匠雅音の家族についてのブックレビュー      女性同士の争いはなぜ起こるのか|妙木忍

女性同士の争いはなぜ起こるのか
主婦論争の誕生と終焉
お奨度:

筆者 妙木忍(みょうき しのぶ)   青土社 2009年 ¥2600−

編著者の略歴−1977年高知県生まれ。高知大学教育学部卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了。東京大学大学院人文社会系研究科修士課程・博士課程修了。博士(社会学)。専門はジェンダー研究と観光研究。2006年度北海道大学観光学高等研究センター学術研究員。現在、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所ジュニア・フェロー。主な共著として『新編日本のフェミニズム3性役割』(岩波書店、2009)、『観光の空間』(ナカニシヤ出版、2009年)ほか。

 軽佻でスキャンダラスなタイトルだが、中身は真面目な博士論文を出版したものである。
33歳という若い研究者が、とても丁寧に今までの主婦論争を分析している。
日本にフェミニズムがあるとすれば、それは世界のフェミニズムとは違うものだ、という読後感だった。

 本書のえがく論争が、おそらく我が国の実情だろう。
だから、少なくともアメリカで始まって世界に広まったフェミニズムと、我が国の女性運動はまったく別物というべきだ。
本書から見えてくるのは、我が国の女性運動は、いまだに女権拡張運動の域をでていない、というものだった。
TAKUMIアマゾンで購入


 ウーマン・リブがフェミニズムへと孵化するのは、ベティ・フリーダンの「新しい女性の創造」を契機とするのが普通である。
フェミニズムを主張したのは主婦であり、フェミニズムが主張したのは、主婦をやめることだった。
すでに結婚して主婦になった女性が、家事労働の虚しさに悩み、社会へと出ようとしたのがフェミニズムだった。

 当時は女性の社会進出には、手枷足枷がたくさんあったから、そうした手枷足枷を壊していく。
それが先進国におけるフェミニズム運動だったのだ。
つまり、フェミニズムとは主婦である自分を否定するものだった。
ましてや、専業主婦を擁護するなど、考えることすらできないのが、先進国でのフェミニズムなのだ。

 本書は、下記のような問題意識で書き始まる。
 
 本書では、1950年代の主婦論争から2000年代の「負け犬」論までを、一本の線で結んで、戦後主婦論争史に位置付けてみたい。 というのも、女性の生き方の選択をめぐる論争の「かなめ」には、主婦をめぐる問いがあるのではないかと思うからである。P9

 主婦論争を第1次から第6次まで区切って、1次から3次までは、「主婦論争を読むT/U」に準拠している。
4次から6次までを、筆者は次のように区切る。

 第4次−アグネス論争
 第5次−専業主婦論争
 第6次−負け犬論争


 アグネス論争とは、アグネス・チャンが乳幼児を楽屋に連れてきたことに、職場は子供を連れてくるところではない、と批判が起きたことをいう。
林真理子や中野翠などが、アグネスをヒステリックに言葉汚く批判したが、ボクには子供をもてない者のお局的なイジメのように見えた。

 専業主婦論争なんてあったのかと思っていたら、石原里紗の「くたばれ!専業主婦」をめぐって、林道義が「主婦の復権」を対置したことをいうのだそうである。
この時代には、すでに主婦論には決着が付いていたと思うが、本書はあらためて論争の区分としている。
やっぱり映画「クレーマー、クレーマー」を理解できていない。

広告
 負け犬論争でも同じだが、結婚→専業主婦というコースは、もうパロディの対象にこそなれ、真っ当な女性には検討の対象にはならないだろう。
博士論文として審査対象とするためには、事実を並べる必要ではある。
そのため、本書は膨大な事実の羅列となっている。
筆者の関心が、主婦論争にあるのだから、本書のような仕立てになるのは仕方ないのだろう。

 主婦論は、梅棹忠夫の「女と文明」で結論が出ている。
「女と文明」のなかには、<女と文明><妻無用論><母という名の切り札>という論考が納まっている。
その後の女性の動きは、梅棹忠夫のいうとおりに展開してきた。
梅棹忠夫は孤立していたというが、彼の論の孤立は日本独自の状況だった。

 1959年に妻無用論が書かれていながら、その後の女性論者は梅棹忠夫の論文を無視してきた。
それが、「ふざけるな専業主婦」「さようなら専業主婦」 「くたばれ専業主婦」の三部作で確認されたに過ぎない。
しかも、石原里紗は自分はフェミニズムとは無関係だと言い、我が国のフェミニストを批判している。

 筆者に期待したかったのは、石原里紗から批判されてしまう我が国のフェミニストのあり方だ。
なぜ、我が国のフェミニストは、石原里紗から批判されてしまうのか。
梅棹忠夫と石原里紗がいれば、他の女性論者は不要なくらいに、我が国のフェミニストは無能である。
 
 1950年代から2000年代にかけての女性のライフコース選択をめぐる論争群を、主婦論争として一本の線で結んで、戦後の主婦論争史に位置付ける試みをおこなってきた。この試みのなかで本書が解こうとしているのは、女性同士の争いはどの時代に、なぜ、どのように成立したのか、また、それが繰り返されるのはなぜかという問いである。P258

