匠雅音の家族についてのブックレビュー   女性専用車両の社会学|堀井光俊

女性専用車両の社会学 お奨度:

筆者 堀井光俊(ほりい みつとし)   秀明出版会、2009年 ¥1400

編著者の略歴−1977年、埼玉県に生まれる。2000年、英国立ケント大学社会学部卒業。その後同大学大学院に進学し、2006年に博士号(Ph.D.)を取得。現在はイギリスに在住し、ケント大学で社会学とメディア論を教えている。同時に、宗教社会学とリスク社会学にかかわる分野の研究活動も行っている。秀明大学准教授。主要論文に、「『ヒット商品』としてのリスク」「『リスク社会』再考」などがある。
 女性専用車の登場が、女性差別の象徴だというのは言わずもがなである。
いくら痴漢対策だと言っても、男女を分けるという発想が、そもそも差別であり時代錯誤である。
痴漢被害者は弱者だから保護してくれと言われれば、支配側は喜んで保護する。
それが女性差別の解消だって!
とんでもない。

 筆者も、女性専用車が痴漢対策にも役立たず、女性差別解消には逆行しているという。
社会の支配的な価値観をもっているほうは、その支配的な価値観を維持したいと思う。
そのため、支配されているほうが保護を求めたときには、快く保護するのが支配を円滑にする秘訣である。
女性専用車の導入はその見本である。
驚くべきことに、女性専用車は「男女共同参画」の一環として導入されたらしい。
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 (女性の人権問題や社会的地位についての議論)の流れから、女性専用車両は痴漢行為など女性に対する性暴力防止のため、「男女共同参画基本計画(2000)」の一環として導入されたと考えられる。事実、京王電鉄における女性専用車両導入に先立つ1999年10月から11月にかけて、内閣府の男女共同参画室は「男女間における暴力に関する調査」を実施するなかで、「痴漢について」という調査項目を盛り込んでいる。
 しかしながら、政府は北京行動綱領(1995年)を踏まえて策定された「男女共同参画2000年プラン」(1996年)および「男女共同参画基本計画(2000)」において、痴漢などの女性に対する性暴力防止策としての女性専用車両の導入を公的に推進していない。それを推し進めたのは国土交通省である。性暴力防止策としての女性専用車両の導入は、同省によって公にされたのだ。P48


 政府と国土交通省の見事な任務分担と言ったらいいだろう。

 インドはカルカッタの路面電車は、2両連結の片方が女性専用車だった。
女性専用車は我が国だけではない。
メキシコやブラジルでは女性専用車が好意的に受け入れられているらしい。
しかし、ニューヨークといいロンドンといい、いわゆる先進国では女性専用車の導入はただちに拒否されている。

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 我が国の女性専用車に対しては、女性たちからさえ賛否が相半ばしている。
導入反対派は、女性専用車は男女不平等の象徴であると考え否定し、賛成派は女性の安全が守られるから肯定している。
女性たちの間ですら賛否が半々であるにもかかわらず、大学フェミニズムは反対のコメントを出さなかった。
つまり、女性専用車の導入を黙認しているのだ。

 痴漢問題では、被害者ばかりを取り上げ、加害者を取り上げていないと筆者は言う。
被害にあわないにはどうするかなどが語られ、その究極の解決が女性専用車に乗ることだという。
その反射として、女性専用車に乗らない女性は痴漢に遭うことを覚悟しているから、痴漢にあっても自己責任だというのだ。
被害者保護という視点で語れば、現状の支配的価値観には触れずに良いことずくめである。

 痴漢冤罪事件が発生することによって、痴漢にあった女性も冤罪をおそれて、加害者を告発しにくくなった。
しかし、女性専用車の導入より、痴漢冤罪報道のほうが先だという。
ますます女性専用車の導入は、男性支配社会の維持と思われてくる。

 何が男性で何が女性かを分ける基準も明確でないにもかかわらず、外見だけで男女を分ける発想は時代錯誤である。
女性専用車に乗ることは、女性自身が自分を社会からの隔離することである。
女性専用車は痴漢男性の排除ではなく、人間を分けるものだ。

 精神病理上、痴漢犯罪は若年男性(とくに15〜25歳)によって行われやすいのに、被害者の加害者イメージは「中年」男性が多いことが指摘されている。P120

 A・フリードマンは、2002(平成14)年に発表した論文で、明治時代の婦人子供専用車に触れている。それに対する批評として、そうしたサービスを導入する裏には「女性は自分自身を守れない弱い存在」という考えがあり、「女性の安全を守る」との名目で守っているのは「純粋無垢」な女性性のイメージではないかと指摘。この考えを近年の女性専用車両導入に当てはめれば、根底にあるのも「女性は弱く守られるべきもの」という先入観だ。また、痴漢によって侵されるのは被害者の人権ではなく、若い女性の純粋無垢なイメージなのではないだろうか。男性主義的社会のなかで女性に押しっけられているイメージを守る装置として、女性専用車両が存在している。P144

 ここから筆者は、中年男性のイメージと、男女性別役割へと話を広げていく。

働く中年男性は、家族を背負っており妻子を養っている。
しかし、実際の痴漢加害者の年齢を問わずに、加害者のイメージが「中年」男性に固まっているのは、女性たちが社会のメインストリームで働けない、また働いても「負け犬」とか「オニババ」と揶揄される状況を反映しているのではないかという。

 子供を産むことこそ女性の役割という観念が、女性専用車を用意させたのだという結論は良いとしても、本論からずいぶんと離れてしまった。
バンソウコウと理屈は、どうにでも付けられるという感じがする。
社会学とはどんな結論へでももっていけるものなのだろうか。  (2011.8.29)
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参考:
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まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワー クス、2001
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クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書 房、1966
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現 代思想社、1984
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ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」 とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新 潮文庫、2005
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小関智弘「おんなたちの町工場」 ちくま文庫、2001
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シンシア・S・スミス「女は結婚すべ きではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」 東洋経済新報社、2001
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」 角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、 2004
大塚英志「「彼女たち」 の連合赤軍」角川文庫、2001
鹿野政直「現代日本女性史」 有斐閣、2004
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、 2006
ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」 水声社 2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、 1972
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
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荻野美穂「中絶論争とアメリカ社 会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」 二見書房、2007
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奥地圭子「学校は必要 か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもから の自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
ジェシ・グリーン「男 だけの育児」飛鳥新社、2001
末包房子「専 業主婦が消える」同友館、1994
熊沢誠「女性労働 と企業社会」岩波新書、2000
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史  まだ病院がなかったころ」勁草書房、1994
信田さよ子「母が重くてたまらない」春秋社、2008
匠雅音「核家族か ら単家族へ」丸善、1997
ミシェル・ペロー編「女性史は可能か」藤原書店、1992
マリリン・ヤーロム「<妻>の歴史」慶應義塾大学出版部、2006
ジャーメン・グリア「去勢された女」ダイヤモンド社、1976
堀井光俊「女性専用車両の社会学」秀明出版会、2009

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