匠雅音の家族についてのブックレビュー      家庭という歪んだ宇宙|伊藤友宣

家庭という歪んだ宇宙 お奨度:

著者:伊藤友宣(いとう とものり)   ちくま文庫、1998(1990)年 ¥580−

著者の略歴−1934年(昭和9年)神戸市生まれ。大阪大学文学部(教育心理)在学中から、中学生のカウンセリングの実際活動にはいる。社団法人家庭養護促進協会事務局長をへて、1975年よりフリーの親子問題カウンセラー。神戸心療親子研究室を主宰。著書『話しあえない親子たち』(PHP新書)『“困った子”に悩む親たちへ』(海竜社)『いじめをほぐす』『登校拒否はことばで変る』(朱鷺書房)『しつける−生きる基本を身につけさせる本』(金子書房)など。

 子供の家庭内暴力に苦しむ話は、すでに何年も語られ続けている。
本書は1990年という早い時代に、家庭内暴力を検討したものである。
近代家族への引導がはっきりと渡されている。
親が子供に暴力をふるうのは昔からあった。
しかし、今ではそれは犯罪である。
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 20世紀末から今世紀にかけて、家族が変質している。
家族の質的な変質に対応できない親たちが、子供からの異議申し立てに困窮している。
その象徴が家庭内暴力だという。

 「知」「情」「意」の心理的力動を、より健全なものへ、安定したものへと、いわば心の成長をはかる手立てそのものを積極的に請じない限り、子どもの「家庭内暴力」という精神的未熟さの解消は、到底無理というものだ、と私は思う。
 大事なのは、急場の医学的治寮ではなくて、日常の暮しのなかで、いかに子どもの「宇宙」になじむかである。歪みは子ども自身のものというより、家庭の歪みの反映である。
 それはつまり、親が、子を誰かに治してもらおう、という他者依存、専門家任せではダメだということである。親自身の、自己洞察のいかんにかかわっている。P16


 そのとおりだと思う。
戦前までの家族は、いや高度経済成長までの家族は、生産組織だったのだ。
だから、何よりも食うことが優先した。
つまり、食うための食料を買うお金を得ることが、いちばんに優先された。

 江戸時代から戦前までは、農業が主な産業だったから、家族の全員が働き手だった。
だから、成人男性たちを男氏といって大切にはしたが、女性たちも決して蔑ろにされてはいなかった。
しかし、核家族化がすすみ、性別役割がふつうになると、男女の地位が大きく開いてきた。
お金を稼いでくる男性、つまり父親は誰よりも偉くなったのだ。

 核家族は男性と女性が、対等の立場で愛しあうことが前提である。
生産組織ではない核家族には、生産組織だった大家族が持っていた親和力はない。
そのため、男女が愛しあう努力をしないと、簡単に崩壊してしまう。
核家族を繋ぐのは、精神的な愛情だけなのだ。

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 高度経済成長が進み、食うことには困らなくなった。
ここで稼ぐ地位が下がった。
にもかかわらず、家族内の規範は、あるはずのない親和力に頼っていた。
アメリカの核家族のように、家族構成員が平等だという認識がなかった。
働き蜂が上で専業主婦が下という構造がつづいた。
男性はだまって働き、女性は家事に専念した。

 豊かな核家族で、子供たちはなるべき手本を見失ってしまった。
父親は会社で働いているが、どのように働いているか見えない。
しかも、父親は働くこと以外、どのように生きるべきかを知らない。
母親は子育てに熱心だが、結局は受験のレールに乗せようとしているだけだ。
それでいながら、家族は本心で話し合うことはない。
父親はたまに口を開けば、命令するだけ。
母親は子供の内心を理解しない。
子供は悩み、嘆きの泥沼に沈んでいった。

 家庭内暴力は優秀な子供ほど激しい。
それを親は身体的に壊れたと思いこんでしまう。
子供は青春の悩みにもがいているにもかかわらず、親は子供が理解できない。

 本書は、赤井家という架空の家庭を舞台に、家庭内暴力を記述していく。

 子どもの「家庭内暴力」などの起きる家庭は、家族の心が、違った別々の世界に生きていることに気づかない。前述のように、夫婦はうわべの共有の世界に安住し、ひややかに、子どもはそれを外から眺めるといった場合もあるし、あるいは、赤井家のように、両親それぞれにかたくなに自分の世界に固執しているというのもある。(中略)お互いの交流の善し悪しを吟味もせず、子が幼いうちは、子の心を圧迫し続けている親。
 いつしか子どもが、吐き出そうにも吐き出しきれない鬱屈を心に溜めていることに気づかない。長年にわたっての心の交流のこじれやゆがみが、家族の生活史を作り、それぞれの生き方の摩擦が、どんな心理的力動を生み、どんな厄介なものを堆積させることがあるのかをあまりにも気にかけない。P120


 家族は変質した。
もはや大家族的な親和力はない。
親子は等価であり、心でしか繋がっていない。
にもかかわらず、心の結びつきを大切にしない。

 封建的あるいは権力的な枠にはめられずに、お互いが自由に、自分自身の思いで動きあっている姿に、無理のない敬愛を感じあえる夫婦というのは、いわば自分らが作り出している家庭という名の不文律の秩序の形態に、無意識の安心の根を底深くおろしておれるということなのだろう。(中略)
 家庭という人間集団の基本単位を容れる小箱が、強権によって作られた枠組みであった時代から、その成員自体が互いに恕しあう不文律の秩序の枠組みの時代へと、時はすでにしっかりと移行してしまっている。
 その移行は人の内面の百八十度転換を要求するものであって、スムーズに移行されず思わぬガタピシがあちこちに起きて当然と言うべきであり、子どもの<家庭内暴力>というのは、まさにそういった揺れの一つなのだと思う。P240


 純粋な愛情だけが人間関係を支える。
役割をはたせばすんだ核家族の時代は、すでに終わっている。
にもかかわらず、核家族的な価値観にとどまっている。
これが家庭内暴力の原因である。
しかし、我が国は核家族を越えようとしないので、今後も子供が苦しむ時代は続くだろう。
いや今後は大人ももがき、苦しむ時代になるかも知れない。

 本書は家族論として論理化されていないが、家族の変質をよく捉えている。
  (2010.5.15) 
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参考:
伊藤友宣「家庭という歪んだ宇宙」ちくま文庫、1998
H・J・アイゼンク「精神分析に別 れを告げよう:フロイト帝国の衰退と没落」批評社、1988
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匠雅音「家考」 学文社
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石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談 社文庫、2002
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ヘレン・E・フィッシャー「結 婚の起源」どうぶつ社、1983
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斎藤学「「夫 婦」という幻想」祥伝社新書、2009
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宮迫千鶴「サボテン家族論」河出書房新社、 1989
牟田和恵「戦 略としての家族」新曜 社、1996
匠雅音「核家族か ら単家族へ」丸善、1997

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