匠雅音の家族についてのブックレビュー      セクシュアリティの障害学|倉本智明

セクシュアリティの障害学 お奨度:

編筆者 倉本智明(くらもと ともあき)   明石書店 2005年 ¥2800−

編著者の略歴−関西大学社会学部他非常勤講師

 <障害者は性的弱者なのか!?>と、腰巻きに書かれた本書は、8人の筆者によって、きわめて難しい問題を扱っている。
まず編者でもある倉本が、弱者と規定されてしまうと、制度的な介入が始まり、自由の制限が生じてしまうという。まさにそのとおりである。

 性的弱者という言葉には、あらかじめ問題解決への希求が織り込まれている。現在おかれている状況を、個人の責任に帰することができないものと見、その改善を説くためにこそ造語されたものなのだから。それは、現状を語るための言葉であると同時に、現状を変えるための言葉でもある。しかし、それではパートナー選びを自由市場にゆだねるという現行社会の基本ルールを侵犯することにはならないか。P17
                     
と編者でもある倉本智明はいい、それに対して、また次のように言う。

 弱者というカテゴリーはそれら(多様性)を隠蔽し、モノトーンの世界にすべてを塗り込めてしまう危険性をもつ。何がしかの形で否定的な側面について語ることは、当該主題を社会問題として構築するうえで必要なことではある。けれど、そこに結ばれる像は、多様に語りうる、現実の一断面にすぎないのである。そのことを忘れたとき、問題解決のための手段はもう一つのくびきへと転化してしまう。P34
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 この認識は大切である。
障害者を弱者として括ると、弱者以外に発想が広がっていかない。
自治体が障害者の結婚相談をしていたが、その相手には障害者をあてがおうとしていた。
そして、弱者と言われると、言われたほうも弱者へと引きこもってしまう。

 筆者自身が、ほぼ全盲でありながら、セックスの相手がいたという。
いくらか恵まれた環境が、こうした認識に辿りつかせたのだろう。
弱者救済の幻影」を書いた櫻田淳も、同じスタンスである。
しかし、重度障害者は性的な分野に限らず、弱者であることは間違いない。
なにしろ自分一人では生きていけないのだから、弱者と言われても仕方ない。
やはり、問題は個別的にしか語れないのだろうが、そう言ってしまえば、何も語ったことにはならない。

第1章 性的弱者論 倉本智明
第2章 戦略、あるいは呪縛としてのロマンチックラブ・イデオロギー
    −障害女性とセクシュアリティの「間」には何があるのか 松波めぐみ
第3章 自分のセクシュアリティについて語ってみる 横須賀俊司
第4章 障害当事者運動はどのように性を問題化してきたか 瀬山紀子
第5章 パンツ一枚の攻防−介護現場における身体距離とセクシュアリティ 前田拓也
第6章 介助と秘めごと−マスターベーション介助をめぐる介助者の語り 草山太郎
第7章 「父親の出番」再考−障害をもつ子どもの性をめぐる問題構成 土屋葉
第8章 誘いの受け方、断り方−社会福祉実習指導の問題点 三島亜紀子


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 いずれもきわめて難しい問題である。
社会の価値観は、障害者にも内面化されている。
そのため、障害女性がかいがいしい奥さんになることを理想としたりする。
しかし、健常女性はいまや奥さんになることは理想でもなく、むしろより大きな稼ぎを目論んでいる時代である。
にもかかわらず、障害があるがゆえにかも知れないが、時代から遅れてしまうのだ。

 反対に価値観が内面化されないと、社会生活を送るのは難しい。
たとえば食事が終わると、家族の前でオチンチンをだして、マスターベーションを始めるというのも困ったものだろう。
性的行為を公開してしまうと、ふつうは犯罪になってしまう。
性的な世界は、プライバシーであり秘め事とされているので、障害者の性であっても語りにくい。

 また、障害者は障害があることによって、甘やかされてもいる。

 障害をもつものは、子供の頃から、どちらかといえば甘やかされて育ってきています。これは自立して行くうえで、大きなハンディです。自分のからに閉じこもり他人と協調できないわがままな人は、結婚相手からも敬遠されるのではないかと思います。P133

