著者の略歴−1947年大阪生れ。全共闘運動を経験したのち記者、編集者を経てフリ ージャーナリストとなる。専門は戦後日本の社会運動と学生運動。1990年以降北朝鮮訪問を 重ね、亡命者たちへの取材を続ける。「宿命」1999で講談社ノンフィクション賞受賞。他の著 書に「全共闘グラフイテイ」「カンボジア、いま」「プント〔共産主義者同盟〕の思想」などがある。 1970年3月31日におきた日本航空351便のハイジャック、通称よど号事件と呼ぶそれは、 赤軍派の男性9人によって決行されて、北朝鮮へと向かった。 まだ海外旅行が珍しかった時代、ハイジャック自体が驚きだった。 マスコミも連日報道した。 事件自体は、当時の新聞などを調べれば、膨大な資料が出てくるだろう。 本書は、ハイジャックのおきる前から筆をおこし、 北朝鮮にわたった赤軍派諸君の、その後の様子を凄まじい執念で、克明に追いかけたルポルタージュである。
筆者は団塊の世代に属し、筆者自身も過激派学生として「共産主義者同盟(ブント)赤軍派」の活動家だった。 筆者はまた、よど号のリーダーだった田宮高麿の友人でもあった。 なぜ渡航先が北朝鮮だったのか、北朝鮮での生活はどうか、その後の活動はどうなっているのか、と執念をかけて調べに調べたのが本書である。 自分たちの仲間が、ハイジャックをした。そのこと自体は、革命闘争の一環だから、彼らにとって好悪の対象ではない。 かつての友人が、北朝鮮にわたったきり、まったく音信を途絶させた。 同じ信念を共有してきた人間には、その後が知りたくなるのは自然のことだ。 ハイジャックという非常手段で、押し掛けていった赤軍派は、北朝鮮から歓迎された。 立派な招待所をあてがわれ、多くの服務員が彼らにサービスする。 物質的には恵まれた環境を与えられた彼らだが、 世界革命を叫ぶ彼らの思想は、北朝鮮には馴染まないものだった。 そこで金日成主義=チュチェ思想への洗脳が始まる。 自己批判、相互批判の堂々めぐりは、やがて敵と味方を見誤り、仲間を見失ってしまう。仲間はもはや「生きるも死ぬもともに」と書かれた昨日の姿ではなく、些細なことをあげつらい糾弾していく対象になる。組織の内部に敵を見つけることが、いかにも意味のある政治的な活動だと誤解してしまう。判断の基準はここで、人生論に接ぎ木されたチュチェ思想だった。このときから、その「思想」が彼らの最高規範となった。P130 贅沢な環境のなかで思想教育を受け、 彼らは世界革命家から、北朝鮮の金日成に奉仕する兵隊になっていく。 本書を読んでいると、思想教育というのが、あからさまな強制ではないことがよく判る。 だいたい本人の意志に反した教えを、詰め込むことは不可能である。 表面的には同化したように見せるかもしれないが、 環境が変われば強制された思想は、たちまち捨て去られる。 それでは思想改造が、何の役にも立たない。 宗教のように、心から信じなければ、思想教育が成功したとは言えない。 ゆっくりと時間をかけ、本人が納得するように穏やかに行われる。 北朝鮮は、思想改造に成功する。 そして、彼らに日本人女性があてがわれ、結婚が行われる。 「結婚作戦」と名づけられた女性獲得「任務」は、「よど号」グループの自主的な発意とメンバー全員の意見の一致をみて彼らがヨーロッパに出かけ、 そこでたまたま出会った日本人女性と「革命的」な恋愛のすえに結ばれ、北朝鮮に連れ帰った、という女性たちの語るストーリーと同じものである。田宮にとってもこのストーリーは、自分が提起し実行した″そうであるべき「真実」″の範疇に属していた。P209
メンバーの1人小西隆裕の妻は、小西を捜して自発的に北朝鮮にわたったが、 他の女性たちは政略的な結婚だった。 見合い写真もなく、北朝鮮にわたった女性たち。 信じることは強い。 チュチェ思想と結婚したといっても良い。 そして、子供という人質ができるところには、赤軍派諸君の思想改造も完成していた。 そののち彼らは、北朝鮮からヨーロッパに渡り、工作員としての活動を始める。 赤軍、ハイジャック、革命、こうしたことは、市井の生活ではアンタッチャブルである。 学生運動の熱気もさめ、連合赤軍の浅間山荘事件以来、過激派に言及するのはきわめて厳しくなっていた。 しかし、公安をはじめわが国の人々は、赤軍派の人たちが北朝鮮にいるとばかり思っていた。 そうしたなか北朝鮮のうごきは、不気味な様相を見せはじめる。 ヨーロッパやわが国での、日本人男女の拉致事件、麻薬や密輸の遂行、偽ドルの大量使用などなど、徐々に北朝鮮の手口が明らかにされてきた。 その少なからざる部分に、赤軍派が関係していた。 その事実を知ったときの衝撃は、激しいものだった。 そして、赤軍派の子供たちが、最近帰国したことは記憶に新しい。 彼女たちの日本語に、まったく訛りがなかったことも、非常な驚きだった。 赤軍派の革命思想は問うまい。 突出した思想より前に、日常を支える感覚に妙なすわりの悪さを感じる。 本書は、いかに革新的な思想を唱えても、その国民は自分の感覚にあった思想しか体得できないことを教えている。 世界革命をとなえた赤軍派は、きわめて義理人情に厚い人たちであり、論理にいきる近代人ではない。 彼らの精神状態は、旧来の人とまったく同じだった。 また、北朝鮮が共産国といっても、その内実では血縁を重んじる。 そこは前近代的な儒教的な社会である。 北朝鮮には、近代とは無縁な価値観が、支配していることをも本書は教えている。 それが在日朝鮮人の女性を、赤軍派の花嫁にしたのである。 朝鮮労働党にとってこの血の融合という事実は、ある重要な意味を持っていた。来たるべき日、いつになるのかは分からないが日本に金日成主義の革命が成就する日、その中心となるべき「よど号」グループのリーダーの子どもたちに朝鮮民族の血が流れていることは是非とも必要なことだったからである。それでこそ、日本海を挟んだ対岸の国の<革命>が、金目成主義による半島の<革命>と直結するものとなる。P602 代を継いでの革命は、金日成の子供が主席を継承することにつながり、 血統を重視した民族主義へと連なっていく。 共産主義思想は、すでにスターリニズムとして、徹底的に批判され尽くしている。 しかし、私たちはほんとうに近代を、みずからのものとしたのだろうか。 本書のむこうには、近代が生んだもう一つの思想=フェミニズムが透けて見える。 フェミニズムは本当に近代を超えられるだろうか。 信じる者は強い。 本書は思想が人を動かす強さともろさ、それに恐ろしさを余すところなく伝えている。 筆者がかつて赤軍派だったからこそ、これだけ徹底した取材ができたのだろう。 それにしても、筆者にとっては自分自身を切開するような、つらい現実の連続だったと思う。 赤軍派にとどまらず、本書から考えることは、まだまだたくさんある。 (2002.10. 18)
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