匠雅音の家族についてのブックレビュー      母が重くてたまらない−墓守娘の嘆き|信田さよ子

母が重くてたまらない
墓守娘の嘆き
お奨度:

著者:信田さよ子(のぶた さよこ)   春秋社、2008年 ¥1700−

著者の略歴−1946年生まれ。臨床心理士。原宿カウンセリングセンター所長。お茶の水女子大学大学院修士課程修了。駒木野病院、嗜癖問題臨床研究所付属原宿相談室を経て1995年に原宿カウンセリングセンターを設立。アルコール依存症、摂食障害、ドメスティック・バイオレンス、子どもの虐待などに悩む本人やその家族へのカウンセリングを行っている。著書に『アダルト・チルドレンという物語』(文春文庫)、『DVと虐待』(医学書院)、『愛しすぎる家族が壊れるとき』(岩波書店)、『家族収容所』『結婚帝国 女の岐れ道』(共著)(いずれも講談社)、『虐待という迷宮』(春秋社)、『カウンセリングで何ができるか』(大月書店)、『加害者は変われるか?−DVと虐待をみつめながら』(筑摩書房)など。

女性がフルタイムの職業を持てるようになって、ほんとうに良かった。
本書の読後感は、それに尽きる。
当人たちは苦しいだろうが、もう少しの辛抱だ。
筆者のような職業人がいなければ、母と娘の関係をこんなに鋭く論じることはできなかっただろう。
そして、娘たちが職業人でなければ、本書のような問題は起きなかったのだ。

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 親は子供を心配して、現在の常識的な生き方を教える。
自立とは職業の獲得に始まるが、一番最初に自立を阻止するのは、親という肉親である。
女性たちが今、ほんとうに自立しようとして、もがいている。
脱常識の家族づくり」などを上梓している筆者の論には、信頼を感じていた。

 本書は団塊の世代の母親を対象にしている。
子供が少なくなって、母親が子供とくに娘を、自分の分身のごとくに可愛がる。
母親としては、娘のために良かれ、と思っていやっている。
しかし、その言動や母親の存在自体が、娘にとっては、桎梏となってしまっている。

 戦後、すべて核家族になってしまった。
核家族は生産組織たる家ではない。
核家族では男女が愛情によって結ばれ、夫婦がそろって子供に向き合うのが原則である。
しかし、我が国の核家族では、性別による役割分業が徹底し、男性は企業戦士となり、女性だけが子供と向かい合った。
問題はここから始まったのだ。

 農業が主な産業だった大家族の時代、家は生産組織だった。
社会全体は貧しかったが、女性も稼ぎ手だったから、男女の格差は核家族ほどではなかった。
しかし、核家族になって、稼げる男性に対して収入のない女性というなかで、男女の地位がまったく違ってしまった。
そして、高度経済成長が、男女の役割分担を正当化した。

 性別役割分業の貫徹する核家族では、母親は子供を虜にせざるを得ない。
なにしろ、母親は家族のなかで、一人っきりで子育てをしなければならなかったのだから。
なかでも娘は母親と同性であるので、母親は自分の分身のごとくに、娘を扱う。

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 (息子と)異なる点は、三つある。一つ目は、娘は母と同性であることだ。娘の結婚は母との関係を阻害するどころか、女の人生の先達である母の地位を高めることになる。二つ目は、息子が父と対抗して母を庇護するときの視線が俯角なのに対して、娘のそれは仰角であることだ。強い男が弱い母を守るという構図と、弱い母を苦しめないように、さらなる弱者として母の期待どおり母を支えて生きる娘との違いである。母たちは見上げておもねる息子と、見下ろし支配する娘とを巧妙に使い分けている。息子に対しては、かけがえのなさを強調して庇護欲求を刺激するが、娘に対しては、罪悪感を適度に刺激することで「母を支え続けなければならない」という義務感を植えつける。P48

 かつて母親は、子供を産むことが仕事であり、子育ては父親の役割だった。
日本人のしつけは衰退したか」もいうように、とくに武士の家庭では、跡取り息子をきちんと育て上げることは、家を守っていくためにも不可欠だった。
そのため、子育ては母親任せには出来なかった。

 核家族になって、継がせるべき家がなくなった。
子供に残せるのは教育だけだ。
父親は稼ぎ手だとすると、母親は教育係になった。
ここで我が国の核家族は、崩壊することを運命づけられた。
団塊の世代が、子育てにのぞんだとき、母親が子供を支配下においたのは、自然の成り行きだった。

