匠雅音の家族についてのブックレビュー   同性愛と異性愛|風間孝&河口和也

同性愛と異性愛 お奨度:

著者:風間孝(かざま たかし) 河口和也(かわぐち かずや)
岩波新書 2010年 ¥760−

著者の略歴− 風間孝(かざま たかし)
1967年群馬県生まれ.東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得満期退学。現在−中京大学国際教養学部准教授。専攻−社会学,ゲイ・スタディーズ。著書−『ゲイ・スタディーズ』(共著,青土社)訳書−『グローバル・セックス』(デニス・アルトマン著,共訳岩波書店),『ゲイ・アイデンティテイ』(同前)
河口和也(かわぐち かずや)
1963年愛知県生まれ.筑波大学大学院博士課程社会科学研究科単位取得満期退学。現在−広島修道大学人文学部教授。専攻−社会学,ゲイ・スタディーズ。著書−『クイア・スタディーズ』(岩波書店)『ゲイ・スタディーズ』(共著,青土社)訳書−『グローバル・セックス』(デニス・アルトマン著,共訳岩波書店),『ゲイ・アイデンティテイ』(同前)

 1980年代以降を取り上げると言っている。
しかし、人はなぜ同性愛者になるのかと、冒頭で問うている以上、どうしても歴史的な背景を探らないわけにはいかないだろう。
いまさら「同性愛と異性愛」でもないだろうと思うのだが、本書はまじめに性的な志向を考えている。
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同性愛と異性愛 (岩波新書)

 伏見憲明の「ゲイという経験」などから比べると、同性愛であることの絞りが進んできたように思う。
かつては、男性の女装主義者も、オネエもなんでも、同性志向をすべて一緒に論じていたようだ。
そのため、ホモ=男色(少年愛)とゲイの区別がつかず、男色もゲイと見なしがちだった。

 かつて、同性愛者は歴史的にいつでもいた、という主張がみられた。
少数者が自己正当化するためには、歴史の長さを持ちだしたくなったのだろう。
しかし、本書ではゲイとホモははっきりと区別されている。
ゲイが誕生したのは、たかだか百数十年前だ、と明言している。
  
 男色と同性愛はしばしば区別なく論じられてきた。しかし、この両者は、似て非なるものである。男色とは、古代までさかのぼることのできるものであり、男性間の単なる性的関係ではなく、成人前の年下の男性と成人した男性のあいだの、性行為を含む親密な関係を指す。未成年の男性は受動的な役割を求められたのに対し、成人男性は能動的な役割であるとされた。まず、年齢差をともなう、対等ではない関係であるという点において、現代の同性愛一般とは異なっている。P95

 本サイトでは今さらであるが、男色はゲイとはまったく違うものである。
ゲイとホモの違いが、若い人にもやっと浸透してきた、と嬉しく思う。

 年長男性が若年男性を、肉体関係も含めて愛するのが男色である。
男色は挿入する年長者が上、挿入される若年者が下という、あきらかな上下関係に基づいたものである。
若年男性は社会的な劣位にある女性の代わりに過ぎない。
挿入されるほうが、劣位にあることは同じである。
それにたいして、ゲイはほぼ同じ年齢や社会的な地位など、あくまで横並びの関係である。

 近代以前の農耕社会では、上下関係は文化を継続させるためにも必要だった。
学校がなかったので、文化や生産技術は、人から人へと直接に伝えられた。
伝統芸能の世界のように、そこに肉体関係が登場しても、不思議ではなかった。
近代にはいるとき、年長者の知恵が役に立たなくなった。
ここで「饗宴」が賛美するような少年愛が否定されていく。
ゲイと少年愛のホモの区別が付かなかったので、ゲイが小学校教員に拒否された理由でもある。
男色は現代では児童虐待という犯罪である。
 
 ストレート・ゲイだけを認めるのは、差別だと言われそうであるが、本サイトは基本的にストレート・ゲイをゲイの本旨と考えている。
そのため、ドラッグ・クィーンなどには、ちょっと冷たい立場である。
そして、映画「ボーイズ ドント クライ」が描いたような性同一性障害は、ほとんど別の対応をすべきだろうと考えている。

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 ボクは我が国は、同性愛者に寛容だと考えている。
たしかに、夢の島で同性愛者らしき男性が、殺されてもいる。
また、ゲイであると公言できないこともあるだろう。
しかし、ゲイであるがゆえに、アパートを貸してくれないとか、就職できないといった話はきかない。
ましてや、ゲイであるがゆえに、焼き殺されたり、ハッテン場以外で殺されることもない。

