著者の略歴−精神科医。1933年、大阪生まれ。東京医科歯科大学大学院卒。筑波大学、国際医療福祉大学などを経て、現在、帝壕山学院大学教授。著書に「精神鐘定ケースブック」「精神変容のドラマ」「現代人の精神病理」「狂気の構造」(いずれも青土社)ほか多数。 保護とは差別の裏返しだとは、何度も言ってきたが、差別がなくなると保護もなくなる。 女性の自立に従って、保護も減少しつつある。 そして、バリアーフリーの思想は、障害者への保護をも外し始めている。 櫻田淳氏の「弱者救済の幻影」がいうように、弱者保護とは弱者差別の別名でもある。 女性や障害者が自立したのに続いて、子供が自立を迫られている。
年齢の低い人間というのは、いつの時代にも存在したが、 フィリップ・アリエスが「<子供>の誕生」で述べたとおり、 子供という概念は近代の産物である。 学校が子供=大人ではない人間を生みだした。 青春期の人間は、すでに働ける体力を持ちながら、 学校という箱に閉じこめられて、将来のために知識を注入されてきた。 学校が機能不全となってきたとき、子供なる概念もまた再検討を迫られ始めた。 「子どもはもういない」でニール・ポストマンが書いているように、子供なる概念も消失を始めている。 それは女性の自立によって、残されたのは子供だから、子供だけがそのままに置かれるはずはない。 子供の自立とは、最後の人間の解放である。 わが国の現実も、子供の大人化が進んでいると、私たちはさまざまな事件から知る。 自立とは自己決定権を持つことである。 とすれば、自立は素晴らしい成果も生みだすが、反社会的な行動をも生みだす。 女性の自立は、女性犯罪を増大させた。 女子比は(中略)1970年に10%を超え、1971年以降は起伏しながらも20%前後で推移していたが、1997年に急上昇し、1998年は前年に続いて最高値を更新して25.4%になっている。上述した歴史的動向を見ても、さらに刑法犯全体の女子比が1946年から1998年までに16%から22.4%に上昇していることからみても、従来の男性優位型であった犯罪・非行の領域に女子の参入率が高くなっていることを示す。P51 子供に関しても同様である。 マイケル・ルイスの「ネクスト」が描くような、天才的な少年が誕生しているのも事実だが、 少年や少女が大人顔負けの犯罪に走るのも、子供が自立した結果である。 凶悪犯罪と言われるなかから、少年・少女がかかわった事件を中心に、本書は展開している。 1997年5月27日 14歳の少年が首を切断し校門の上に置く 1998年1月28日 中学1年生が女性教員を刺殺 1999年7月15日 「ピンクギャング」を名乗る少女3人による恐喝 1999年8月9日 17歳の少年による愛知ストーカー殺人 2000年5月3日 17歳の少年による西鉄バスジャック 2000年12月8日 16歳少女が北海道で家の車を持ち出しひき逃げ 2000年12月27日 名古屋で少年少女強盗団逮捕 2000年12月27日 男性と共謀、16歳少女が強盗殺人 2001年3月18日 暴力を振う義父を殺害しようと放火した16歳の少女 P54 子供とは汚れなく愛らしい存在だ、とばかり思っていたら、 じつは大人と変わらない人間だった。 そうした事実が徐々に明らかになってきた。 子供は無垢な存在だという、近代が作ったフィクションが徐々に崩れつつある。 自立した子供は、もはや愛らしいだけの存在ではない。 子供は大人と同じである、と時代は主張している。 近代の子供観では、未完成な者は主体たり得ないから、 子供は保護されるべき存在だと言ってきた。 そのため、未成年者にはさまざまな制限を加えると同時に、特別な保護もしてきた。 たとえば選挙権を与えない代わりに、大人と同じ刑には処しない。 しかし、大人と同じになった子供に、今までと同じような保護を与え続けるべきだろうか。
1番目は、子供への保護が不十分だから犯罪に走るのであり、もっと保護を増やすべきだ。 2番目は、犯罪は犯罪であり、大人と同様に対処すべきだ、というものだろう。 本書は、完全に後者の立場に立っている。 とりわけ快楽殺人とか、劇場形と言われる最近の犯罪には、犯行に至る前に<ひきこもり>が見られるという。 精神分析医として、筆者は人権派のジャーナリストや社会学者と、真っ向から対立する。 1997年に入ってから、この事件のみならず、8月に入ってから木刀を持ち歩く少年たちを注意した老人に対する暴行、傷害(いわゆる「おやじ狩り」)等一連の犯行が人々の注視を集めた。「これをどうにかしなければならない、少年法は今のままで良いのだろうか」という人々の「声なき声」が上っている。しかし、これを打ち消すように、大新開の一部、テレビの一部、元「進歩的文化人」と呼ばれた学者、文化人たち、さらに弁護士さんの団体等から、問題を学校での「管理教育」「内申書教育」一般に拡散し、学校の生徒指導そのものを無効化、無力化しょうとする合唱が巻きおこった。これらは「人権」を旗印にして(それは「加害者の方の人権」というのにすぎないのであるが)、教育現場を現在以上に液状化させ、他方では少年犯罪についての有効な対策をとることを困難にするという結果をもたらすことは必然である。P122 宮台真司氏など具体的に名前を挙げて、論争を挑んでいる。 また、性犯罪者には薬物治療をすべきだと言うし、短期の収容は無意味だという。 人権派たちを逆なでするような筆者の意見だが、慎重に検討する必要がある。 すくなくとも、子供を被害者だと決めることからは、卒業すべきである。 法の支配とは国家にたいする縛りであり、法が国家の暴走を止めるように仕組まれている。 太平洋戦争への体験があるので、国家の行動に反対することが、人間的だと思われてきた。 結果として法の支配は、加害者を国家の暴力から守る結果になった。 現在の法体系では、加害者は人権を保障され税金で養われる。 それにたいして、犯罪に巻き込まれ、殺されるという被害者になったら、救済策はほんとうに少ない。 加害者の人権よりも、被害者救済を優先すべきだという、 筆者の意見には多くの賛同が集まるだろう。 子供を大人と同じ処罰の対象にするのは賛成だが、同時に選挙権なども与えるべきだと思う。 そして、年齢による制限を徐々に撤廃していくべきだろう。 精神病を理由に刑を問わないのが、精神病への差別であるように、保護は差別の裏面である。 保護を外すと同時に、差別も撤廃していくべきだろう。 私は筆者とは立場を異にするが、 本書は革新派とか進歩的とか、人権派と呼ばれる人たちの文章より、 傾注に値する部分が多いように感じる。 それは筆者の立場が、精神医療という技術畑に立脚しており、 技術者として発言しているからであろう。 技術は無色であるがゆえに、ファッシズムと通底するが、 技術を無視することはできないからである。 (2003.6.6)
