編著者の略歴−1987年生まれ。タレント、文筆家.2010年、ミス日本ファイナリスト選出をきっかけに、杉本彩が代表を務める芸能事務所「オフィス彩」に所属。日本で出会ったフランス人女性と婚約後、フランスの法律に則って国際同性結婚。レズビアンであることを公表して各種媒体に出演・執筆を行っている。将来の夢は「幸せそうな女の子カップルに″レズビアンって何?″って言われること」。Twiter:@makimuuuuuu 性的少数者の市民権獲得運動の流れの上にある本である。
ホモセクシュアルなる言葉が誕生する頃からは、同性間のセックスが犯罪視され、厳しく禁止されていく。殺されもし、自殺者も出てきた。こうなると同性愛者は生きていくのが息苦しくなってきた。筆者は同性愛が禁止されて摘発されてきた状況を、「同性愛診断法」クロニクルと名付けて記述していく。同性愛を発見するための様々な方法が編み出され、26種類の診断法を展開している。 26種類の診断法は、男性同性愛を発見しようとするものが多く、女性にも論究している診断法は3つ、女性を対象としたのは1つである。筆者が女性ゲイであるため、女性に論究したいようだが、ゲイ・バッシングは圧倒的に男性に対してであった。ゲイの女性がいなかったとは言わないが、男性支配の社会の根幹である年齢秩序を破壊しかねなかったから、ゲイが目の敵にされたのである。筆者のこのあたりは歯切れが悪い。「ゲイの誕生」にて詳しく論じたので、興味があれば参照してください。 どんな診断法でもゲイであることなど診断できないのだが、筆者は最後に次のように言う。 私たちの生きる今、特に英語圏にあっては、「同性愛は生まれつきのものだ」という考え方が圧倒的優勢になつています。レディー・ガガの名曲「ボーン・デイス・ウェイ(こういうふうに生まれた)」に合わせ、カラフルな衣装で楽しそうに踊る、LGBTプライドパレードの参加者たち。そこで「私は″そういうふうに生まれた″わけじやない。″こういうふうに生きてる″だけだ」って言い返すことは、ある種の反乱に等しいのです。2014年には、「私にとってレズビアンであることはポジティブな選択だ」と発言した作家のジユリー・ビンデル氏のもとに、「同性愛を『選択』扱いするな!」と批判が殺到する出来事がありました。 だけれど。 だからこそ。 私はここで、あなたと一緒に、もう一度読み返してみたいと思うのです。150年前に「同性愛者」という表現を考え出したケルトベニが、そして世の中を同性愛者と異性愛者に分断することに反対したキンゼイが、このことについてどんな言葉を遺しているか、ということを。P187 筆者自身の意見をはっきりとは言わないが、同性愛生得派ではなく選択派のように感じる。もちろん当サイトは、頑迷な選択派であり、性的指向は個人の自由だと考える。 「同性愛は『病気』なの?」というタイトルだが、この同性愛には性同一性障害者つまりトランスジェンダーを含めているのだろうか。もし含めるなら、性同一性障害者は病気という扱いを受けており、本人たちも病気であることを受け入れて、性転換手術にのぞんでいる。とすると、同性愛は病気だと言われた方が、かえって行動の自由が得られるのではないだろうか。 筆者は共同生活者を妻と呼んでいるが、これはとても気になった。妻・夫という二項対立的発想は、同性愛VS非同性愛という二項対立と同じ発想で、筆者が嫌ってきたものではないだろうか。結婚制度が揺るぎ始めている現在、なぜ結婚にこだわり連れ合いを妻と呼ばなければならないのか。 筆者たちは2人とも稼いでおり、夫だけが稼ぎ妻は自宅にいるという訳ではないだろう。現代の家族関係は、役割よりも精神的なつながりを重視するものである。妻という言葉には妻役割がはりついている。あえて妻という言葉を使うのは、特別の思い入れを感じてしまう。どう呼ぼうと2人の自由だというなら、同性愛とくくるのも社会の自由だと言うことになろう。 ギリシャ語を学んだという筆者には、古代ギリシャの男色についても触れて欲しかった。これは別のところでということだろうか。ちなみに筆者には、「ゲイの誕生」を同封して、6月下旬に下記の手紙を送付したが、まだ返事はない。(2016.07.14) 牧村朝子様 2016.6.24 年齢の上から下を前提とする性関係から、上下のない横並びの性関係に変わってきたのが、今日のゲイ・ムーブメントではないでしょうか。当事者の人間関係が上下から横並びに変わったので、ゲイは市民権を得ることができたと考えています。そう考えるとなぜゲイが禁止されていたか、また今でも地球上のかなり広範な地域でゲイが禁止されているのか、きわめて良く理解できます。
