編著者の略歴−1900年三重県に生まれる。17歳の頃から、江戸川乱歩と交流を始める。男色研究の他、民俗研究にも造詣が深い。1945年45歳にて死亡。 1973年と74年に上梓されたものを、合本して改めて上梓したものである。 合本前の本書は、1930年と31年に「犯罪科学」という雑誌に連載されたものを、江戸川乱歩などの尽力により出版された経緯がある。 筆者が男色研究にのめり込んだのは戦前である。 現代から見ると、大変な時代だったろうと思う。 今でも、同性愛には偏見があるが、当時はどうだったのだろうか。 それにしても、余人のかえりみない研究であり、報われることがなかったに違いない。 本当に好きな分野だったのだろう。
そして、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代まで、細かく文献渉猟をつづけている。 原典に当たるという筆者の姿勢から、研究はなかなかすすまかったという。 そうだろう。 筆者は古書を捜して、買い集めたのだ。 こんな研究には、図書館も役にたたなかったに違いない。 本書が扱うのは、男色という同性愛であり、少年愛である。 同性愛といっても、ゲイではなくホモである。 ゲイとホモは違う。 年長男性が若年男性を、肉体関係も含めて愛するのが男色というホモである。 ホモは挿入する年長者が上、挿入される若年者が下という、あきらかな上下関係に基づいたものである。 それにたいして、ゲイはほぼ同じ年齢や社会的な地位など、あくまで横並びの関係である。 ゲイは近代社会になって、初めて登場したものである。 身分制の支配した前近代には、ホモしかいなかった。 ホモは肉体をとおした男性文化の承継であり、一種の教育であった。 成人男性たちは若年男性に愛情をもつと同時に、性的な関係をも結び、対女性以上に純粋な精神的な繋がりをもった。 文献上に現れた男色で、もっとも早いのは「伊勢物語」だと言われてきた。 それと同時に、筆者は「源氏物語」にも男色を見つける。 紫式部の『源氏物語』中の一節が得られる。この物語の主人公光源氏が空蝉なる女性に懸想し、様々といい寄るけれど、未だその機を得ないで、この夜も空蝉の弟、小君と呼ぶ少年をしてひそかに様子をたずねさせると、小君はいろいろと苦心したが、とうとう姉に逢い得ずにその由を悲しげに源氏に告げた。源氏は内心力を落して、わが身の淋しさが身に染みて釆たが、かたわらにたたずむ小君を眺めている中に、にわかに可憐の情を喚び起こし「よし、あこだにな捨てそ」と、この少年に哀れを訴えつつ、ついにその床に添臥をした。 小君はこの時、源氏の様子を見ながら、「若くなつかしき御有様を嬉しくめでたし」と思うと、源氏の方でも小君を、情なき姉の空蝉よりは、「なかなかあはれ」と思されて、互いに心と心が結び合った。 以上が、「箒木」の巻の末段で、次の「空蝉」の巻に移ってさらに叙述はひろげられ、源氏はこの夜、小君の美しさを愛でて過ごすのである。P18
いかに小説とはいえ、成人男性が少年とセックスすることが、これほど何気なく行われていたとは、いささか驚きである。 源氏と言えば、女性遍歴で有名だが、しっかりと少年ともセックスしている。 これが今日いうバイセクシャルかというと、まったく違って、かつての成人男性は全員が女性も、少年もOKだったのだ。 「好色一代男」の世之介も、女性だけではなく多くの男性とも関係しているのだ。 僧侶が男色を専らにしたというが、彼等は教義で女性関係が禁止されていたから、結果として少年誌か相手にできなかったに過ぎない。 他の男性たちは、女色が禁止されていたわけではないから、男色と女色の両方を楽しんだのだ。 前近代にあっては、性指向などという概念が入りようはなかった。 性指向が女性か男性か、そんなことは問題にすることはない。 美しければ、性別を問わずに、セックスしたのが男色である。 そのため、相手の性別には、あまり関心がなく、美しければ良かったのだ。 しかし、美しい少年とは、12歳あたりから、20歳くらいまで。 最高に譲って、25歳までくらいだった。 和歌を送るのは女性に対してだけかと思うと、そんなことはない。 恋歌がおくられた相手は、その歌につけられた相手の名前から判るという。 美少年に対して、成人男性たちは、付け文をして恋心を訴えた。 時代が下ると、贈る相手を書く習慣が廃れて、相手の性別が判りにくくなると言う。 本書は丁寧に文献をひもといている。 そして当初、男色は上流階級のものだったという。 