匠雅音の家族についてのブックレビュー   東京に暮す|キャサリン・サンソム

東京に暮す  1928−1936 お奨度:

筆者 キャサリン・サンソム 岩波文庫 1994年 ¥570−

編著者の略歴−1883年イギリス生まれ。1909年に結婚するが、27年に離婚。その後、1928年横浜でイギリスの外交官ジョージ・サンソムと結婚。1981年に死亡。

 明治の日本記録には、アリス・ベーコンの「明治日本の女たち」という優れた観察がある。
本書はイギリス生まれの女性が、1928年(昭和3)から1936年(昭和11)まで日本に滞在した記録である。
ベーコンと同様に、日本の庶民に対する暖かい目を感じる。

 1928年といえば、アメリカに始まった大恐慌が世界に広まり、我が国も不景気へと落ちこんでいった。
そして、31年には満州事変が始まり、33年には国際連盟脱退、36年には2.26事件が発生し、戦争への道を一直線に進んでいった。
そうしたなか、筆者は庶民の生活を実に精確に描写している。
筆者の目は、西欧の自由主義のもっとも良質の伝統だろう。
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 この時代には、まだ明治の良き風景が残っていたようだ。
もちろん、それは庶民と上流階級が画然と区分利され、庶民はあくまで貧乏人として分相応に生きていた時代だったのだが…。
外交官を夫に持つ筆者のことだから、上流階級とも付き合いがあっただろうが、筆者はあくまで市井に生きる庶民を見ているのだ。
それこそ本当の日本人なのだ。

 日本人は働き者だと言った後で、次のように書いている。

 働く必要がないと日本人は何もしないでのんびりしています。通りに面した小さな店の中で店員が新聞を広げてこっくりしていたり、仲間といつ終わるともしれないお喋りに夢中になっている姿をよく目にします。暑い時期には配達の小僧たちが自転車に寄りかかり、手で頭を支えて眠っています。なかでも目を惹くのは、往来の激しい道の上に男も女も子どももしゃがみこんで友達やバスを待っている姿です。日本人は居眠りの名人で、そのためにずいぶん得をしています。電車やバスの中では目もあてられないような姿で眠っています。傍目にはいかにも苦しそうな姿勢なのに、本人はぐつすり眠ったままです。P42

 これはボクのアジア旅行と同じ感想である。
東南アジアの人たちを怠け者だという声があるが、前近代の働き方を知らない人たちが言っているのだ。
戦前の日本人だって、まだ前近代の労働観に生きていたから、働く必要がないときには骨休めをしていた。
それが戦後の近代化のなかで、時間にしたがった生活が浸透し、働く必要なときに働くのではなく、決められた時間内に働くように習慣が変わったのだ。

 現在の東南アジア人だって、まだ前近代の尻尾を引きずっている。
だから、決められた時間に従って働くのではなく、必要に応じて働いているのだ。
それがすでに近代化した現代の日本人からは怠け者に見えるに過ぎない。
筆者はそうした時代の制約をはぎとって、人間生活の真相を良く見ている。

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 現在の日本人は、並んで辛抱強く待つ。
公衆トイレだって、誰に命令されたわけでもないのに、きちんと列を作って待っている。
割り込む人などほとんどいない。
これは近代人の習性なのだ。
前近代の人は並ぶことができない。
中国でも、また「インドの空気と団塊男」でも書いたように、インドでも人は並べない。
中国は多少良くなったが、インドはまるで並べないし、モロッコなど割り込みが当たり前である。
しかし、我が国も同じような時代があった。

 日本人は、必要があろうがなかろうが、他人を押し除けて我れ先に電車に乗り込もうとします。日本に来てしばらくすると、ラッシュアワーが終わってから出かけても、目的地に着く時刻はたいして変わらないことに気が付きます。駅にいると、集団の中の日本人がいかに単純で野蛮であるかがよくわかります。電車やサービスは概して良いし、駅も立派なのに、乗客には感心できません。彼らは列に並んで自分の番を待つということをしないので、切符売場や改札口では勝手に割り込んできます。彼らの頭には、目的地に早く着くことしかないのです。この目的が達成されれば、彼らはもとの善良でのんさな日本人に戻ります。P102