と、問を立てて、次のように答えている。

 市場労働と家事労働をめぐる男女間の非対称性がある限り、ライフイベント(結婚や出産のこと)に付与された特別な意味は継続するだろう。それゆえに、市場労働と家事労働をめぐる男女間の非対称性がある限り、女性同士の争いは続くと私は考えている。P317

 これでは答えにならない。
なぜなら、市場労働と家事労働をめぐる男女間の非対称性は、男女の肉体構造に関係している。
妊娠し出産する期間には、労働をしようにもできない。
妊娠と労働が両立しない以上、男性と女性は決定的に違う。
肉体的な違いに起因していれば、問題は永遠に解消できない。

 肉体的な違いを、社会的に同じ扱いへと還元するのは、観念的な作業である。
<市場労働と家事労働における男女間の非対称性が解消>した時などと言わなくても、すでに世界のフェミニズムは、ライフイベント(結婚や出産のこと)に付与された特別な意味を無化している。
筆者が言っているのは、妊娠・出産がある限り、女性は男性と同じように働けない、と言っているのと同じである。
<主婦論争の誕生と終焉>という副題をつけているが、この認識ではちっとも終焉しないだろう。

 男女の肉体的な違いと、社会的な違いを、位相の違うものとして、認識したのが先進国のフェミニズムである。
筆者はいまだに両者の位相の違いを認識できないでいる。
現実の女性たちは、結婚など踏み越えて自由に生きていくだろう。
本書のような形で論ずるのでは、女性論者の役割は現状の後追いだけである。

 上野千鶴子は、専業主婦批判とは女性を分断するものだといって、専業主婦批判をさせなかった。
筆者は上野千鶴子の弟子らしいが、筆者はフェミニストなのだろうか。
もし、フェミニストたらんとしているなら、専業主婦批判を封じてしまう本書のスタンスは矛盾している。    (2010.10.13) 
広告
  感想・ご意見・反論など、掲示板にどうぞ
参考:
伊藤友宣「家庭という歪んだ宇宙」ちくま文庫、1998
永山翔子「家庭という名の収容所」PHP研究所、2000
H・J・アイゼンク「精神分析に別 れを告げよう:フロイト帝国の衰退と没落」批評社、1988
J・S・ミル「女性の解放」 岩波文庫、1957
フィリップ・アリエス「子 供の誕生」みすず書房、1980
匠雅音「家考」 学文社
M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と 資本主義の精神」岩波文庫、1989
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可 能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的 基礎」桜井書店、2000
湯沢雍彦「明治の結婚 明 治の離婚」角川選書、2005
越智道雄「孤立化する家族」時 事通信社、1998
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、 1972
大河原宏二「家族のように暮らした い」太田出版、2002
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜 社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家 族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形 成」昭和堂、1987
S・クーンツ「家族に何が起 きているか」筑摩書房、2003
賀茂美則「家族革命前 夜」集英社、2003
信田さよ子「脱常識の家族づくり」 中公新書、2001
黒沢隆「個室群住居: 崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
エドワード・ショーター「近代家族の形 成」昭和堂、1987
ジョージ・P・マードック「社会構造 核家族の社会人類学」 新泉社、2001
S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実の ゆくえ」原書房、2001
石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談 社文庫、2002
マーサ・A・ファインマン「家族、積みすぎた方舟」 学陽書房、2003
上野千鶴子「家父長制と資 本制」岩波書店、1990
斎藤学「家族の闇をさぐる」小学 館、2001
斉藤学「「家族」はこわい」新潮 文庫、1997
島村八重子、寺田和代「家族と住まない家」春秋社、 2004
伊藤淑子「家族の幻影」大 正大学出版会、2004
山田昌弘「家族のリ ストラクチュアリング」新曜社、1999
斉藤環「家族の痕跡」 筑摩書房、2006
宮内美沙子「看護婦は 家族の代わりになれない」角川文庫、2000
ヘレン・E・フィッシャー「結 婚の起源」どうぶつ社、1983
瀬川清子「婚姻覚書」 講談社、2006
香山リカ「結婚がこわい」 講談社、2005
山田昌弘「新平等社会」 文藝春秋、2006
速水由紀子「家族卒業」朝日 文庫、2003
ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河 出書房新社、2004
川村邦光「性家族の誕生」 ちくま学芸文庫、2004
菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」 すばる舎、2005
原田純「ねじれた家 帰りたくない家」 講談社、2003
A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さ の常識」中公文庫、1998
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文 庫、2002
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、 2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャン ダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」 新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家 庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半 と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」 ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」 光文社文庫、2001
中村久瑠美「離 婚バイブル」文春文庫、2005
佐藤文明「戸籍がつくる差別」 現代書館、1984
松原惇子「ひとり家族」文春文庫、 1993
森永卓郎「<非婚> のすすめ」講談社現代新 書、1997
林秀彦「非婚の すすめ」日本実業出版、 1997
伊田広行「シングル単 位の社会論」世界思想社、 1998
斎藤学「「夫婦」という幻想」祥伝社新書、2009
マイケル・アンダーソン「家族の構造・ 機能・感情」海鳴社、1988
宮迫千鶴「サボテン家族論」河出書房新社、 1989
牟田和恵「戦略としての家族」新曜 社、1996
匠雅音「核家族か ら単家族へ」丸善、1997
藤森克彦「単身急増社会の衝撃」日経新聞社、2010
妙木忍「女性同士の争いはなぜ起こるのか」青土社、2009

「匠雅音の家族について本を読む」のトップにもどる