匠雅音の家族についてのブックレビュー   シズコさん|佐野洋子

シズコさん お奨度:

著者:佐野洋子(さの ようこ)  新潮社 2008年 ¥1400−

著者の略歴−1938(昭和13)年北京生れ。武蔵野美術大学デザイン科卒。ベルリン造形大学でリトグラフを学ぶ。絵本作家、エッセイスト。代表作に『100万回生きたねこ』、『わたしが妹だったとき』(新美南吉児童文学賞)、『わたしのぼうし』(講談社出版文化賞絵本賞)、エッセイ『神も仏もありませぬ』(小林秀雄賞)、『ふつうがえらい』、『私の猫たち許して性しい』など。2003年紫綬褒章を受章。
 中山千夏の「幸子さんと私」を読んで、日本的なウエットさが強い、と感想を書いた。
しかし、本書はそんなものではない。
ドロドロのウエットさである。
我が国の母子関係というのは、こんなにもウェットなのだろうかと暗澹とした。
男性のオフクロ賛美と裏表なのだろう。
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シズコさん

 中山千夏も筆者も、きわめて優秀な女性である。
優秀な女性たちが、自分の母親との確執を書く。
ウェットでありながらも、母親を相対化する作業に、女性たちがやっと手を付け始めたように思う。
いままで男しか、自己相対化しなかった。女性も母殺しに手を付け始めたのだ。

 筆者は母親を愛していなかったという。

 私が母を愛していたら、私は身銭を切らなくても平気だったかも知れない。大部屋で転がされていた、私が知っている特養に入れても良心はとがめなかったかも知れない。私は母を愛さなかったという負い目のために、最上級のホームを選ばざるを得なかった。P21

 何と世間向けの発言だろう。
筆者はボクより10歳年上だ。
ボクも母を愛してはいなかったが、身銭は切らなかった。
母親が脳腫瘍の手術をした後、病院から退院を要求されて、入院先を探し回ったことがある。
命は助かった。
しかし、回復が見込めない患者は、どこの病院でも受け入れない。
仕方なしに養老院も見に行った。

 筆者がいうところの、大部屋で転がされた養老院も見た。
そこに入れるのをためらったのは、愛していたからでも愛していなかったからでもない。
その養老院は、ボクが入院すると考えたら不快だったから、母親の入院を決断しなかっただけだ。
しかも、出資元は母親の夫であり、ボクは身銭を切らないにもかかわらずだ。

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 小便の匂いが漂う部屋で暮らすのは、いかに慣れるといえども避けたいものだ。
もちろん養老院の職員たちは、本当に良くやっていることも知っている。
それでも小便の匂いが付いてしまうのも知っている。
けれども筆者がいうのとは違う。
母親を大部屋に転がすことは、愛情とは関係のないことだ。

 リアルな日常生活に、愛を持ちだす精神というのは、一体どんな構造になっているのだろうか。
筆者が高額の費用を負担したのは、金持ちの単なる見得だろう。
それを愛情のなさというのなら、筆者特有の表現という他はない。

 母親が入所金7千万円の老人ホームを気に入ったら、自分の家を売っても費用を捻出するつもりだったという。
尋常の精神ではない。
本書は2006年1月から2007年12月の<波>に連載後、2008年4月に上梓されている。
どのような順序で書かれたのか判らないが、最後にはベタベタの関係が吐露されている。

 最後に母親と和解すれば、どんなに母親の悪口を書いても、読者が許してくれるだろうという、下心が見えるようだ。
そのせいか本書は上梓後4ヶ月で、10刷を重ねている。
さすがに商売の上手い新潮社である。

 私は、ずっと私の半生をかけて、母親と娘というものは特別に親密なもの違いないと思っていた。私だけなのだ、母親が嫌いなのは。しかしよく開くと、母親とうまくいかない娘というのは、ここほれワンワンの意地悪じいさんが掘り出す汚いもののように、想像を越えて沢山いた。
 離婚した母親の二度日の夫にレイプされつづけた人もいた。小説だけかと思った。その人は私の顔を見てすぐ云った。「あなた、お母さんとうまくいってないでしょ」
 息が止まりそうだった。私なんて甘いもんじゃないか。それなのに人相がそうなっているのか。
 学校から帰ってふすまをあけると母親がよその男とセックスしている最中だった人もいた。
P195


