
異性愛は誰にも肯定され、推奨されるまさに広い門である。
それにたいして、少年愛は閉ざされた世界であり、屈折した狭い門である。
V感覚は常にあるものだが、A感覚はなみなみならない根気によって開発されるものだ、と筆者の筆はすすむ。
しかも、「ヴェニスに死す」が描くように、そのやるせなさは一筋縄のものではないとすれば、
稚児趣味といわれる世界の精神性はいや増すであろう。
 
 蔭間茶屋は、湯島天神境内と周辺の大根畠にかけて、矢場と水茶屋が出来たのをきっかけとし て生れた。全盛時代には余所と合わして部屋子が230余名いたと云う。それが天保13年に、水茶屋といっしょに法令で廃止になった。P36

 陰間茶屋ではもちろん少年が相手をしたわけで、
吉原などにおける女性たちと何らかわりがない。
役者買いとは違って、女性が男性を買うのではない。
ここでは成人男性が、少年を性愛の対象とする。
江戸時代の14、5歳とは、現在の満年齢でいえば12、3歳だろうから、小学校の高学年である。
これでは女性であろうとも、児童保護法にひっかかって犯罪である。

 筆者は、フロイトの肛門性欲をもちだして、少年愛の素晴らしさをとく。
しかし、筆者が少年愛の実践者かというと、どうもそうだとは断定できない。
年少者を可愛がる男性を、英語では「シュガー・ダディ」などと呼ぶ。
筆者の筆致からすると、想像の世界に遊ぶのを良しとするようにも読める。
 
 Aオナニー的感情はPオナニーのそれに較べて、いっそう高次なものに属するのは明らかである。
 ザーメンによる注入感覚は女性では殆んどゼロなのに、少年では確かに注入を喜ぶ。いよいよ土壇場になって自らお尻を左右に振ったり、我手で両山の谷間をおし拡げたりするのは、むしろ少年の方であって、少女ではない。(中略)総じて女児上には、男児におけるような意味の「感覚の独立化」は望めない。それは一般女性に対して(男性の場合のような)性欲の対象化が望み得ないことに準じている。女性が、男性の場合のようにA感覚を独立させたがらないのは、A感覚を以て男の場合のように独立させることが出来ないからだ。P145

 男性の性愛感覚は、女性に向かおうとも少年に向かおうとも、きわめて観念的である。
対女性の場合は湿潤的であるが、対少年の場合は空想的であり接触感がうすい。
これは筆者の資質でもあろうが、古今東西から多くの男性が少年愛を謳いあげていることからもわかるように、男性の性愛とは観念が先行するものなのだろう。

 実質的な話をすれば、男性が男性の後継者を養成したいとすれば、幼少の男の子に目がいくのは当然である。
とりわけ肉体的な体験によって、技術や芸能を身につけた時代には、年長男性が年少者を指導した。
だから、少年愛の発生する素地ができた。
儒教的な年齢秩序が、成人男性をして少年に目を向けさせるのである。

 肉体を介した技の世界では、現在でも技の伝授には肉体の接触が不可欠である。
芸能やバレエの世界をみれば、それは一目瞭然だろう。
しかし、知識それ自体が伝授の対象になり、いまや肉体的な経験や接触は不要になった。
徐々に年齢の多寡が知識を支えなくなり、若年者でも充分に新たな価値の創造者になり得るようになった。
だから少年愛は流行らなくなった。
コンピュータの世界では、年齢秩序は崩壊している。
新規な知識の創造には、年齢は関係ない。

いまや年少者への性愛は否定的に見られる。
年齢秩序の崩壊は、少年愛を日陰に追いやった。
そして、成人男性間の性愛へと変質したのである。
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参考:
早川聞多「浮世絵春画と男色」河出書房新社、1998
松倉すみ歩「ウリ専」英知出版、2006年
ポール・モネット「ボロウド・タイム 上・下」時空出版、1990
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
伊藤文学「薔薇ひらく日を 薔薇族と共に歩んだ30年」河出書房新社、2001
モートン・ハント「ゲイ:新しき隣人たち」河出書房新社、1982
リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」筑摩書房、1996
尾辻かな子「カミングアウト」講談社、2005
伏見憲明+野口勝三「「オカマ」は差別か」ポット出版、2002
顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000
及川健二「ゲイ パリ」長崎出版、2006
礫川全次「男色の民俗学」批評社、2003
伊藤文学「薔薇ひらく日を」河出書房新社、2001
リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」筑摩書房、1996
稲垣足穂「少年愛の美学」河出文庫、1986
ミシェル・フーコー「同性愛と生存の美学」哲学書房、1987
プラトン「饗宴」岩波文庫、1952
伏見憲明「ゲイという経験」ポット出版、2002
東郷健「常識を越えて オカマの道、70年」 ポット出版、2002
ギルバート・ハート「同性愛のカルチャー研究」現代書館、2002
早川聞多「浮世絵春画と男色」河出書房新社、1998
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
神坂次郎「縛られた巨人」新潮文庫、1991
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう:忘れられた生活様式」鹿島出版会、1985


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