 彼女(=母親)たちの行動に、なぜか夫ははとんど口をはさまない。だからほぼ母親の独裁状態である。では、そこまで援助をするのはなぜだろう。表向きは、娘に苦労させたくない、自分の人生を生きてもらいたいというありがたい親心からだ。裏返せば、金銭で娘たちをつなぎとめることで、心理的満足を対価として得るためだろう。彼女たちは、口では娘に結婚を望むといいながら、本当に気に入った人が現れなければ、無理に結婚する必要はないと考えている。これは冷静に醒めた目で娘の結婚を見つめているからではなく、単に娘との関係を悪くしたくないからではないだろうか。無理やり結婚を強いて仲たがいするより、娘の選択に任せる態度をとったはうが、仲良くできるからだろう。しかし、そんな深読みが拒絶されるほど、母親たちは無邪気に見える。透明な清らかさというより、彼女たちの体重のように鈍重な無邪気さだ。自分の感情や行動は娘のためだとつゆ疑うことのない、そんな無神経な無邪気さに満ち溢れている。P89

 パソコンやケイタイの使い方が分からないと、ドジなおばさんを演じて娘に甘え、年齢を理由に娘を脅すと、筆者はいう。
団塊の世代の母親は、まだまだ体力がある。
そして、お金がある。
少ない子供、とくに娘に甘え、脅し、お金で吊って、自分の快楽を追求する。

 働き蜂だった夫を、小さな子供のごとく扱ってきた主婦たち。
夫の定年退職を迎え、今度は娘とのあいだに同質の関係を築こうとしている。
娘に依存するような顔をしながら、その実娘を支配している。

 息子が嫁さんに取られてしまうのと対照的に、娘を自分の領域にとどまらせるのだ。
娘は自分を育ててくれた母親を突き放せないから、母親の老後まで面倒をみなければならないと、憂鬱になる。
我が国の子供たちは、まだまだ個人の自立が弱いのだ。

 大学をでても職業に就けなかった団塊女性は、母性愛を持って子供に接してきた。
母性愛が、性別役割のなかで醸成されたことは、もはや周知であろう。
稼ぐことの裏返しとして、女性に母性愛が強調されたのだ。
歪んだ母性愛を武器に、団塊世代の母親たちは娘を取り込もうとしている。

 いま女性の職場進出が進み、母性愛が相対化されている。
そのなかで、母性愛の対象とされた娘たちが、呻吟している。
現在の我が国は、男女の賃金格差がきわめて大きく、管理職への女性の登用が先進国では最低で、出産後も仕事を続けていけるシステムがない。
こうした状況のなかで、女性は果敢に闘って職域を広げてきた。
今後も女性の戦いは続くだろう。

 本書はカウンセラーが書いているので、苦しみや悩みを解決しようとしている。
それは筆者の立場上からも当然だろう。
しかし、本サイトからの立場からは、<未明の淡光(母殺しの思想)>が進行している状況に見える。     (2010.5.17) 
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参考:
イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」 筑摩書房、1994
江藤淳「成熟と 喪失:母の崩壊」河出書房、1967
田中美津「いのちの女たちへ」現代書 館、2001
末包房子「専業主婦が消える」 同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、 1988
ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジ ンズ、2002
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワー クス、2001
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、 1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」 大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書 房、1966
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現 代思想社、1984
モリー・マーティン「素敵なヘルメット職 域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
小野清美「アンネナプキンの社会史」 宝島文庫、2000(宝島社、1992)
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」 とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新 潮文庫、2005
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参 画社会」 洋泉社、2006
小関智弘「おんなたちの町工場」 ちくま文庫、2001
エイレン・モーガン「女の由来」どうぶつ社、 1997
シンシア・S・スミス「女は結婚すべ きではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」 東洋経済新報社、2001
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」 角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、 2004
大塚英志「「彼女たち」 の連合赤軍」角川文庫、2001
鹿野政直「現代日本女性史」 有斐閣、2004
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、 2006
ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」 水声社 2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、 1972
水田珠枝「女性解放思 想史」筑摩書房、1979
フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書 店、1993
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、 1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」 思索社、1982
赤松良子「新版 女性の権利」岩波書 店、2005
マリリン・ウォーリング「新フェミニスト 経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」 平凡社、1992
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」 現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の 水書房、1987
鹿嶋敬「男女摩擦」岩波書店、 2000
荻野美穂「中絶論争とアメリカ社 会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」 二見書房、2007
田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、 2000
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、 1952
スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、 1994
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、 1994
ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」 中公新書ラクレ、2009
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文 庫、2003
光畑由佳「働くママが日 本を救う!」マイコミ新書、2009
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」 草思社、1997
奥地圭子「学校は必要 か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
フィリップ・アリエス「子 供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもから の自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
ジェシ・グリーン「男 だけの育児」飛鳥新社、2001
末包房子「専 業主婦が消える」同友館、1994
熊沢誠「女性労働 と企業社会」岩波新書、2000
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史  まだ病院がなかったころ」勁草書房、1994
信田さよ子「母が重くてたまらない」春秋社、2008
匠雅音「核家族か ら単家族へ」丸善、1997

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