編著者の略歴−コロンビア大学Ph. D 取得。ニューヨーク大学助教授。日本近代史。 1人暮らしの人を弧族というのだそうだ。 「核家族から単家族へ」をいう本サイトとしては、こうした本を見過ごすことはできない。 しかし、大手新聞社などマスコミが、1人生活者を扱うのは孤独死の報道からだ。 そのため、1人生活者は家族が作れない可愛そうな人で、何とかしなくてはならないと否定的なトーンに満ちている。
本書の筆者たちは家族がたくさんいて、若夫婦に子供たち、それに老人が同居している姿を理想としているようだ。 しかも、この文章を書いている筆者たちは、自分たちは家族持ちだから本書の男たちとは違うよ、とその文体は言っているように聞こえる。 1人生活者にも、1人であることを辛いと感じる人と、1人生活を辛いと思わない人があるはずである。 本書が扱うのは、高給を稼ぐいわゆる総合職の人々ではなく、消耗品扱いされる低賃金労働者のように感じる。 ブルーカラーに相当する職種は、どんどん機械に置きかえられている。 それが1人生活だけではなく、労働する人間を不要としている暗さにつながっている。 本書もご多分に漏れずに、1人生活者を悪い存在であるかのように扱っている。 とりわけ第1章では、1人で死んでいく男性を扱って、思い切り憐憫の情を投げかけている。 人口が減れば、1人暮らしが増えるのは当然ではないか。 1人暮らしを哀れむのではなく、1人暮らしでも楽しい社会にすべきなのだ。 大家族の中だって、大きな確執はあった。 大家族の中では弱い者へしわ寄せが来たが、弱い者たちはそれを発言する方法を知らなかった。 そして、大家族の中でも、1人で生活している人もいた。 大家族の時代には、誰でもが肉体労働者だったから、労働する人を暗く見なかった。 肉体労働は貧乏暮らしでもカラッとしていた。 ところが、今ではブルーカラーは社会的に否定された存在なのだ。 実は人間は誰でも1人で生まれ、1人で死んでいくのだ。 第1章 男たち 第2章 家族代行 第3章 3.11から 第4章 女たち
最後の資料編にもあるように、「独居で未婚」という男女は増えつづけている。 それは知識社会とか、情報社会といわれる産業が、個人化を要求しているのだ。 そのため、収入が多くても人びとは結婚しなくなっている。 我が国では、結婚しないとセックスをしてはいけない建前だし、もちろん未婚で子供を持つことを否定している。 そのために、出生率が下がっている。 子供が産まれないままであれば、どんな社会だって老人が増えていくことは当然の成り行きである。 それにしても、日本人に元気がない。 ゼネコンの下請けで現場監督をしている男性が次のように言っている。 職場で元気なのは外国人だけ。日本人は下を向いて歩いて指図聞くだけ。俺って、沈んでいく日本のど真ん中にいるんだと思うんです。P75 建築現場では外国人がたくさん働いている。 とりわけ解体工事のような汚れ仕事では、作業員の半分は外国人だと言っても良い。 確かに、そこでは外国人の方がはるかに元気が良い。 現場を仕切っているのも外国人のことが多い。 日本人は覇気がない。 この話題は、当方の実体験でもあるので、肯けることしきりだった。 なぜか、ひきこもる人々の6、7割を男性が占める。進学や就職をめぐり、周囲が男性に寄せる期待の高さがストレスになっている、と専門家は見る。さらに、最近の不景気が社会復帰を阻んで長期化を招き、加えて就職難が新たに20代、30代になってひきこもる高年齢層も生んでいる。P91 本文中にも書かれていたが、個人を単位とする社会=単家族社会となっているのに、人々はいまだに農業や工業社会の価値観に生きている。 そのために常時雇用はホワイトカラーしか対象にしていないし、企業は新卒や第二新卒しか期待していない。 社会のシステムを個人が打ち破っていくのは至難の業である。 結婚なんてしなくても生きていけるし、恋人や友人がいれば、人生は決して暗くない。 しかし、我が国では恋人とは、いつか結婚する相手のことなのだ。 だから男女が恋人で居続けることがとても息苦しい。 また、子供が産まれたら、2人の男女が育てなければならない。 情報産業社会では、子供は社会が育てるものであるにもかかわらず、社会は子育てを引き受けようとはしない。 社会のシステムは変わりそうもないし、企業も政治も変えようとはしていない。 韓国が2008年1月1日から、核家族という戸籍制度を廃止したことを知らないかのようだ。 韓国の隆盛は、社会のシステムを変えようとした結果なのである。 政治や大企業は、韓国との競争に負けていくのを座視しているだけだ。 本書は新聞連載を単行本化しただけとはいえ、「ひとりがつながる時代へ」と副題を付けながら、事実を並べるだけで何も新しい視点はない。 大手マスコミがこの程度では、我が国の先は知れたものだ。 (2012.8.30)
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