匠雅音の家族についてのブックレビュー    静かなたたかい−広岡知彦と「憩いの家」の30年|財)青少年と共に歩む会編

静かなたたかい
  広岡知彦と「憩いの家」の30年
お奨度:

著者:財)青少年と共に歩む会編−朝日新聞社、1997年  ¥2000−

著者の略歴− 広岡知彦の経歴=1941年、東京生まれ。東京大学卒業。理学博士。1986年憩いの家の専従職員となる。1990年吉川英治文化賞受賞、1995年肝臓ガンのために、54才にて死去。
 かつてなら大家族のなかで、誰かが傷付いた人の面倒みた。
しかし、現代の家族には、そうした機能が失われつつあり、個人は裸のまま社会に放りだされる。
社会に放り出された人を、家族の一員のように労ろうとする奇特な人がいる。
ほんとうに頭が下がるが、こうした人は自分の生活をも傷付いた人に差し出すのである。
本書は、彼を慕う人たちによって死後に出版された、ある信念に基づいて生きた男性の記録である。
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 私のバックグラウンドは、1967年の「憩いの家」設立に関わって以来28年間の憩いの家の施設運営と子どもの処遇にある。その経験が、1991年の「子ども虐待防止センター」の設立への参加、センター代表への就任とつながった。それほどこの2つの運動は、私の中では密接につながっているのである。ちなみに、その後、精神障害者のグループホーム「めぐハウス」と薬物障害者のためのグループホーム「ダルク女性ハウス」の運営にも参加することになるが、これらも根は全く同じ問題であると実感している。それは、家庭内の葛藤、親子の葛藤の末に受けた、心の傷を処理できない人たちの問題である。彼らの心の傷を癒し、社会生活を営めるように援助する、さまざまな実践が私の活動である。(はじめに)
 
上記は、広岡氏が自分のワープロに残した文章である。
本書を読んでいると、こうした人物がいたことに自然と頭が下がる。
社会の問題となるところを、個人で引き受けて活動する。
もちろん、個人のできることには限界がある。
しかし、彼はまだ行政も手をつけていないケースにも、積極的に行動を起こしている。

 筆者は大学院へすすみ、科学者としての道を歩き始めた。
大学院1年生の時から、憩いの家の活動にかかわる。
研究者の生活を15年続けた後、40才を超えて道を大きく変え、
憩いの家の活動に専念するようになった。
憩いの家とは、暮らしの場で、ごく普通の生活がおこなわれている。
彼はいわばそこの寮夫として、子供たちとの間に信頼関係を築くのである。
主役である子供たちのゴタゴタにつきあって、子どもの成長を見守る、それが彼のスタンスである。
それは一種の家族であろう。
三宿の家、経堂の家と、彼は子供たちを全身で引き受ける。

 憩いの家でやっていることは、生きるテクニックを教えることではありません。生きるエネルギーを与えることです。社会の仕組みを教えてあげることは大切なことですが、それ以前の対人関係のもち方、信頼関係のもち方がわからない子どもがほとんどなのです。憩いの家に来る過程で、大人に裏切られてきている子ども達です。大人に身体的、精神的虐待を受けている子ども達は、「信頼される」「愛される」経験がありません。憩いの家に入ってくる時点では、大人に対する不信感に満ち満ちています。他人を信用できない、自己肯定感に乏しい子ども達に、対人関係の悪さを説教しても始まらないのです。P260
 
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 まったくそのとおりだと思う。
伝統的な社会では、全員が役割に生きており、今日的な愛情がなくても無事に育った。
立場を処していくことが、愛情の代わりになった。
そして、仕事は身の回りに、家業としてあった。
だから、成長するにしたがって、生きるための職業を自然のうちに身につけた。
しかし、豊かな社会では、仕事が身の回りに見えない。
そして、愛されることを知らずに育つと、人間的に成長できない。
近代とは、立場での行動を否定する社会であり、誰も立場で行動しない。
だから、明示された愛情が不可欠になるのである。

 愛情の表現が難しくなってきた。
かつては父であること母であること、つまり子供を養っていれば、それがすなわち愛情の表現だった。
生きることが厳しい社会では、養うことがそのまま愛情表現だった。
しかし、今では経済的に養うだけでは、父親失格である。
もちろん食事を与えるだけでは、母親失格である。
つねに子供に目を向け、気にかけ、一緒の時間を過ごす。
子供の精神面に、温かい感情を注ぎ続けなければ、親子関係は正常に持続できない。
社会はますます豊かになるので、愛された経験いいかえると愛されたと感じないと、他の人を愛することができない。
自分に子供ができても、その子供を愛することができないのである。

 彼の目は、精確である。虐待に関して、彼は次のように言う。

 私には、今言われている虐待の定義に入るものは、日本の社会の中で脈々と存在し続けてきたものと思われる。違ってきたのは大人と子どもとの関係で、子どもを見る視点が違ってきたのである。違ってきた分だけ、虐待が表面化してきたのである。この変化に、女性のほうが敏感に反応していて、男性は抵抗しているように思える。これは、この社会において、女性のほうが虐げられた立場に近いからだろう。P281

 女性のほうが虐げられた立場に近い、確かにそう思う。
しかし、虐げられた立場いるからといって、女性による子供虐待が許されるはずはない。
実質的には女性が解放されなかったのは、フェミニズムが主張するとおりである。
しかし建前のうえでは、近代は人間を解放したのであって、男性だけ女性だけを解放したのではない。

 今後、個人はますます裸にされる。
家族の楯という保護を失って、そのまま社会に放り出される。
思ってもみなかった事態が現出するだろう。
しかし、前近代や大家族に戻ることは不可能だとすれば、
個人が個人のままで生活できるように、社会を変えていかなければならない。
それは血縁のつながった人間の集団を家族とするのではなく、精神性のつながった人間を家族と見なす社会をつくることである。
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参考:
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
越智道雄「孤立化する家族」時事通信社、1998
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
賀茂美則「家族革命前夜」集英社、2003
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997
黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
E・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、1970
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ジョージ・P・マードック「社会構造 核家族の社会人類学」新泉社、2001
S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001
石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002
マーサ・A・ファインマン「家族、積みすぎた方舟」学陽書房、2003
上野千鶴子「家父長制と資本制」岩波書店、1990
斎藤学「家族の闇をさぐる」小学館、2001
斉藤学「「家族」はこわい」新潮文庫、1997
島村八重子、寺田和代「家族と住まない家」春秋社、2004
伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004
山田昌弘「家族のリストラクチュアリング」新曜社、1999
斉藤環「家族の痕跡」筑摩書房、2006
宮内美沙子「看護婦は家族の代わりになれない」角川文庫、2000
ヘレン・E・フィッシャー「結婚の起源」どうぶつ社、1983
瀬川清子「婚姻覚書」講談社、2006
香山リカ「結婚がこわい」講談社、2005
山田昌弘「新平等社会」文藝春秋、2006
速水由紀子「家族卒業」朝日文庫、2003
ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河出書房新社、2004
川村邦光「性家族の誕生」ちくま学芸文庫、2004
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001
菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」すばる舎、2005
原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003
A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998
ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001
中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005
佐藤文明「戸籍がつくる差別」現代書館、1984
松原惇子「ひとり家族」文春文庫、1993
森永卓郎「<非婚>のすすめ」講談社現代新書、1997
林秀彦「非婚のすすめ」日本実業出版、1997
伊田広行「シングル単位の社会論」世界思想社、1998
斎藤学「「夫婦」という幻想」祥伝社新書、2009

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