 筆者は我が国もゲイには寛容ではないと言う。
しかし、それは少数者であることからくる、もの珍しさではないだろうか。
日本人で60歳のボクが、妻を紹介するといって、20歳の黒人女性を連れてきたら、周りの人は驚くに違いない。
誰でも常識となっている知識をもっているから、会話が成り立つのであり、その常識を裏切れば、驚かれるのは当然である。

 異性愛が多数者の社会で、同性志向すれば、多数派に属する人は驚いて当然である。
それを差別と呼んだら、人間の認識が成り立たなくなってしまう。
差別というのは、アカーの事例のように、制度上の対応が違うといった場合である。
我が国の場合、ゲイを知らないがゆえに、多数派はゲイに対して、無意識のうちに非常識な対応を取っていると思う。
 
 親にゲイであることをカムアウトしたら、孫の顔が見たいといわれて、偽装結婚したという話など、結婚相手の女性に対する犯罪だと思う。
生涯独身とか、子供を持たない決意をした者にとっては、老後の心配はゲイとまったく変わらない。
子供の問題はゲイだけの問題ではない。
本書を読んでいると、ゲイだけが差別の対象になっているかのようで、甘えるんじゃないよと言いたくなる。

 西洋のゲイたちは、ゲイが少年愛とは違うこと、ゲイも人間であると主張して闘ってきた。
そのためには、フェミニズムが理論を構築してきたように、ゲイとしての理論的な基盤を構築する必要がある。
しかし、フェミニズムが我が国に入ってきたら、大学フェミニズムとなって歪曲されてしまった。

 本書を読む限り、西洋諸国のゲイ運動との関係でしか、ゲイが考えられていないように感じる。
フェミニズムがたどった道と同じ行く末だろうか。
差別されている、少数者だと、自分を被害者側におきたがるのは、我が国のフェミニズムと似ている。
そのため、我が国のゲイに、ゲイ理論を期待することは、難しいかも知れない。

 我々は差別されていると、差別の解消を訴えると、どうしても暗くなる。
ゲイは人間の解放をめざした、明るく未来志向の運動だった。
差別されて陰々滅々としているのではなく、自分たちで自分たちの住処を切り開いていくべきだ。
自由を求めた解放の運動として、ゲイを位置づけて欲しい。

 ゲイは婚姻できなくて、ストレートが羨ましいかも知れないが、核家族を作る結婚制度はすでに破綻している。
筆者の2人とも、すでに大学に職を得て、安定した収入の道を確保したではないか。
ゲイこそ単家族を志向すべきだ。

 老婆心ながら、ゲイは大学でゲイ・スタディを専門にせずに、法律や経済学など旧来の領域で勝負すべきである。学生にゲイ・スタディを教えても、 社会にでて役に立たないではないか。ゲイ・スタディは偉大な趣味に止めるべきである。  (2010.4.13) 
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参考:
早川聞多「浮世絵春画と男色」 河出書房新社、1998
松倉すみ歩「ウリ専」英知出版、2006年
ポール・モネット「ボロウド・タイム  上・下」時空出版、1990
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛 鳥新社、2001
伊藤文学「薔薇ひらく日を 薔薇族と 共に歩んだ30年」河出書房新社、2001
モートン・ハント「ゲイ:新しき隣 人たち」河出書房新社、1982
リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」 筑摩書房、1996

尾辻かな子「カミングアウト」講談社、 2005
伏見憲明+野口勝三「「オカマ」は差別か」 ポット出版、2002
顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000
及川健二「ゲイ パリ」長崎出版、 2006
礫川全次「男色の民俗学」 批評社、2003
伊藤文学「薔薇ひらく日を」河出書房 新社、2001

リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」 筑摩書房、1996
稲垣足穂「少年愛の美学」河出 文庫、1986
ミシェル・フーコー「同性愛と生存の美学」 哲学書房、1987
プラトン「饗宴」岩波文庫、1952
伏見憲明「ゲイという経験」ポット出 版、2002

東郷健「常識を越えて オカ マの道、70年」 ポット出版、2002
ギルバート・ハート「同性愛のカルチャー研究」 現代書館、2002
早川聞多「浮世絵春画と男色」 河出書房新社、1998
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛 鳥新社、2001
神坂次郎「縛られた巨人」 新潮文庫、1991
風間孝&河口和也「同性愛と異性愛」岩波新書、2010
匠雅音「核家族か ら単家族へ」丸善、1997

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