匠雅音の家族についてのブックレビュー    戦前の少年犯罪|管賀江留郎

戦前の少年犯罪 お奨度:

著者:管賀江留郎(かんが えるろう)   築地書館 2007年 ¥2100−

 著者の略歴− ウェプサイト<少年犯罪データベース>主宰者。国立国会図書館にこもって、古い新聞と雑誌をひたすら読み続ける日々を送っている。<少年犯罪データベース>は「少年犯罪」で検索すればヤフーでもグークルでもトップに表示されますので、そちらのリンクから辿ってご覧ください。戦後の事件データも網羅しています。

 肉体労働から頭脳労働へと、時代の価値が変化しているとみる当サイトは、
時代が下るにしたがって肉体による凶悪犯は減ると考える。
そのため、本書に書かれた事実にはまったく驚かない。むしろ、当然だろうと思う。
同じことを「<物語>日本近代殺人史」で山崎哲さんも言っている。
問題は、筆者も言うように、事実を事実として確かめもせずに、時代について発言する人たちである。
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 現在の若者が犯罪に走りやすいとか、少年犯罪が凶悪化しているとか、巷間で言われている。
しかも、ほぼ全員が異口同音に、今の少年は非行化が激しく、昔の少年たちは暴力などに訴えなかったかのようにいう。
それはマスコミに限らない。
学者から官僚まで、昔の若者に比べると現代の若者は酷いという。

 ジャーナリストも学者も官僚なども物事を調べるという基本的能力が欠けていて、妄想を垂れ流し続けています。物事を調べるという一番の基礎的学力がない人々が、ジャーナリストや学者や官僚などの職についてしまっているということです。現代の専門家の学力低下は深刻です。P292

という筆者の憤りには、まったく共感する。
それはパオロ・マッツァリーノが、「反社会学講座」でも言っているとおりである。
本書は、上記のような風潮に、事実をもって抗議している。

 肉体支配の時代とは、肉体が労働に剥き出しで使われていたことである。
いいかえれば労働において暴力が使われていたということだ。
時代をさかのぼれば、肉体優位になることこそあれ、頭脳優位になることはない。

 人間の歴史は、肉体労働から頭脳労働へと変化してきた。
だから、時代が下るにしたがって、人間は非暴力的になるは当然である。
デスクワーク中心の頭脳労働では、まちがっても肉体という暴力が行使されることはない。
とすれば、現代の若者は平和志向である。
反対に昔の少年犯罪は、現代のそれより凶悪だと考えて、何の不自然もない。
理屈で考えれば、時代が下るにしたがって、非暴力的になるのは簡単に理解できる。

 時代を見る原則がないから、虚構と現実を混同してしまうのだ。
しかも、マスコミなどで発言する人々は、中・高齢者になっているので、
自分は有能だという傲慢さにとらわれている。
その結果、自分を冷静に見ることができず、若者を悪く言いたくなるのだ。
今の若者は社会的なマナーも良いし、けっして暴力的ではない。

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 少年人口(10〜19歳)10万人あたりの少年刑法犯比較によれば、殺人は1936年(昭和11年)の1.05が、2005年(平成17年)には0.58になっています。巻末資料P28

 70年前の少年たちは、今の少年の2倍も殺人を犯していた。
これは少年だけに限らないだろう。
昔の人は成人も、カッとなりやすく、喧嘩っ早く、すぐ手を出した。
その結果、殺人に至ってしまったと思う。
戦後のデーターを見ても、その傾向がはっきりしている。
とにかく現代の若者は、平和愛好家なのである。

 そのなかで、中・高齢者の犯罪は、急増している。
最近も、中・高齢者の犯罪が増加したので、
刑務所に収監される中・高齢者が、3倍にふえたという記事が東京新聞にでていた。
しかも、女性の中・高齢者は4倍増だという。
年齢秩序の崩壊と性別役割の解消は、中・高齢者と女性の犯罪をふやすことに、結果するのは当然なのだ。

 処女性が大切だというのも、最近の概念である。
本書は、幼女レイプ事件で、国民新聞から次の警察署長のコメントを引用している。
  
 「最初は単なる一つの暴行事件として取調べを開始したのですが目星い容疑者を続続検挙して取調べた結果、深川東大工町より砂町一円にかけて細民階級の間に性道徳という観念がなく、全く畜生道に堕ちている事実がわかって驚くべき事は暴行された幼児の親達が犯人の自白によってはじめてその事実を知り、それでも尚平然としていることです」P128