 いままで娘が母親への本心をいうことは少なかった。
いや子供が親の悪口を書いて、出版することはなかった。
子供が親の悪口を公言するのは、家庭の問題を外部にさらすことと、親不孝を公言するという、二重の意味でタブーだった。
商売上手な出版社から上梓されたといっても、こうした本が広範になって、親子関係を見なおすことが出来るのだ。

 評論家が親子関係を解説しても、評論家自身の内面は少しも痛くない。
自分の親子関係を、赤裸々に書くことができて、はじめて近代人になりうるのだ。
戦前生まれの前近代人が、自己相対化を始めてくれたのだから、団塊の世代もきっちりとした自己相対化をしなければならない。   (2010.4.21) 
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参考:
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可 能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的 基礎」桜井書店、2000
芹沢俊介「母という暴力」 春秋社、2001
イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」 筑摩書房、1994
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
下田治美「ぼ くんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
須藤健一「母系 社会の構造:サンゴ礁の島々の民族誌」紀伊国屋書店、1989
エリザベート・パダンテール「母性という神話」筑摩書 房、1991
斉藤環「母は娘の人生を支配する」日本放送出版協会、2008
ナンシー・チョドロウ「母親業の再生産」 新曜社、1981
石原里紗「ふざけるな専業主婦」新潮文庫、2001
石川結貴「モンスター  マザー」光文社、2007
イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」 筑摩書房、1994
江藤淳「成熟と 喪失:母の崩壊」河出書房、1967
増田小夜「芸者」平凡社 1957
岩下 尚史「芸者論」文春文庫、 2006
スアド「生 きながら火に焼かれて」(株) ソニー・マガジンズ、2004
田中美津「いのちの女たちへ」現代書 館、2001
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、 1988
ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジ ンズ、2002
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワー クス、2001
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、 1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」 大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書 房、1966
松下竜一「風 成(かざなし)の女たち」現 代思想社、1984
モリー・マーティン「素敵なヘルメット職 域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
小野清美「アンネナプキンの社会史」 宝島文庫、2000(宝島社、1992)
熊沢誠「女性労働 と企業社会」岩波新書、2000
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」 とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新 潮文庫、2005
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参 画社会」 洋泉社、2006
小関智弘「おんなたちの町工場」 ちくま文庫、2001
エイレン・モーガン「女の由来」どうぶつ社、 1997
シンシア・S・スミス「女は結婚すべ きではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」 東洋経済新報社、2001
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内 田 樹「女は何を欲望する か?」 角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、 2004
大塚英志「「彼女たち」 の連合赤軍」角川文庫、2001
鹿野政直「現代日本女性史」 有斐閣、2004
片野真佐子「皇后の近代」講談社、 2003
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、 2006
ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」 水声社 2001
山崎朋子「サ ンダカン八番娼館」筑摩書房、 1972
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書 店、1993
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、 1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」 思索社、1982
赤松良子「新版 女性の権利」岩波書 店、2005
マリリン・ウォーリング「新フェミニスト 経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」 平凡社、1992
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」 現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の 水書房、1987
鹿嶋敬「男女摩擦」 岩波書店、 2000
荻野美穂「中絶論争とアメリカ社 会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」 二見書房、2007
田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、 2000
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、 1952
スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、 1994
井上章一「美人 論」朝日文芸文庫、 1995
ウルフ・ナオミ「美の陰謀」TBSブリタニ カ、1994
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、 1994
ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」 中公新書ラクレ、2009
斉藤美奈子「モダンガール論」 文春文 庫、2003
光畑由佳「働くママが日 本を救う!」マイコミ新書、2009
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」 草思社、1997
奥地圭子「学校は必要 か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
フィリップ・アリエス「子 供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもから の自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史  まだ病院がなかったころ」勁草書房、1994
中山千夏「幸子さんと私」創 出版、2009
佐野洋子「シズコさん」新潮社、2008
匠雅音「核家族か ら単家族へ」丸善、1997

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