 障害者といえども、セックスは相互関係である。
介助者を障害者の手足と見なしても、問題は解決しない。
むしろ、介助者のメンタリティもまた問題になる。

 介助者になって、二、三カ月経った頃のこと。わたしはある女性とセックス「しようとした」。わたしはわたしのやりかたで「いつも通りに」、その女性の服を脱がそうと、ボタンあるいはジッパーだったかもしれないが、それはともかくに手をかけた。そのとき、瞬間的に「介助に似ている」と思ってしまった。介助をしている景色、感触などがフラッシュバックし、興醒めもいいところだ。そうしてすっかり「やる気」が失せてしまったのだった。P169

 介助者にも私生活がある。
恋人がいるだろうし、セックスもするだろう。
他人の服を脱がして介助をする行為が、自分のセックスにオーバーラップして、セックスができなくなってしまう。
これも問題だろう。

 本書を読んでいると、障害者もやっとここまで来たという感慨をかんじる。
と同時に、障害者の問題を考えることは、健常者の問題を考えることだと感じさせられる。
とくに性は男女で同じではないので、障害者のフィルターを入れると、性の問題点がより拡大されて立ち現れてくる。

 親が障害者の性を閉じこめようとするのは、じつは障害者の子供と親のあいだに限らない。
伝統的社会では性がおおぴらだったが、近代社会では性を隠したのだ。
ボクも昔は老人から性的なからかいを受けた。
しかし、今では両親もセックスをしていない建前だし、家族は性を口にしない無言の掟がまかり通っている。
障害者の性というより、健常者の性と同視しながら読んだ。   (2010.10.14) 
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参考:
小浜逸郎「「弱者」とは誰か」PHP新書、1999
櫻田淳「弱者救済の幻影 福祉に構造改革を」春秋社、2002
高柳泰世「つくられた障害「色盲」」朝日文庫、2002
吉田おさみ「「精神障害者」の解放と連帯」新泉社、1983
ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003
松本彩子「ピルはなぜ歓迎されないのか」勁草書房、2005
榎美沙子「ピル」カルチャー出版社、1973
ローリー・B.アンドルーズ「ヒト・クローン無法地帯」紀伊国屋書店、2000
沢山美果子「出産と身体の近世」勁草書房、1998
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史」勁草書房、1994
ジュディス・ハーマン「心的外傷と回復」みすず書房、1999
小浜逸郎「「弱者」とは誰か」PHP研究所、1999
櫻田淳「弱者救済の幻影」春秋社、2002
松本昭夫「精神病棟の二十年」新潮社、1981
ハンス・アイゼンク「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
小沢牧子「「心の専門家」はいらない」洋泉社、2002
熊篠慶彦「たった5センチのハードル」ワニブックス、2001
正村公宏「ダウン症の子をもって」新潮文庫、2001 
高柳泰世「つくられた障害「色盲」」朝日文庫、2002
加藤康昭「日本盲人社会研究」未来社、1974
北島行徳「無敵のハンディキャップ」文春文庫、1997
アリス・ミラー「闇からの目覚め」新曜社、2004
御木達哉「うつ病の妻と共に」文春文庫、2007

赤松啓介「非常民の民俗文化」ちくま学芸文庫、2006
黒岩涙香「畜妾の実例」社会思想社、1992
酒井順子「少子」講談社文庫、2003
木下太志、浜野潔編著「人類史のなかの人口と家族」晃洋書房、2003
鬼頭宏「人口から読む日本の歴史」講談社学術文庫、2000
P・ウォーレス「人口ピラミッドがひっくり返るとき」草思社、2001
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
速水融「歴史人口学で見た日本」文春新書、2001
中山二基子「「老い」に備える」文春文庫 2008

フィリップ・アリエス「<子供>の誕生」みすず書房、1980
菊田幸一「日本の刑務所」岩波新書、2002
マイケル・ルイス「ネクスト」アスペクト、2002
小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
倉本智明「セクシュアリティの障害学」明石書店、2005

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