匠雅音の家族についてのブックレビュー   天皇財閥−皇室による経済支配の構造|吉田祐二

天皇財閥
皇室による経済支配の構造
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筆者 吉田祐二(よしだ ゆうじ)  学研 2011年 ¥1600−

編著者の略歴−1974年生まれ。千葉大学大学院修士課程中退。出版社勤務などを経て2001年から4年間ヨーロッパ(オランダ)に企業駐在員として赴任。現在も輸出機器メーカーに勤務しながら、政治・経済に関する研究、論文の執筆を行っている。貨幣経済理論および政治思想、近代企業経営史などを研究のテーマとする。SNSI(副島国家戦略研究所)研究員。著書に『日銀 円の王権』(学研パブリッシング)、共著に『日本の真実』『エコロジーという洗脳』(ともに成甲書房)、『悪魔の用語辞典』『日本のタブー』(ともにKKベストセラーズ)がある。
 戦前の天皇家が、世界有数の大金持ちだったことは周知だが、それについて書かれた本は少ない。
本書のような研究書が上梓されると、まだ捨てたものでもないとホッとする。
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 何ごとも経済的な裏付けがないと、権威も権力も成立しない。
新興宗教だって既成宗教だって、どこでも本山は大金持ちである。
同様に天皇支配だって、経済的な裏付けをもっていたのだ。

 天皇家の財産規模たるや、我が国のGNPの5分の1に相当した。
三井・三菱・安田・住友といった財閥を遙かに超え、他の財閥をすべて合わせたものの10倍もあるものだった。
筆者は事実に語らせようと、丁寧に筆を進めていく。
 
 天皇は、日本を代表する複数の国策企業の大株主であり、なかんずく日本銀行の、過半数を超える株式を持つ大投資家であった。P19

 通常の財閥は、持株会社をつくって、支配下の企業を動かしていく。
持株会社の株を、少数の個人が所有することによって、財閥の支配が形作られている。
しかし、天皇の場合は違うという。

 天皇財閥と他の財閥が異なる点は、財閥本社である持株会社の支配形態である。一般的な財閥は、財閥家族が持株会社の株式を所有することで支配する。しかし、天皇家は持株会社の機能を有していた宮内省の株式を持っていたわけではないし、そもそも宮内省は株式を発行していない。それでも、宮内省が天皇家を輔弼するのは制度上当然のことであり、その結果、天皇家が宮内省を支配していることと同じことになるのである。
 天皇家は、三井財閥の三井家や三菱財閥の岩崎家と同様に「財閥家族」であり、その財閥本社としての機能は宮内省が有していた。天皇家と、職員数千人をかかえる宮内省の複合体である(天皇家=宮内省)こそが、天皇財閥という大企業の中核である。P21


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 天皇は国家にたいして、膨大な債権を持ち、年あたり7〜8百万円の利息を得ていた。
そして、天皇は日本最大の地主であり、これまた膨大な地代を稼いでいた。
しかし、天皇が大金持ちであること、大地主であることは、周到に隠されていた。

 天皇家は銀行や国策会社の株も所有していた。
日本郵船や日本興業銀行、南満州鉄道、朝鮮銀行などは周知だろう。
それでも昭和の初期までは、私企業の自立性が保たれていた。
1942年以降になると、国家総動員法が施行されたため、天皇家の下に各財閥が組みこれる形になった。
そのため、人的な支配だけではなく、資本の上からも、天皇家はすべての財閥を支配する財閥の財閥になった。

 1940年以降の日本では、生粋の資本主義者たちである財界人と計画経済主義者である官僚が、お互い手を取りあって戦時の総動員体制を推進したのである。このことは、一見不思議に思えるだろう。思想が180度異なる人たちが、物事をいっしょに進められる訳はないと。ここから、戦時中は、無力な財界人は暴力装置を背後にもった軍部に引き摺られて、無理やり戦争に協力させられていたのだ、逆らえば殺されていたのだ、という言論が生まれることになる。
 しかし、事実はそうではなかったのである。
 資本主義者たちである財界人と計画経済主義者である官僚は、日本の国力増強という共通の目標を持っており、その目標を達成するために、一致団結したのである。P155


 企業は利益を求めて活動する。
財界人たちは軍部と結ぶことが利益になるとみれば、軍部に率先して協力した。
1931年に満州事変がおき、満洲国への進出が始まった。
すでに満洲には、天皇家が利権を持つ企業がいくつもあった。
天皇家にとって、経済的な意味でも、満洲への進出は有為なことであった。

 戦争に負けて、財閥は解体された。
天皇財閥も解体された。
天皇家の戦前の膨大な財産は、企業が倒産したと同じことになり、天皇個人の財産はすべて国家に帰属することになった。
現在の憲法では、天皇家の財産は国家に属している。
天皇は単に出資した分を失っただけで済んだのである。

 現在も天皇家の支配が続いている企業がある。
それは日本赤十字社(日赤)である。
しかし、戦前ほどの支配力を持っていないため、かえって日本では支配の中心に官僚が居座った。
そして、「日本株式会社」という法人が中心になって、支配の顔が見えなくなったという。

 天皇賛美の話なら、どこの出版社でも乗ってくるだろう。
しかし、天皇に関する冷静な分析は、イデオロギーで屈折させられて、なかなか出版社は手をださないにちがいない。
筆者は孤独だろうと思うが、良くやっている。    (2012.8.30)
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参考:
M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001年
ジェリー・オーツカ「天皇が神だったころ」アーティストハウス、2002
原武史「大正天皇」朝日新聞社、2000
大竹秀一「天皇の学校」ちくま文庫、2009
ハーバート・ビックス「昭和天皇」講談社学術文庫、2005
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
浅見雅男「皇族誕生」角川書店、2008
河原敏明「昭和の皇室をゆるがせた女性たち」講談社、2004
加納実紀代「天皇制とジェンダー」インパクト出版、2002
繁田信一「殴り合う貴族たち」角川文庫、2005
ベン・ヒルズ「プリンセス マサコ」第三書館、2007
小田部雄次「ミカドと女官」恒文社、2001
ケネス・ルオフ「国民の天皇」岩波現代文庫、2009
H・G・ポンティング「英国人写真家の見た明治日本」講談社、2005(1988)
A・B・ミットフォード「英国外交官の見た幕末維新」講談社学術文庫、1998(1985)
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
松原岩五郎「最暗黒の東京」現代思潮新社、1980
イザベラ・バ−ド「日本奥地紀行」平凡社、2000
リチャード・ゴードン・スミス「ニッポン仰天日記」小学館、1993
ジョルジュ・F・ビゴー「ビゴー日本素描集」岩波文庫、1986
アリス・ベーコン「明治日本の女たち」みすず書房、2003
渡辺京二「逝きし世の面影」平凡社、2005
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000
紀田順一郎「東京の下層社会:明治から終戦まで」新潮社、1990
小林丈広「近代日本と公衆衛生 都市社会史の試み」雄山閣出版、2001
松原岩五郎「最暗黒の東京」岩波文庫、1988
横山源之助「下層社会探訪集」現代教養文庫、1990
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
吉田祐二「天皇財閥」学研、2011

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