参考: 下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993 ジョン・デューイ「学校と社会・子どもとカリキュラム」講談社学術文庫、1998 大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002 G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001 G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000 J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997 磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958 エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987 黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997 S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003 奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992 信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001 高倉正樹「赤ちゃんの値段」講談社、2006 デスモンド・モリス「赤ん坊はなぜかわいい?」河出書房新社、1995 ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」早川書房、2000 フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980 伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975 エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997 ウルズラ・ヌーバー「<傷つきやすい子ども>という神話」岩波書店、1997 編・吉廣紀代子「女が子どもを産みたがらない理由」晩成書房、1991 塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002 ピーター・リーライト「子どもを喰う世界」晶文社、1995 ニール・ポストマン「子どもはもういない」新樹社、2001、 杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980 矢野智司「子どもという思想」玉川大学出版部、1995 瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年 赤川学「子どもが減って何が悪い」ちくま新書、2004 浜田寿美男「子どものリアリティ 学校のバーチャリティ」岩波書店、2005 本田和子「子どもが忌避される時代」新曜社、2008 鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001 小田晋「少年と犯罪」青土社、2002 リチヤード・B・ガートナー「少年への性的虐待」作品社、2005 広岡知彦と「憩いの家」「静かなたたかい」朝日新聞社、1997 高山文彦「地獄の季節」新潮文庫、2001 マイケル・ルイス「ネクスト」潟Aスペクト、2002 服部雄一「ひきこもりと家族トラウマ」NHK出版、2005 塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002 瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972 ロイス・R・メリーナ「子どもを迎える人の本」どうぶつ社、2005 瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年 イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」筑摩書房、1994 下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993 芹沢俊介「母という暴力」春秋社、2001 編・吉廣紀代子「女が子どもを産みたがらない理由」晩成書房、1991 鈴木邦男「公安警察の手口」ちくま新書、2005 高沢皓司「宿命」新潮文庫、2000 見沢知廉「囚人狂時代」新潮文庫、2000 ジョン・ハワード「18世紀ヨーロッパ監獄事情」岩波文庫、1994 山本譲司「累犯障害者」新潮社、2006 足立正生「塀の中の千夜一夜」愛育社、2005 三浦和義「弁護士いらず」太田出版、2003 浅野健一「犯罪報道の犯罪」新風舎文庫、2005 山崎哲「<物語>日本近代殺人史」春秋社、2000 菊田幸一「日本の刑務所」岩波新書、2002 有村朋美「プリズン・ガール」新潮文庫、2005 佐藤清彦「にっぽん心中考」文春文庫、2001 管賀江留郎「戦前の少年犯罪」築地書館 2007 浜田 寿美男「自白の研究」三一書房、1992 小田晋「少年と犯罪」青土社、2002 鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001 流山咲子「女子刑務所にようこそ」洋泉社、2004 藤木美奈子「女子刑務所」講談社文庫、2001 ヨシダトシミ「裁判裏日記」成美堂出版 2008 小室直樹「痛快!憲法学」集英社、2001 芦部信喜「憲法判例を読む」岩波書店、1987 D・T・ジョンソン「アメリカ人のみた日本の検察制度」シュプリンガー・フェアラーク東京、2004 河合幹雄「安全神話崩壊のパラドックス」岩波書店、2004 河合幹雄「日本の殺人」ちくま新書、2009
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