匠雅音の家族についてのブックレビュー   同性愛は「病気」なの?|筆者 牧村朝子

同性愛は「病気」なの?
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筆者 牧村朝子(まきむら あさこ)  星海社新書 ¥840 2016年

編著者の略歴−1987年生まれ。タレント、文筆家.2010年、ミス日本ファイナリスト選出をきっかけに、杉本彩が代表を務める芸能事務所「オフィス彩」に所属。日本で出会ったフランス人女性と婚約後、フランスの法律に則って国際同性結婚。レズビアンであることを公表して各種媒体に出演・執筆を行っている。将来の夢は「幸せそうな女の子カップルに″レズビアンって何?″って言われること」。Twiter:@makimuuuuuu

   性的少数者の市民権獲得運動の流れの上にある本である。
筆者自身がゲイであることを公表しており、フランス人女性を妻として共同生活をしている。
本書では自身の夫婦生活には触れられていないが、ブログなどで妻のことにも触れているので、私生活を秘しているわけではないようである。

 本人がゲイの場合には、どうしてもゲイであることを正当化したくなるのは、仕方のないことだろう。ゲイは抑圧されてきた、差別されてきた、こんなことは許せない。ゲイだってストレートと同じように生きる権利がある。「ゲイの誕生」でも述べたように、当然の主張である。女性解放運動、少数民族の独立運動など、みな人間であることの自己の正当性を訴えたいのだ。という共感をしたうえで、書籍として書かれている内容を見ていこう。
 
 1868年5月6日、ケルトベニはウルリヒスに宛てて手紙を書きます。ウルリヒスが「ウルニング」だなんてちょつとカッコよすぎる名前で同性愛者を呼んでいたのに対し、ケルトベニはもうちょつとシンプルな言葉づかいをしてみせました。ギリシャ語で「同じ」を意味する「ホモ(Homo)」と、ラテン語で「性」を意味する「セクスス(Sexus)」を組み合わせ、「Homosexual(同性愛者)」という言葉をつくり出したのです。さすが、語学に長けた言葉のプロのやることです。同じ要領で、ケルトベニは「Heterosexual(異性愛者)」という言葉もつくりだしてみせました。P46

 アラン・ブレイも「同性愛の社会史」で1890年以前には、イギリスに同性愛という言葉はなかったと言っている。1868年つまり明治元年頃に、同性愛という言葉ができたのだろう。それまでは同性愛という行為はあっても、相手の性別を区別はしていなかった。セックスの相手が男性でも女性でも、取り立てて違う扱いをする必要がなかった。そのために同性愛という言葉がなくても、社会的な支障はなかったのだろう。

 同性愛は大昔から地球上のどこにでもあった。本書ではシワ・オアシスの人々のことが書かれており、彼らは男女両方と性関係を持った例をあげている。この例がいつ頃のことだか明記されていないが、おそらく相当古い=伝統的な産業で生計を立てている人たちだろう。彼らの例を挙げるなら、やはりギリシャの少年愛や江戸時代まで続いた我が国の男色を取り上げるべきだろう。

 シワの人たちは男女両方と性関係を持つと書かれているが、彼らは今日言うところの同性愛者ではない。シワの男性が相手にしたのは少年だった。それは男色を好んだ江戸の人たちと同じである。現代では少年への性的虐待となる行為が、シワ・オアシスでは許されていた。この時代の少年愛は、年長者が年少者に挿入する=成人の文化を注入する象徴だったから、許されていたのである。

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 ホモセクシュアル誕生以前では、成人男性が年少の男性とセックスをしても、社会的に特異な目で見られなかった。少年と女性はともに社会的な劣位者であり、男性が挿入者である限り、劣位者への性行為は成人男性にとっては同じだった。だから、少年との行為をあえて同性愛という必要はなかった。しかし、近代の進行とともに女性の地位が変化し、少年とは区別されていく。ここでホモセクシュアルという言葉ができる。ホモセクシュアルという言葉ができて以降と、できる以前では同じ性行為であっても、意味が違ったと考えるべきだろう。

 ホモセクシュアルなる言葉が誕生する頃からは、同性間のセックスが犯罪視され、厳しく禁止されていく。殺されもし、自殺者も出てきた。こうなると同性愛者は生きていくのが息苦しくなってきた。筆者は同性愛が禁止されて摘発されてきた状況を、「同性愛診断法」クロニクルと名付けて記述していく。同性愛を発見するための様々な方法が編み出され、26種類の診断法を展開している。