 貧乏人には性道徳という観念がない。
被害者は満12〜13歳の女性だが、この年齢でもセックスをしていた。
セックスの低年齢化などというが、まったく事実とは反する。
昭和天皇を産んだ節子さんは、15歳でセックスしたから、16歳で出産したのだ。
むしろ、昔の女性たちのほうが、小さなときからセックスをしており、現代女性のほうが奥手である。

 ここで問題になっているのは、レイプという犯罪である。
合意のセックスと犯罪であるレイプが違うだけで、処女を守るという性道徳はなかった。
現代のレイプを、女性の自己決定権への侵害ととらえるのとは、ほんとうに違うのだ。

 ところで、2.26事件の解釈を、老人対若者として論じるのは面白い。
 
 一般に軍内部の派閥争いのように説明されていますが、青年将校が支持していたのは思想云々ではなく要するに若者にやたらと理解があるように振る舞っていた軍幹部ばかりで、つまるところ頭の硬い年寄りを排除して若者が軍や国の実権をにぎることに彼らの最終的な目標がありました。
 皇道派の幹部たちは自分たちが力を持てるように単細胞の若いもんをおだてて煽動していたに過ぎないんですが、その青年将校の暴走の道連れに失脚してしまって結局なんにも達成できませんでしたから、戦前の一連の流れは皇道派と統制派の対立というよりも、老人と若者、ふたつの世代間の殺し合いだったと見たほうが歴史的に正しいのではないかと思えます。P75


 現代の若者論をみれば、こうした視点は充分に考えられる。
自分は正しいという自惚れに満ちた、現代から読み込んだ願望と、事実を区別できない視点こそ、ほんとうに恐いことだ。

 しかし、本書が築地書館という小さな出版社からでているのを見ても判るように、
根拠なき若者バッシングは続くに違いない。
管理社会化の徹底が、為政者たちの目標なのだろう。
管理化を徹底したら、自主性などなくなってしまう。
ほんとうに今後どうなっていくのだろう。    (2008.2.28)
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参考:
松原岩五郎「最暗黒の東京」岩波文庫、1988
鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001
小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
リチヤード・B・ガートナー「少年への性的虐待」作品社、2005
広岡知彦と「憩いの家」「静かなたたかい」朝日新聞社、1997
高山文彦「地獄の季節」新潮文庫、2001 
マイケル・ルイス「ネクスト」潟Aスペクト、2002
服部雄一「ひきこもりと家族トラウマ」NHK出版、2005
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972
ロイス・R・メリーナ「子どもを迎える人の本」どうぶつ社、2005
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年

芹沢俊介「母という暴力」春秋社、2001
鈴木邦男「公安警察の手口」ちくま新書、2005
高沢皓司「宿命」新潮文庫、2000
見沢知廉「囚人狂時代」新潮文庫、2000
ジョン・ハワード「18世紀ヨーロッパ監獄事情」岩波文庫、1994
山本譲司「累犯障害者」新潮社、2006
足立正生「塀の中の千夜一夜」愛育社、2005
三浦和義「弁護士いらず」太田出版、2003
浅野健一「犯罪報道の犯罪」新風舎文庫、2005
山崎哲「<物語>日本近代殺人史」春秋社、2000
菊田幸一「日本の刑務所」岩波新書、2002
有村朋美「プリズン・ガール」新潮文庫、2005
佐藤清彦「にっぽん心中考」文春文庫、2001
管賀江留郎「戦前の少年犯罪」築地書館 2007
浜田 寿美男「自白の研究」三一書房、1992
小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001
流山咲子「女子刑務所にようこそ」洋泉社、2004
藤木美奈子「女子刑務所」講談社文庫、2001
ヨシダトシミ「裁判裏日記」成美堂出版 2008
小室直樹「痛快!憲法学」集英社、2001
芦部信喜「憲法判例を読む」岩波書店、1987
D・T・ジョンソン「アメリカ人のみた日本の検察制度」シュプリンガー・フェアラーク東京、2004
河合幹雄「安全神話崩壊のパラドックス」岩波書店、2004

河合幹雄「日本の殺人」ちくま新書、2009

佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995


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