参考: 早川聞多「浮世絵春画と男色」 河出書房新社、1998 松倉すみ歩「ウリ専」英知出版、2006年 ポール・モネット「ボロウド・タイム 上・下」時空出版、1990 ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛 鳥新社、2001 伊藤文学「薔薇ひらく日を 薔薇族と 共に歩んだ30年」河出書房新社、2001 モートン・ハント「ゲイ:新しき隣 人たち」河出書房新社、1982 リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」 筑摩書房、1996 尾辻かな子「カミングアウト」講談社、 2005 伏見憲明+野口勝三「「オカマ」は差別か」 ポット出版、2002 顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000 及 川健二「ゲイ パリ」長 崎出版、 2006 礫川全次「男色の民俗学」 批評社、2003 伊藤文学「薔薇ひらく日を」河出書房 新社、2001 リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」 筑摩書房、1996 稲垣足穂「少年愛の美学」河出 文庫、1986 ミシェル・フーコー「同性愛と生存の美学」 哲学書房、1987 プラトン「饗 宴」岩波文庫、1952 伏見憲明「ゲイという経験」ポット出 版、2002 東郷健「常識を越えて オカ マの道、70年」 ポット出版、2002 ギルバート・ハート「同性愛のカルチャー研究」 現代書館、2002 早川聞多「浮世絵春画と男色」 河出書房新社、1998 ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛 鳥新社、2001 神坂次郎「縛られた巨人」 新潮文庫、1991 風間孝&河口和也「同性愛と異性愛」 岩波新書、2010 匠雅音「核家族か ら単家族へ」丸善、1997 井田真木子「同性愛者たち」文芸春秋、1994 編ロバート・オールドリッチ「同性愛の歴史」東洋書林、2009 ミッシェル・フーコー「快楽の活用」新潮社、1986 アラン プレイ「同性愛の社会史」彩流社、1993 河口和也「クイア・スタディーズ」岩波書店、2003 ジュディス・バトラー「ジェンダー トラブル」青土社、1999 デニス・アルトマン「ゲイ・アイデンティティ」岩波書店、2010 イヴ・コゾフスキー・セジウィック「クローゼットの認識論」青土社、1999 デニス・アルトマン「グローバル・セックス」岩波書店、2005 氏家幹人「武士道とエロス」講談社現代新書、1995 岩田準一「本朝男色考」原書房、2002 海野 弘「ホモセクシャルの世界史」文芸春秋、2005 キース・ヴィンセント、風間孝、河口和也「ゲイ・スタディーズ」青土社、1997 ギィー・オッカンガム「ホモ・セクシャルな欲望」学陽書房、1993 イヴ・コゾフスキー・セジウィック「男同士の絆」名古屋大学出版会、2001 スティーヴン・オーゲル「性を装う」名古屋大学出版会、1999 ヘンリー・メイコウ「「フェミニズム」と「同性愛」が人類を破壊する」成甲書房、2010 ジョン・ボズウェル「キリスト教と同性愛」国文社、1990 堀江有里「「レズビアン」という生き方」新教出版社、2006 フリッツ・クライン「バイセクシュアルという生き方」現代書館、1997 前川直哉「男の絆」筑摩書房、2011 竹内久美子「同性愛の謎」文春文庫、2012 牧村朝子「同性愛は「病気」なの?」星海社新書、2016
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