匠雅音の家族についてのブックレビュー   近代日本の誕生|イアン・ブルマ

近代日本の誕生 お奨度:

筆者 イアン・ブルマ   ランダムハウス講談社 2006年 ¥1800−

編著者の略歴−ニューヨークのバード・カレッジ教授。オランダ・ハーグ生まれ。ライデン大学で中国文学と中国史を学んだのち、日本への関心を高め、日本大学芸術学部で日本映画を専攻。その後は日本と香港を拠点として写真家、映画評論家、ジャーナリストなどさまざまな分野で活動しながら、世界各地の大学で教鞭をとる。邦訳書に『戦争の記憶』(筑摩書房)、『イアン・ブルマの日本探訪』(ティビーエスプリタニカ)、『反西洋思想』(共著、新潮社)などがある。
 A・B・ミットフォード「英国外交官の見た幕末維新」、 モース「日本人の住まい」、 アリス・ベーコン「明治日本の女たち」、 キャサリン・サンソム「東京に暮す」、 ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」などなど、本サイトは外国人の見た日本を何冊か取り上げてきた。
しかし、これらは短い期間であり、いずれも体験記である。
我が国のことを書いている外国人は多いが、1853年のペリー来航から1964年までの通史を書いている人は少ない。
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 本書を初めとする外国人の書いたものは、国内からだけの観察では気がつかない点を教えてくれ、なかなか新鮮な感じがすることが多い。
もちろん内容的にすべて正しいとばかりは言えないし、どんな本でも批判的に読むのは変わりがない。

 本書のユニークな点は、筆者が中国文学と中国史を学んでいることだ。
そのため、単に西洋からの視点ではなしに、当時の中国との比較で日本を見ることができた。
そのため、世界有数の文明を持った中国が、なぜ西洋列強からの攻撃にやすやすと負けてしまい、明治日本が植民地化を免れた理由を、説得力を持って良く解説している。

 西洋科学のもたらした衝撃は、どちらかといえば日本よりも中国の方が深刻だった。中国が宇宙の中心でないことを明らかにしたからだ。道徳革命という事態を未然に防ぐため、中国は自国の道徳思想と西洋科学とを別物と見なし、西洋思想に道徳的意味を認めないという策を採った。十九世紀後半には、この立場は「中体西用」というスローガンとなって盛んに唱えられた。しかし、この方法は中国では完全な失敗に終わる。(中略)
 西洋思想に対する日本人の反応も似たようなものだったが、衝撃の度合いは小さかった。衝撃の受け止め方が違っていたと言ってもいいだろう。日本の知識人も、体面を保つため「和魂洋才」を合言葉に使った。これも中国と同じでうまくいかなかったが、日本には文化的辺境にあるという利点があった。日本人思想家は実にやすやすと、中国を学問の中心地と見ることをやめ、目指すべき新たな中心地を見つけだした。日本人には、世界は日本を中心に回っていると勘違いしていた者はほとんどいなかった。もしかすると日本を他国より優れた神の国くらいには思っていたかもしれない。それでも、多くの国々と競い合う国の一つにすぎないと考えていたようだ。また、政治制度とその基になる政治思想は中国から持ち込んだものだという自覚もあった。だから、古い株序がもう役に立たないとわかった時点で、新たな思想を当たり前のように他から借りてくることができたのである。P29


 中華中心思想があったから、中国を中華たらしめていたのだし、中国が4千年の歴史を創ってこれたのだ。
中国が西洋という強大な文明と出会ったときに、まさに中国を中国たらしめていた中華思想が、中国の強大化を邪魔したのである。
これは塩野七生がいう<成功した原因が、失敗へと導いていく>というのと同じである。
成功体験が失敗へと導くのだ。

 我が国は、物造りで一時期栄華を極めた。
我が国のエレクトロニクス産業は、ソニーを初めとして物を創ることに血道を上げ、工業世界の先頭を走ってきた。
我が国は、物造りが身体の芯まで染みこんでいたから、物造りで成功した。

 工業製品の性能も限界近くまで達してしまい、産業は情報という無形のものへと転じてきた。
しかし、我が国は成功したがゆえに成功体験が邪魔して、情報産業に転換することができない。

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 台湾にしろ韓国にしろ、工業製品の物造りでは日本ほど成功したとは言えない。
台湾や韓国の工業生産は、日本からの借り物だったがゆえに、簡単に捨て去ることができた。
そして、新たな情報産業へと上手く転身することができた。

 日本中心史観をもっていたら、我が国は明治維新をおこすこともできなかったし、西洋列強に抗して工業化に成功することもなかっただろう。そして、もちろん太平洋戦争へと突き進むこともなかったに違いない。

 歴史は皮肉である。
明治維新の元勲たちは、熾烈な武闘をくぐり抜けてきたがゆえに、軍隊を簡単に動かせないようにと制度を作った。
それが軍隊の政治への関与禁止であり、天皇直属である。

