著者の略歴− 広岡知彦の経歴=1941年、東京生まれ。東京大学卒業。理学博士。1986年憩いの家の専従職員となる。1990年吉川英治文化賞受賞、1995年肝臓ガンのために、54才にて死去。 かつてなら大家族のなかで、誰かが傷付いた人の面倒みた。 しかし、現代の家族には、そうした機能が失われつつあり、個人は裸のまま社会に放りだされる。 社会に放り出された人を、家族の一員のように労ろうとする奇特な人がいる。 ほんとうに頭が下がるが、こうした人は自分の生活をも傷付いた人に差し出すのである。 本書は、彼を慕う人たちによって死後に出版された、ある信念に基づいて生きた男性の記録である。
私のバックグラウンドは、1967年の「憩いの家」設立に関わって以来28年間の憩いの家の施設運営と子どもの処遇にある。その経験が、1991年の「子ども虐待防止センター」の設立への参加、センター代表への就任とつながった。それほどこの2つの運動は、私の中では密接につながっているのである。ちなみに、その後、精神障害者のグループホーム「めぐハウス」と薬物障害者のためのグループホーム「ダルク女性ハウス」の運営にも参加することになるが、これらも根は全く同じ問題であると実感している。それは、家庭内の葛藤、親子の葛藤の末に受けた、心の傷を処理できない人たちの問題である。彼らの心の傷を癒し、社会生活を営めるように援助する、さまざまな実践が私の活動である。(はじめに) 上記は、広岡氏が自分のワープロに残した文章である。 本書を読んでいると、こうした人物がいたことに自然と頭が下がる。 社会の問題となるところを、個人で引き受けて活動する。 もちろん、個人のできることには限界がある。 しかし、彼はまだ行政も手をつけていないケースにも、積極的に行動を起こしている。 筆者は大学院へすすみ、科学者としての道を歩き始めた。 大学院1年生の時から、憩いの家の活動にかかわる。 研究者の生活を15年続けた後、40才を超えて道を大きく変え、 憩いの家の活動に専念するようになった。 憩いの家とは、暮らしの場で、ごく普通の生活がおこなわれている。 彼はいわばそこの寮夫として、子供たちとの間に信頼関係を築くのである。 主役である子供たちのゴタゴタにつきあって、子どもの成長を見守る、それが彼のスタンスである。 それは一種の家族であろう。 三宿の家、経堂の家と、彼は子供たちを全身で引き受ける。 憩いの家でやっていることは、生きるテクニックを教えることではありません。生きるエネルギーを与えることです。社会の仕組みを教えてあげることは大切なことですが、それ以前の対人関係のもち方、信頼関係のもち方がわからない子どもがほとんどなのです。憩いの家に来る過程で、大人に裏切られてきている子ども達です。大人に身体的、精神的虐待を受けている子ども達は、「信頼される」「愛される」経験がありません。憩いの家に入ってくる時点では、大人に対する不信感に満ち満ちています。他人を信用できない、自己肯定感に乏しい子ども達に、対人関係の悪さを説教しても始まらないのです。P260
伝統的な社会では、全員が役割に生きており、今日的な愛情がなくても無事に育った。 立場を処していくことが、愛情の代わりになった。 そして、仕事は身の回りに、家業としてあった。 だから、成長するにしたがって、生きるための職業を自然のうちに身につけた。 しかし、豊かな社会では、仕事が身の回りに見えない。 そして、愛されることを知らずに育つと、人間的に成長できない。 近代とは、立場での行動を否定する社会であり、誰も立場で行動しない。 だから、明示された愛情が不可欠になるのである。 愛情の表現が難しくなってきた。 かつては父であること母であること、つまり子供を養っていれば、それがすなわち愛情の表現だった。 生きることが厳しい社会では、養うことがそのまま愛情表現だった。 しかし、今では経済的に養うだけでは、父親失格である。 もちろん食事を与えるだけでは、母親失格である。 つねに子供に目を向け、気にかけ、一緒の時間を過ごす。 子供の精神面に、温かい感情を注ぎ続けなければ、親子関係は正常に持続できない。 社会はますます豊かになるので、愛された経験いいかえると愛されたと感じないと、他の人を愛することができない。 自分に子供ができても、その子供を愛することができないのである。 彼の目は、精確である。虐待に関して、彼は次のように言う。 私には、今言われている虐待の定義に入るものは、日本の社会の中で脈々と存在し続けてきたものと思われる。違ってきたのは大人と子どもとの関係で、子どもを見る視点が違ってきたのである。違ってきた分だけ、虐待が表面化してきたのである。この変化に、女性のほうが敏感に反応していて、男性は抵抗しているように思える。これは、この社会において、女性のほうが虐げられた立場に近いからだろう。P281 女性のほうが虐げられた立場に近い、確かにそう思う。 しかし、虐げられた立場いるからといって、女性による子供虐待が許されるはずはない。 実質的には女性が解放されなかったのは、フェミニズムが主張するとおりである。 しかし建前のうえでは、近代は人間を解放したのであって、男性だけ女性だけを解放したのではない。 今後、個人はますます裸にされる。 家族の楯という保護を失って、そのまま社会に放り出される。 思ってもみなかった事態が現出するだろう。 しかし、前近代や大家族に戻ることは不可能だとすれば、 個人が個人のままで生活できるように、社会を変えていかなければならない。 それは血縁のつながった人間の集団を家族とするのではなく、精神性のつながった人間を家族と見なす社会をつくることである。
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