匠雅音の家族についてのブックレビュー   すべての人にベーシック・インカムを−基本的人権としての所得保障について|筆者 ゲッツ・W・ヴェルナー

すべての人にベーシック・インカムを
基本的人権としての所得保障について
お奨度:

筆者 ゲッツ・W・ヴェルナー  現代書館 ¥2000 2009年

編著者の略歴−1944年、ハイデルベルク生まれ。1973年ドラッグストア・チェーン「デーエム」を創業。2008年現在、「デーエム」はヨーロッパ9カ国で2千余の店舗と3万人の従業員を擁し、年間売り上げは47億ユーロに上る。2003年以降、カールスルーエ工科大学の「起業家精神養成のための学部横断研究所」の教授職に就いている。2008年夏には経営トップの座を後進に譲り、ベーシック・インカム実現を目指す運動のほかに、社会・文化的なプロジェクトを推進。本書および『ベーシック・インカム−基本所得のある社会へ』(現代書館2007年)のほか、ベーシック・インカムに関連した著作、CDおよびビデオフィルムなどが公刊されている。
 我が国は貧富の差が拡大している。
貧困層と言われる人たちが、つまり年収122万円未満の人が人口の16%以上もいるという。
しかも、母子・父子世帯に限ってみれば貧困率は54.6%で、これは世界でも第1位の低水準となっている。

 母子世帯の貧困はよく言われるが、彼女たちは生活保護を受けているケースは少なく、むしろ働いているほうがはるかに多い。
にもかかわらず、貧困に沈んでしまっている。
最低賃金が低いから貧困になるというが、最低賃金を上げると経営者は雇用しなくなるだろう。

 貧困からの脱出手段として、生活保護がある。
我が国の生活保護は、最低賃金で暮らすよりも手当が厚く、生活の保障として機能している。
しかし、国民の1.6%をカバーしているに過ぎず、貧困に沈んでいる人のほとんどは生活保護の対象になっていない。
16%もいる貧困者の全員に、生活保護をかけると国家予算が破綻してしまうだろう。

 貧困は人間から尊厳を奪い、子孫たちを徐々に危機的な状況へと追い込んでしまう。
失業すればもちろん、しかし、我が国では働いても貧困に喘ぐのである。
これは何とかしなければならない。
多くは生活保護の改善などに目が行くが、もはや生活保護では対処できないだろう。

 本書はドイツ人の経営者兼大学教授によって書かれたもので、革新的な制度を提案している。

 就業率の高い国々においてさえ、就業可能な全人口の5分の1から4分の1は稼得労働に従事していないことです。大雑把に言えば、たいていの工業国においては、15歳から64歳までの生産年齢人口に相当する人びとの4分の1から3分の1は就業していない。これをドイツ連邦共和国全体に当てはめると、乳児から老人を含む全人口のうちかろうじて半数が労働に従事していることを意味します。「労働」を「対価の支払われる活動」 の意に解するならば、そうなります。P19

 我が国の就労人口率は68%だというから、事情は似ている。

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  豊かな社会になった。
それは事実である。
もはや餓死する人はいないし、物が溢れ欠乏という言葉は死語になっている。
先進国では夢のような生活が実現されている。
しかし、先進国でも貧困は確実に存在する。
そして、今後このままでは、貧富の差は拡大こそすれ、縮まることはなさそうである。

 工業社会までは肉体労働が主だったから、大量の労働者が必要だった。
しかし、今後の情報社会では、頭脳労働者しかいらなくなる。
かつて人間が行っていた労働は、どんどんとコンピューターに取って代わられていく。
新たな職業も登場するだろうが、その職業は高度な教育を受けた者しかつくことができない。

 失業率は先進国の中では、我が国の失業率は低い。
しかし、働いても貧しいのが我が国である。
表面的には違って見えても、事の本質は変わらない。
筆者は、自給自足の社会から他給自足の社会に変わったので、社会の対応を根本的に変えなければならないという。
豊かな社会では、消費しきれない財とサービスを過剰に産み出している。

 今日思い返してみても驚嘆に値するのは、西ドイツ経済が(1990年の)統一後間髪を容れずに旧東ドイツの追加的な商品需要に完全に対応し得たことです。6250万の西ドイツ市民が自分たちだけでなく即座にさらに1750万の東ドイツ市民に商品を供給することができた事実が意味するのは、−ひどい単純化であることは承知の上で言えば−私たちの経済が当時短期的に巨大な在庫を抱えていたこと、さらに中期的な観点に立てば4分の1を優に超える過剰生産能力を有していたにちがいないことです。ドイツ再統一がたとえば1971年に生じていたならば、おそらく重大な陸路に陥って、場合によっては配給制ということになっていたかもしれません。そう考えれば、全面的な過剰社会がいかに新しい現象であるかがわかるでしょう。P34