 26種類の診断法は、男性同性愛を発見しようとするものが多く、女性にも論究している診断法は3つ、女性を対象としたのは1つである。筆者が女性ゲイであるため、女性に論究したいようだが、ゲイ・バッシングは圧倒的に男性に対してであった。ゲイの女性がいなかったとは言わないが、男性支配の社会の根幹である年齢秩序を破壊しかねなかったから、ゲイが目の敵にされたのである。筆者のこのあたりは歯切れが悪い。「ゲイの誕生」にて詳しく論じたので、興味があれば参照してください。

douseiai どんな診断法でもゲイであることなど診断できないのだが、筆者は最後に次のように言う。

 私たちの生きる今、特に英語圏にあっては、「同性愛は生まれつきのものだ」という考え方が圧倒的優勢になつています。レディー・ガガの名曲「ボーン・デイス・ウェイ(こういうふうに生まれた)」に合わせ、カラフルな衣装で楽しそうに踊る、LGBTプライドパレードの参加者たち。そこで「私は″そういうふうに生まれた″わけじやない。″こういうふうに生きてる″だけだ」って言い返すことは、ある種の反乱に等しいのです。2014年には、「私にとってレズビアンであることはポジティブな選択だ」と発言した作家のジユリー・ビンデル氏のもとに、「同性愛を『選択』扱いするな!」と批判が殺到する出来事がありました。
 だけれど。
 だからこそ。
 私はここで、あなたと一緒に、もう一度読み返してみたいと思うのです。150年前に「同性愛者」という表現を考え出したケルトベニが、そして世の中を同性愛者と異性愛者に分断することに反対したキンゼイが、このことについてどんな言葉を遺しているか、ということを。P187

 筆者自身の意見をはっきりとは言わないが、同性愛生得派ではなく選択派のように感じる。もちろん当サイトは、頑迷な選択派であり、性的指向は個人の自由だと考える。

 「同性愛は『病気』なの?」というタイトルだが、この同性愛には性同一性障害者つまりトランスジェンダーを含めているのだろうか。もし含めるなら、性同一性障害者は病気という扱いを受けており、本人たちも病気であることを受け入れて、性転換手術にのぞんでいる。とすると、同性愛は病気だと言われた方が、かえって行動の自由が得られるのではないだろうか。

 筆者は共同生活者を妻と呼んでいるが、これはとても気になった。妻・夫という二項対立的発想は、同性愛VS非同性愛という二項対立と同じ発想で、筆者が嫌ってきたものではないだろうか。結婚制度が揺るぎ始めている現在、なぜ結婚にこだわり連れ合いを妻と呼ばなければならないのか。

 筆者たちは2人とも稼いでおり、夫だけが稼ぎ妻は自宅にいるという訳ではないだろう。現代の家族関係は、役割よりも精神的なつながりを重視するものである。妻という言葉には妻役割がはりついている。あえて妻という言葉を使うのは、特別の思い入れを感じてしまう。どう呼ぼうと2人の自由だというなら、同性愛とくくるのも社会の自由だと言うことになろう。

 ギリシャ語を学んだという筆者には、古代ギリシャの男色についても触れて欲しかった。これは別のところでということだろうか。ちなみに筆者には、「ゲイの誕生」を同封して、6月下旬に下記の手紙を送付したが、まだ返事はない。(2016.07.14)


牧村朝子様                                                                                    2016.6.24
 貴著『同性愛は「病気」なの?』を楽しく読ませていただきました。感謝です。しかし、172ページ以降が、ちょっと気になってしまいました。それで失礼を顧みずに、この手紙を書いています。
 貴著の論旨はよく理解できます。同性愛は病気でもないし、生まれつきでもない。その通りだと思います。では、何なのでしょうか? キンゼイの言うように、具体的な人間は男性的から女性的の間の存在なのでしょう。だから性指向性は、現れ方の違いによるだけなのでしょうね。
 同性愛が厳しく禁止されている社会は、現代でも地球上に広範に存在します。貴姉が言われるごとく、西洋諸国でも最近まで同性愛は犯罪扱いでした。しかも、死刑にすらなるという重大な犯罪でした。
 同性愛は大昔から地球上のどこにもありました。しかし、昔の同性愛は今日いう同性愛とは異質なものだったように思います。年長男性が思春期の若い男性を相手にセックスをしたのが、かつての同性愛つまり男色だったのではないでしょうか。この手の男色は、今日では未成年者への性的な虐待としてみられ、先進国では犯罪扱いとなっています。我が国でも、合意の上であるにもかかわらず、未成年男性を相手にした成人男性が、しばしば逮捕されています。
 今日の同性愛=ゲイとは、エヴァ・クールズがいうように概ね同世代の性関係であることはご承知の通りです。真田広之がアンソニー・ホプキンスと共演した「最終目的地」のような戸惑う例もありますが、当事者同士は社会的な地位も年齢も、だいたい横並びの関係をスタンダードとしているようです。

