編著者の略歴−1981年、東京都生まれ。日本女子大学附属の幼、小、中、高を経て、早稲田大学教育学部を卒業。現在は同大大学院教育学研究科修士課程に在学中。2004年度フェンシング女子日本代表。体は「女」だけど心は「男」−自身が性同一性障害であることを、本書で告白することに。 筆者の身体は女性だけど、心は男性である。 本書は平凡なトンカツ屋の次女として生まれながら、ずっと男だと信じてきた自称ハーフの生い立ち記である。 男性と女性のハーフだ、と名のるところが、明るく響いていい感じだ。 性同一性障害というレッテルが貼られるだろうが、まだ性転換手術はしていない。 しかし、虎井まさ衛と比べると、ずいぶんと明るい。 おそらく性格の違いなのだろう。 また、1963年生まれの虎井まさ衛と、1981年生まれの筆者の違いかも知れない。 超美人のお母さんから生まれながら、残念なことに美貌を受け継がなかった。 表紙の写真では、元気な坊やか、または健康的な青年といった感じで、とても女性とは思えない。 もし、超美女でありながら心が男だったら、もっと大変な人生になったろう、と余計な心配をしてしまう。
スポーツ万能の筆者は、小学校5年生の時から、フェンシングにはまってきた。 そして、早稲田大学に進学し、女子全日本日本代表になったり、フェンシングのコーチになったりしている。 フェンシングは武器を持つので、男女差は相当に平均化されるだろうが、それでも体力差はどうしようもない。 男子選手として出場はしていない。 我が国ではフェンシングはマイナーなスポーツである。 だから全日本代表といっても大変だ。 スポーツに興じる姿は、誰でもあまり変わりがない。 技術を磨き、体力を付けるにつきる。 しかし、自分だけでは練習できないので、どうしても人間関係が入り込んでくる。 また、スポーツ以外の拘束が入り込んでくる。 それが嫌だ。 ボクは剣道をやっていたが、天照大神と書かれた床の間に、頭を下げるのが嫌だった。 稽古の始めと終わりに、一同礼と言われても、ボクだけ頭を下げなかった。 もちろん道場主からは白い目で見られたが、師範のほうにもクリスチャンがいて、彼も頭を下げなかった。 そのため、何とかお目こぼしにあずかっていた。
しかし、そのことでは何も言われなかったし、子供たちも普通になついていくれた。 だから、道場では剣道をしっかりやるかどうかだけが、人間関係を決めるものなのだと思う。 筆者も次のようにっている。 それ(カミングアウト)までは何をするにも、まず「性別」という壁があると考えていたが、その壁は自分で作ったものだったという事実に気がついた。アヤに振られた時もそう。それまでなにか嫌なことがあった時はいつも「性別」のせいにして「どうせ僕なんて……」と言い訳をしていた。でもそうじやない。振られるのも、嫌なことがあるのも、それはすべて自分の力不足、魅力不足。性別なんて関係なくなるくらい「自分」という人間を磨きあげてやる! そう思えるようになっていった。 はじめはカミングアウトするのが恐かったが、聞いてくれたともだちがみんな口を揃えて言ってくれたのが「フミノはフミノだよ」という言葉だ。P77 身体の性別と心の性別に齟齬があり、違和感があるだろう。 自分の身体が、あたかも女性の着物のようだという。 今まで男だと思っていた人が、一緒に風呂へ入ってみたら女だったとしれば、たしかに驚くだろう。 だからといって、性別を知ってしまったから、付き合いを止めてしまうなんてことはない。 身体の性別と心の性別の違いが、自分の心に投影されて、人格が歪んでしまうから疎遠になるのだ。 筆者の違和感は相当なものだから、やがて性転換手術をうけるだろう。 しかし、受けたからといって人間が変わるわけではない。 それにしても、性意識のすり込みというのは、強力なものだ。 性意識が強力に刷りこまれるのは、強力に刷りこまないと異性を指向しないからだろう。 両性生殖をする動物が、異性を指向しなくなったら、種が絶えてしまう。 種が絶えることを防ぐために、自然は異性を指向するように、強力なすり込みを施したのだろう。 しかし、人間は文化を持ってしまったので、自然に反した性意識を持つようになった。 同性愛といい、性同一性障害といい、生殖の上では自然に反していることは間違いない。 しかし、人間が人間である所以は、知恵の実を食べたことだ。 知恵の実を食べたから、2本足で歩くようになったのだし、火を使うようになったのだ。 人間が自然のままなら、障害者など生きていくことなど出来はしない。 少しずつだけど、いい世の中になっている。 (2010.10.27)