 働かざる者食うべからず、というのは物のなかった時代の話であって、物が過剰な他給自足の社会では成り立たないという。
過剰生産力を持ってしまった先進国は、より多くの生産のために新たな労働力の投入を必要としない。
今後の社会は、急速な発展を遂げる生産性の向上により、ますます少ない労働者で遂行される。
それでも社会は成り立っていく。

 今後の社会は、生活保護や社会福祉といった旧来の発想ではなく、すべての人に所得を保障するという<無条件のベーシック・インカム>という考えで対応すべきだという。

 無条件のベーシック・インカムを要求することは、自由で民主的な憲法にもとづく社会にその根拠があるのです。他のすべての基本権と同様に、所得に対する権利もまた人権であり、市民権なのです。それどころかこの権利は私たちの自由権のうちでもまったく基本的な部分に属するものです。P65

 我が国の憲法も、25条で<すべて国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する>と謳っている。
そして、2項で<国は,すべての生活部面について,社会福祉,社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない>と規定している。

 以上のような状況を考えると、我が国でもすべての人にベーシック・インカムが保障されても良いように思う。
むしろ、すでに破綻しつつある生活保護ではなく、ベーシック・インカムという制度に変えるべきではないだろうか。
筆者はベーシック・インカムの財源として、消費税を想定している。

 所得税や法人税は、価値を創造することに課税している。
これでは人々の創意を否定してしまう。そのために、価値を費消する行為である消費に課税すべきだという。
そして、消費税を高率にして、すべて消費税で補えば、他給自足の社会は上手く廻るという。
 
 人間は自分自身のために働き、それによって得られる貨幣収入で生活するのだという誤解−私たちはこの間違ったバラダイムからわが身を解放しなければなりません。なぜなら、第一に、所得は私の労働によって生まれるのではなく、他者が共同体のための仕事に対して反対給付の謝礼を−その都度一時的に貨幣によって−支払うことによって生まれること。第二に、私は私の所得によって生活することはできないからです−紙幣やクレジットカードを食べるのでないかぎり。私は、他者が私のために働いてくれて、消費可能な財やサービスを提供してくれることに依存している。その結果、パンやミルク、卵、砂糖、チーズを買うことができるのです。P183

 ベーシック・インカムという考え方は、豊かな社会に対応するものである。
我々は旧来の肉体労働社会の価値観から、なかなか抜け出せない。
農業が主な産業だった社会では、自給自足が原則だったから、働かざる者食うべからずだった。
しかし、今や誰も自給自足をしてはいない。

 すべての人が他人の労働成果の上に生活している。
それは企業であっても同じである。
豊かな社会では、食べた後で働くのであるという。
大金持ちに対しても、生活できる所得を保障する。
大金持ちにもベーシック・インカムを与えるというのは、とても優れていると思う。
生活保護のように、国が貧しい人に恵むのではなく、国民の全員に所得を保障するベーシック・インカムは、追求すべき制度だと思う。

 原田泰「ベーシック・インカム 国家は貧困問題を解決できるか」など解説本も出始めた。
詳しい計算などは解説書をみるとして、人間の尊厳を取り戻すための有効な方法であるように思う。(2015.04.06)
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参考:
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
ジョン・デューイ「学校と社会・子どもとカリキュラム」講談社学術文庫、1998
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
高倉正樹「赤ちゃんの値段」講談社、2006
デスモンド・モリス「赤ん坊はなぜかわいい?」河出書房新社、1995
ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」早川書房、2000
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997
ウルズラ・ヌーバー「<傷つきやすい子ども>という神話」岩波書店、1997
編・吉廣紀代子「女が子どもを産みたがらない理由」晩成書房、1991
塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
ピーター・リーライト「子どもを喰う世界」晶文社、1995
ニール・ポストマン「子どもはもういない」新樹社、2001、
杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980
矢野智司「子どもという思想」玉川大学出版部、1995  
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年
赤川学「子どもが減って何が悪い」ちくま新書、2004
浜田寿美男「子どものリアリティ 学校のバーチャリティ」岩波書店、2005
本田和子「子どもが忌避される時代」新曜社、2008
鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001
小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
リチヤード・B・ガートナー「少年への性的虐待」作品社、2005
広岡知彦と「憩いの家」「静かなたたかい」朝日新聞社、1997
ゲッツ・W・ヴェルナー「すべての人にベーシック・インカムを」現代書館、2009

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