 最近では、飛行機から降りるのも、日本人はスマートになった。
シートベルト解除のサインが出ても、我先に出口に殺到しなくなった。
ちょっと前には、韓国人がかつての日本人と同じように、出口に殺到していた。
しかし、彼(女)らも徐々に落ち着きを体得して、出口には殺到しなくなった。

 筆者は日本人をイギリス人と比べて論じている。
そのため、すでに近代化したイギリスと、近代化に入ったばかりの日本を比較している。
しかし、筆者には人間の本質を見ようとする目があるので、「彼らはもとの善良でのんさな日本人に戻ります」と書けるのだ。
人間観察というのは、観察する人間の人間観が問わずのうちに語られるものである。

 時間にしたがった労働とか、列を作ると言ったことは、比較的早く順応できる。
しかし、個人の確立といったことは、ひどく時間がかかるものだ。

 日本人にとっては、真実を述べることよりも人を喜ばせることの方がはるかに重要です。P115

という発言は、家族のなかでの個人の位置のとりかたと相まって、自立と言うことの意味を考えさせてくれる。
そして、盆踊りの描写に至っては、脱帽という他はない。
 
 (盆)踊りのステップは種まき、田植え、もみすりを再現したもので、微妙なリズムのステップは日本人の体にすっかり染み付いているため誰でも踊ることができます。外国人が踊るとどうしても問が抜けてしまうのは、盆踊りが日本の土から生まれ、日本の生活に基づくものだからです。日本人の心臓ともいえるものなので、外国人はその鼓動を真似ることができないのです。けれども、上手に踊れないからといって踊ってはいけないことはありません。厭な顔をされるどころか、誰か親切な人が助けてくれて、下手でも褒めてくれます。仮設の櫓の中で器楽奏者が奏でる異教的な音楽に合わせて、二つの輪が揺れながら反対の方向に何時問も回り続ける盆踊りは、最も感動的な光景の一つといえます。盆踊りはリズミカルで、陽気というよりは多少陶酔的なところがあり、自己主張がなく非個人的なもので、自然の魔力に取り憑かれた自然の崇拝者たちが輪を描いているといったらよいでしょう。それは心の琴線に触れる踊りで、人間と人間が生まれてきた自然との間には本質的に調和が存在することを思い出させてくれます。P186

 暖かい観察眼とともに、鋭い文明批評になっている。
「自己主張がなく非個人的なもので、自然の魔力に取り憑かれた自然の崇拝者たちが輪を描いているといったらよいでしょう」という言葉はなまなかの観察ではない。

 日本の習慣を尊重しながら、険悪化する日英関係を一切出さずに、本書をまとめている。
心中如何ばかりであったろうか。  (2011.4.26)
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参考:
杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社、2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
ニール・ポストマン「子どもはもういない」新樹社、2001
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002年
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
賀茂美則「家族革命前夜」集英社、2003
ピーター・リーライト「子どもを喰う世界」晶文社、1995
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
増田小夜「芸者」平凡社 1957
岩下尚史「芸者論」文春文庫、2006
スアド「生きながら火に焼かれて」(株)ソニー・マガジンズ、2004
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988
ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジンズ、2002
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現代思想社、1984
小野清美「アンネナプキンの社会史」宝島文庫、2000(宝島社、1992)
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」とびら社、2004
小関智弘「おんなたちの町工場」ちくま文庫、2001
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」東洋経済新報社、2001
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、2004
鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006
ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」水声社 2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書店、1993
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」思索社、1982
赤松良子「新版 女性の権利」岩波書店、2005
マリリン・ウォーリング「新フェミニスト経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」平凡社、1992
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
荻野美穂「中絶論争とアメリカ社会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」二見書房、2007
田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、2000
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952
スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、1994
井上章一「美人論」朝日文芸文庫、1995
ウルフ・ナオミ「美の陰謀」TBSブリタニカ、1994
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」中公新書ラクレ、2009
佐藤昭子「私の田中角栄日記」新潮社、1994
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003
キャサリン・サムソン「東京に暮す」岩波文庫、1994

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