参考: 岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、 1972 フランチェスコ・アルベローニ「エロティシズム」中央公論 1991 ジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」ちくま学芸文庫、2001 佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1995 アンドレア・ドウォーキン「インターコース」青土社、1989 カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995 シャノン・ベル「売春という思想」青弓社、2001 シャノン・ベル「セックスワーカーのカーニバル」第三書館、2000 アラン・コルバン「娼婦」藤原書店、1991 曽根ひろみ「娼婦と近世社会」吉川弘文館、2003 アレクサ・アルバート「公認売春宿」講談社、2002 バーン&ボニー・ブーロー「売春の社会史」筑摩書房、1991 編著:松永呉一「売る売らないはワタシが決める」ポット出版、2005 エレノア・ハーマン「王たちのセックス」KKベストセラーズ 2005 高橋 鐵「おとこごろし」河出文庫、1992 正保ひろみ「男の知らない女のセックス」河出文庫、2004 ロルフ・デーゲン「オルガスムスのウソ」文春文庫、2006 ロベール・ミュッシャンプレ「オルガスムの歴史」作品社、2006 菜摘ひかる「恋は肉色」光文社、2000 ヴィオレーヌ・ヴァノイエク「娼婦の歴史」原書房、1997 ジャン・スタンジエ「自慰」原書房、2001 ジュリー・ピークマン「庶民たちのセックス」KKベストセラーズ、2006 松園万亀雄「性の文脈」雄山閣、2003 ケイト・ミレット「性の政治学」ドメス出版、1985 謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960 山村不二夫「性技−実践講座」河出文庫、1999 ディアドラ・N・マクロスキー「性転換」文春文庫、2001 赤川学「性への自由/性からの自由」青弓社、1996 佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1996 ウィルヘルム・ライヒ「性と文化の革命」勁草書房、1969 田中貴子「性愛の日本中世」ちくま学芸文庫 2004 ロビン・ベイカー「セックス・イン・ザ・フューチャー」紀伊國屋書店、2000 酒井あゆみ「セックス・エリート」幻冬舎、2005 大橋希「セックス・レスキュー」新潮文庫、2006 アンナ・アルテール、ベリーヌ・シェルシェーヴ「体位の文化史」作品社、2006 石川弘義、斉藤茂男、我妻洋「日本人の性」文芸春秋社、1984 石川武志「ヒジュラ」青弓社、1995 村上弘義「真夜中の裏文化」文芸社、2008 赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1994 岩永文夫「フーゾク進化論」平凡社新書、2009 ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003 メイカ ルー「バイアグラ時代」作品社、2009 イヴ・エンスラー「ヴァギナ・モノローグ」白水社、2002 橋本秀雄「男でも女でもない性」青弓社、1998 エヴァ・C・クールズ「ファロスの王国」岩波書店、1989 岸田秀「性的唯幻論序説」文春文庫、1999 能町みね子「オカマだけどOLやってます」文春文庫、2009 レオノア・ティーフアー「セックスは自然な行為か?」新水社、1988 井上章一「パンツが見える」朝日新聞社、2005 吉永みち子「性同一性障害」集英社新書、2000 三橋順子「女装と日本人」講談社現代新書、2008 宮崎留美子「私はトランスジェンダー」株)ねおらいふ、2000 虎井まさ衛「ある性転換者の記録」青弓社、1997 杉山文野「ダブルハピネス」講談社、2006
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