著者の略歴−1938(昭和13)年北京生れ。武蔵野美術大学デザイン科卒。ベルリン造形大学でリトグラフを学ぶ。絵本作家、エッセイスト。代表作に『100万回生きたねこ』、『わたしが妹だったとき』(新美南吉児童文学賞)、『わたしのぼうし』(講談社出版文化賞絵本賞)、エッセイ『神も仏もありませぬ』(小林秀雄賞)、『ふつうがえらい』、『私の猫たち許して性しい』など。2003年紫綬褒章を受章。 中山千夏の「幸子さんと私」を読んで、日本的なウエットさが強い、と感想を書いた。 しかし、本書はそんなものではない。 ドロドロのウエットさである。 我が国の母子関係というのは、こんなにもウェットなのだろうかと暗澹とした。 男性のオフクロ賛美と裏表なのだろう。
中山千夏も筆者も、きわめて優秀な女性である。 優秀な女性たちが、自分の母親との確執を書く。 ウェットでありながらも、母親を相対化する作業に、女性たちがやっと手を付け始めたように思う。 いままで男しか、自己相対化しなかった。女性も母殺しに手を付け始めたのだ。 筆者は母親を愛していなかったという。 私が母を愛していたら、私は身銭を切らなくても平気だったかも知れない。大部屋で転がされていた、私が知っている特養に入れても良心はとがめなかったかも知れない。私は母を愛さなかったという負い目のために、最上級のホームを選ばざるを得なかった。P21 何と世間向けの発言だろう。 筆者はボクより10歳年上だ。 ボクも母を愛してはいなかったが、身銭は切らなかった。 母親が脳腫瘍の手術をした後、病院から退院を要求されて、入院先を探し回ったことがある。 命は助かった。 しかし、回復が見込めない患者は、どこの病院でも受け入れない。 仕方なしに養老院も見に行った。 筆者がいうところの、大部屋で転がされた養老院も見た。 そこに入れるのをためらったのは、愛していたからでも愛していなかったからでもない。 その養老院は、ボクが入院すると考えたら不快だったから、母親の入院を決断しなかっただけだ。 しかも、出資元は母親の夫であり、ボクは身銭を切らないにもかかわらずだ。
もちろん養老院の職員たちは、本当に良くやっていることも知っている。 それでも小便の匂いが付いてしまうのも知っている。 けれども筆者がいうのとは違う。 母親を大部屋に転がすことは、愛情とは関係のないことだ。 リアルな日常生活に、愛を持ちだす精神というのは、一体どんな構造になっているのだろうか。 筆者が高額の費用を負担したのは、金持ちの単なる見得だろう。 それを愛情のなさというのなら、筆者特有の表現という他はない。 母親が入所金7千万円の老人ホームを気に入ったら、自分の家を売っても費用を捻出するつもりだったという。 尋常の精神ではない。 本書は2006年1月から2007年12月の<波>に連載後、2008年4月に上梓されている。 どのような順序で書かれたのか判らないが、最後にはベタベタの関係が吐露されている。 最後に母親と和解すれば、どんなに母親の悪口を書いても、読者が許してくれるだろうという、下心が見えるようだ。 そのせいか本書は上梓後4ヶ月で、10刷を重ねている。 さすがに商売の上手い新潮社である。 私は、ずっと私の半生をかけて、母親と娘というものは特別に親密なもの違いないと思っていた。私だけなのだ、母親が嫌いなのは。しかしよく開くと、母親とうまくいかない娘というのは、ここほれワンワンの意地悪じいさんが掘り出す汚いもののように、想像を越えて沢山いた。 離婚した母親の二度日の夫にレイプされつづけた人もいた。小説だけかと思った。その人は私の顔を見てすぐ云った。「あなた、お母さんとうまくいってないでしょ」 息が止まりそうだった。私なんて甘いもんじゃないか。それなのに人相がそうなっているのか。 学校から帰ってふすまをあけると母親がよその男とセックスしている最中だった人もいた。 P195 いままで娘が母親への本心をいうことは少なかった。 いや子供が親の悪口を書いて、出版することはなかった。 子供が親の悪口を公言するのは、家庭の問題を外部にさらすことと、親不孝を公言するという、二重の意味でタブーだった。 商売上手な出版社から上梓されたといっても、こうした本が広範になって、親子関係を見なおすことが出来るのだ。 評論家が親子関係を解説しても、評論家自身の内面は少しも痛くない。 自分の親子関係を、赤裸々に書くことができて、はじめて近代人になりうるのだ。 戦前生まれの前近代人が、自己相対化を始めてくれたのだから、団塊の世代もきっちりとした自己相対化をしなければならない。 (2010.4.21)
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