最初に留意しておきたいのは、政治が王朝から武家に転じて、新政治が根本から民衆的となった結果、従来はほとんどある階級にのみ限られてあったごとき男色風俗が、先ず武家の間に迎えられて盛行し、漸次一般民衆にも波及して、僧侶から淵源を発したらしい男色は、ここにあまねく衆人の生活にまで浸潤していったことである。これが後世徳川期に下ると、段々洗練された末、ついに売色野郎蔭間が現われて、特殊な風俗を示すことになる。P60 土着の日本人のあいだに、男色があったという論述はない。 「日本書紀」に男性の心中を、神の忌むところとなりとあるが、男色者は心中しないのをみると、この部分はいささか怪しいと思う。 筆者は空海など僧侶達が、中国から持ち来たったと言う俗説を述べる。 しかし、男色はすでに日本にもあったと思う。 文献が対象にしているのは、上流階級の人間が多い。 そのため、筆者のいうように上流階級から、時代が下るに従って、庶民へと男色が広まったと考えられがちである。 文字は支配階級のものだから、文献に従うかぎり、すべての文化は上流から庶民へと流れることになるはずである。 能の大成者である世阿弥が、足利義満の寵愛を受けて、芸能者として認知されていくと筆者はいう。 高田賢三がパリで店を開くには、アラブの金持ちのホモ相手をして、お金をためという噂がある。 このあたりは、芸能者や表現者と、パトロンとの関係として、今でも同じことが言えるだろう。 寺院では、男色の相手をさせるために、美少年を買ったという。 当時は人身売買を悪いことだとは考えていなかったので、女性が売り買いされたのは周知だろう。 とすれば、美少年が売り買いされても不思議ではない。 むしろお寺に買われれば、将来が嘱望されるだろう。 田舎侍と美少年の関係など、吉原の女郎さんの話を読むようだ。 後半には、陰間にかんするエッセイや、語源の一覧があったりして、多いに教えられた。 (2011.1.5)
参考: 早川聞多「浮世絵春画と男色」 河出書房新社、1998 松倉すみ歩「ウリ専」英知出版、2006年 ポール・モネット「ボロウド・タイム 上・下」時空出版、1990 ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛 鳥新社、2001 伊藤文学「薔薇ひらく日を 薔薇族と 共に歩んだ30年」河出書房新社、2001 モートン・ハント「ゲイ:新しき隣 人たち」河出書房新社、1982 リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」 筑摩書房、1996 尾辻かな子「カミングアウト」講談社、 2005 伏見憲明+野口勝三「「オカマ」は差別か」 ポット出版、2002 顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000 及 川健二「ゲイ パリ」長 崎出版、 2006 礫川全次「男色の民俗学」 批評社、2003 伊藤文学「薔薇ひらく日を」河出書房 新社、2001 リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」 筑摩書房、1996 稲垣足穂「少年愛の美学」河出 文庫、1986 ミシェル・フーコー「同性愛と生存の美学」 哲学書房、1987 プラトン「饗 宴」岩波文庫、1952 伏見憲明「ゲイという経験」ポット出 版、2002 東郷健「常識を越えて オカ マの道、70年」 ポット出版、2002 ギルバート・ハート「同性愛のカルチャー研究」 現代書館、2002 早川聞多「浮世絵春画と男色」 河出書房新社、1998 ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛 鳥新社、2001 神坂次郎「縛られた巨人」 新潮文庫、1991 風間孝&河口和也「同性愛と異性愛」 岩波新書、2010 匠雅音「核家族か ら単家族へ」丸善、1997 井田真木子「同性愛者たち」文芸春秋、1994 編ロバート・オールドリッチ「同性愛の歴史」東洋書林、2009 ミッシェル・フーコー「快楽の活用」新潮社、1986 アラン プレイ「同性愛の社会史」彩流社、1993 河口和也「クイア・スタディーズ」岩波書店、2003 ジュディス・バトラー「ジェンダー トラブル」青土社、1999 デニス・アルトマン「ゲイ・アイデンティティ」岩波書店、2010 イヴ・コゾフスキー・セジウィック「クローゼットの認識論」青土社、1999 デニス・アルトマン「グローバル・セックス」岩波書店、2005 氏家幹人「武士道とエロス」講談社現代新書、1995 岩田準一「本朝男色考」原書房、2002
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