    年齢の上から下を前提とする性関係から、上下のない横並びの性関係に変わってきたのが、今日のゲイ・ムーブメントではないでしょうか。当事者の人間関係が上下から横並びに変わったので、ゲイは市民権を得ることができたと考えています。そう考えるとなぜゲイが禁止されていたか、また今でも地球上のかなり広範な地域でゲイが禁止されているのか、きわめて良く理解できます。
 ゲイの誕生は、20世紀後半におきた文化革命です。女性の台頭がいくらか先行しましたが、ゲイの承認は女性の台頭に勝るとも劣らない重大な出来事で、人類が初めて経験している運動なのだと考えています。余談ながら、性同一性障害はゲイとは全く違った方向性(性指向ではなく性自認)を持つもので、むしろ異性愛社会に迎合するものでしょう。その意味ではLGBTと一括りにすのは疑問に思っています。
 同封の「ゲイの誕生」はゲイ革命の思想的な背景を探ったもので、2013年に上梓しました。お目汚しまで。ますますのご活躍をお祈りいたします。
以上
                                          匠 雅音


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参考:
早川聞多「浮世絵春画と男色」 河出書房新社、1998
松倉すみ歩「ウリ専」英知出版、2006年
ポール・モネット「ボロウド・タイム  上・下」時空出版、1990
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛 鳥新社、2001
伊藤文学「薔薇ひらく日を 薔薇族と 共に歩んだ30年」河出書房新社、2001
モートン・ハント「ゲイ:新しき隣 人たち」河出書房新社、1982
リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」 筑摩書房、1996
尾辻かな子「カミングアウト」講談社、 2005
伏見憲明+野口勝三「「オカマ」は差別か」 ポット出版、2002
顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000
及 川健二「ゲイ パリ」長 崎出版、 2006
礫川全次「男色の民俗学」 批評社、2003
伊藤文学「薔薇ひらく日を」河出書房 新社、2001
リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」 筑摩書房、1996
稲垣足穂「少年愛の美学」河出 文庫、1986
ミシェル・フーコー「同性愛と生存の美学」 哲学書房、1987
プラトン「饗 宴」岩波文庫、1952
伏見憲明「ゲイという経験」ポット出 版、2002
東郷健「常識を越えて オカ マの道、70年」 ポット出版、2002
ギルバート・ハート「同性愛のカルチャー研究」 現代書館、2002
早川聞多「浮世絵春画と男色」 河出書房新社、1998
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛 鳥新社、2001
神坂次郎「縛られた巨人」 新潮文庫、1991
風間孝&河口和也「同性愛と異性愛」 岩波新書、2010
匠雅音「核家族か ら単家族へ」丸善、1997
井田真木子「同性愛者たち」文芸春秋、1994
編ロバート・オールドリッチ「同性愛の歴史」東洋書林、2009
ミッシェル・フーコー「快楽の活用」新潮社、1986
アラン プレイ「同性愛の社会史」彩流社、1993
河口和也「クイア・スタディーズ」岩波書店、2003
ジュディス・バトラー「ジェンダー トラブル」青土社、1999
デニス・アルトマン「ゲイ・アイデンティティ」岩波書店、2010
イヴ・コゾフスキー・セジウィック「クローゼットの認識論」青土社、1999
デニス・アルトマン「グローバル・セックス」岩波書店、2005
氏家幹人「武士道とエロス」講談社現代新書、1995
岩田準一「本朝男色考」原書房、2002
海野 弘「ホモセクシャルの世界史」文芸春秋、2005
キース・ヴィンセント、風間孝、河口和也「ゲイ・スタディーズ」青土社、1997
ギィー・オッカンガム「ホモ・セクシャルな欲望」学陽書房、1993
イヴ・コゾフスキー・セジウィック「男同士の絆」名古屋大学出版会、2001
スティーヴン・オーゲル「性を装う」名古屋大学出版会、1999
ヘンリー・メイコウ「「フェミニズム」と「同性愛」が人類を破壊する」成甲書房、2010
ジョン・ボズウェル「キリスト教と同性愛」国文社、1990
堀江有里「「レズビアン」という生き方」新教出版社、2006
フリッツ・クライン「バイセクシュアルという生き方」現代書館、1997
前川直哉「男の絆」筑摩書房、2011
竹内久美子「同性愛の謎」文春文庫、2012
牧村朝子「同性愛は「病気」なの?」星海社新書、2016

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