 (1882年の軍人勅諭によって)天皇の軍隊は、政治への関与も禁じられた。天皇の政治方針に異を唱えるのはもちろん、個人的な意見を述べることさえ許されなかった。
 山県の狙いは軍隊を政治と分離し、天皇の意思のみで動く一段高い存在に変えることにあった。こうすれば反乱を防げると思ったのだ。しかし、この発想に大きな欠陥があることが、50年後に明らかになった。反乱を防ぐどころか、逆に何度も反乱を招く根拠とされたのである。兵士の忠誠が神聖な天皇にのみ向けられるのなら、文民政治家が天皇の意思を無視していると判断できれば反乱を起こしても何ら問題はないことになるからだ。後の1936年、急進派の陸軍青年将校たちは、これと寸分違わぬ思考経路をたどつて2.26事件を起こし、重臣や閣僚などを次々と殺害して天皇への忠誠心を示そうとしている。P71

 
 2.26事件をおこした青年将校たちは、自ら権力を握ろうとした反乱軍ではなく、天皇への忠誠をもっとも強くもった若者たちだった。
つまり、我が国の近代は、日本神話=天皇という中心的な価値へと、きわめて強く収斂していくものだった。
決して天皇を倒して、自らが支配者になろうとしたのではなかった。

 戦後に関しても、マッカーサーを巡って日本人が揺れ動いた軌跡を、本書は上手く説明している。
なにしろ、鬼畜米英と言っていた相手の親分が乗り込んできたのだ。
さぞや反抗し、手を焼かせると思いきや、日本人はきわめて従順だった。 
 
 マッカーサー解任に対する日本人の反応は、歴史上ほかに例を見ないものだった。右派も左派も不満を抱いていたにもかかわらず、誰もが別れを惜しんだのである。リベラルな朝日新聞は社説で、マッカーサーが 「われわれに民主主義、平和主義のよさを教え、日本国民をこの明るい道へ親切に導いてくれた」ことに感謝の意を表した。さらに社説は、マッカーサーの父親心をくすぐるように、「子どもの成長を喜ぶように、昨日までの敵であった日本国民が、一歩一歩民主主義への道を踏みしめていく姿を喜び、これを激励しっづけてくれた」と書いた。天皇も自ら出向き、今までの功績に感謝の言葉を述べる。羽田空港へ向かう沿道には、何十万人もの日本国民が列を成し、泣きながら小旗を振った。学校も休校になる。NHKはラジオ放送で「蛍の光」を流した。P183

 そして、戦後の経済復興と、高度経済成長の原因を次のように言う。

 手先の器用さや感受性の豊かさ、集団意識などの「国民性」を指摘したりすることが多い。
確かにそれも一理ある。しかし、戦後の経済復興には、それを生み出した人々が日米双方にいたことも忘れてはならない。アメリカ側は、ダグラス・マッカーサーとジョゼフ・ドツジ。日本側は、戦前から手つかずのまま残された官僚と保守政治家だ。こうした官僚と保守派によって、戦前の国体は戦後の自民党体制に見事なほどスムーズに移行できたのである。P196


 高度経済成長期の日本を称して、真の意味での社会主義国だと言われたこともある。
否定的にレナード・ショッパ「「最後の社会主義国」日本の苦悩」と皮肉られたこともある。
いずれにせよ、戦前の軍事優先の統制経済が、傾斜生産方式をはじめとする計画経済に変わっただけだったのである。

 おそらく今でも、戦前から続く日本人の体質は、ほとんど変わっていないだろう。
日本人の体質は、追いつくための工業化には最適だった。
しかし、情報産業へと転じた今、追いつくためには有為だった日本人の資質が、反対に足枷になり始めているのだろう。
外国人に本書のようにシャープな分析をされてしまうと、何といって良いか判らない。
(2012.8.17)
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参考:
J・S・ミル「女性の解放」 岩波文庫、1957
西川長大「国境の超え方」平凡社、2001
戸部良一他「失敗の本質」ダイヤモンド社、1984

ピータ・W・シンガー「戦争請負会社」NHK出版、2004
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社 2001
菊澤研宗「組織の不条理」ダイヤモンド社、2000
ガバン・マコーマック「属国」凱風社、2008
ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」岩波書店、2002
サビーネ・フリューシュトゥック「不安な兵士たち」原書房、2008
伊藤桂一「兵隊たちの陸軍史」新潮文庫、1969
石原里紗「ふざけるな専業主婦 バカにバカといってなぜ悪い」新潮文庫、2001
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
田嶋雅巳「炭坑美人 闇を灯す女たち」築地書館、2000
モリー・マーティン「素敵なヘルメット 職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
シェア・ハイト「なぜ女は出世できないか」東洋経済新報社、2001
山本七平「空気の研究」文春文庫、1983
山本七兵「日本資本主義の精神」光文社文庫、1979

エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975
E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988
イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001
ポール・ファッセル「階級「平等社会」アメリカのタブー」光文社文庫、1997
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992
クロード・レヴィ=ストロース「親族の基本構造」番町書房、1977
湯沢雍彦「昭和前期の家族問題」ミネルヴァ書房、2011
吉川洋「高度成長」中公文庫、2012
イアン・ブルマ「近代日本の誕生」ランダム講談社、2006

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