匠雅音の家族についてのブックレビュー      日本人のしつけは衰退したか|広田照幸

日本人のしつけは衰退したか
「教育する家族」のゆくえ
お奨度:☆☆

著者:広田照幸(ひろた てるゆき)   講談社現代新書 1999年 ¥700−

著者の略歴−1959年、広島県生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。現在、東京大学大学院教育学研究科助教授。専攻は、教育社会学、教育史、社会史。著書に「陸軍将校のの教育社会史」(世織書房)、「教育言説の歴史社会学」(名古屋大学出版会)、「教育には何ができないか」(春秋社)、「教育」(岩波書店)など。
 マスコミで言われることは、ウソが多い。
なぜ、ウソを報道してしまうのだろうか。
凶悪犯罪が激増しているとか、若者の非行化とか、なぜ、ウソを報道するのだろうか。
記者たちは、ウソを本当に信じているのだろうか。
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日本人のしつけは衰退したか

 河合幹雄は「日本の殺人」で、殺人事件は減ってきているという。
鮎川潤は「少年犯罪」で、少年犯罪も減っているという。
管賀江留郎に至っては、「戦前の少年犯罪」で戦前の少年のほうが、はるかに凶暴だったという。
犯罪白書などの資料がありながら、マスコミは凶悪事件をことさらに取り上げる。
我が国は世界で一番安全だというのに、なぜウソの報道がまかり通るのだろうか。

 本書が扱う「しつけ」も同様で、あたかもしつけが衰退したかのごとくに報道する。
本書は、日本人のしつけは、まったく衰退していないと断言する。
むしろ状況は反対である。
まず、1930年代つまり昭和の初めまで、家庭というものが現在のような形を取っておらず、子供はまず労働力と見られていた。
そのため、親から働くように強いられたが、マナーと言った意味でのしつけは、まったくなかった。

 この時代には、まだ、共同体の規範に拘束されず独自の目標や手段を選択しうるという意味での、独立した<家庭教育>は存在していなかった。右の講演で柳田が村の伝統的な教育方法としてあげていた、「笑の教育」「諺」や「群の制裁」は、いずれも、方針という点でも担い手という点でも、家族という単位で独立したものではなかった。柳田が言うように、「医者の倖とか神主の息子」とか、「(中等以上の・広田註)学校に通つてゐる者」など、「村には若干の除外例が設けられ」てはいたが、それ以外に属する大部分の子供にとっては、村で共通したルールが、しつけの基準となっていた。
 また、しつけの担い手も、家族がというよりは、子供組・若者組のような同年齢集団や親戚・隣人など周囲の人を含めた大きなネットワークが、全体として、しつけや人間形成の機能を果たしていた。子供のしつけは親の責任だ、という観念もかつての村では希薄であった。共同体の暗黙の規範や視線による拘束や統制の中では、「親々は極度に無力」であったのである。P28


 これが戦前の実体だった。
だいたい子供を口減らしのために丁稚にだしたり、お金を取って余所に貸したりさえしていたのだ。
こうした環境では、子供は労働力でありさえすれば良く、社会的なマナーなど身につけている必要はなかった。
ただ、労働力としてあるためには、仲間内の約束事を知らなければならず、仲間内の掟に従ったのである。
そのため、仲間からでて都会などへでると、もう社会的なマナーなどないに等しかった。

 時代は遡るが、明治に学校ができたときも、庶民の親にとって学校は厄介なものだった。
貴重な労働力が取られるし、学校教育は家のためには役に立たなかった。
しかも、授業料が有料とあれば、親たちは子供を学校へやることを、拒むのが普通だった。
学校を焼き討ちしたりもした。

 明治末から大正時代に、世界的な不況のなかで、農業が疲弊した。
工業など他の産業に転出するには、教育が必要だった。
また、都市部には役人など裕福な生活をする、新中間層が誕生しつつあった。
裕福な家庭には、子供をしつける機運が誕生していた。
「教育する意志」がうまれ、学校が家庭をリードするようになり始めた。

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 (童心主義・厳格主義・学歴主義という)三つの教育方針に共通するのは<子供期>の発見であり、それは同時に、親の側の「教育する意志」の発見でもあったのである。
 童心主義・厳格主義・学歴主義のいずれも、後になると他の諸階層に広がっていった。もちろんそれぞれの間にはすでに述べたように矛盾する側面があるから、どの階層でも三つの方向の目標群の間の矛盾に悩まされることになった。しかしながら、同時にどの階層にも広がっていったのは、他の誰でもなく親こそが子供の教育の責任者であるという観念を持ち、子供を濃密な教育的視線の下で養育する、「教育する家族」の姿であった。P70


 階層間移動の手段として、学校を見つめる人がでてきた。
しかし、子供らしい童心というのは、子供の自発性を信頼することであり、子供を労働力と見るかぎり生まれない。
厳格主義と学歴主義は、子供を加工する姿勢だから、両者は矛盾し対立さえするのだ。
それでも、1965年頃には、高校進学率が70%をこえ、74年には90%を越えた。

 学歴よりも腕といった職人的な職業が減り、ほとんどの人が組織に雇用されるようになった。
高度経済成長期になると、学校が職業紹介の役割を果たし、学校教育が黄金期を迎えた。
しかし、1970年頃から、子供の教育を学校任せにせず、親たちが子供の進学に乗りだすという、新たな動きが発生してくる。

 高度成長期に進行した富裕化は、若い母親たちに、子供の教育によりいっそうの関心を払うだけの時間的・経済的余裕を生みだした。同時に、「家業の消失」によって、ほとんどすべての社会層の親が、子供の教育・進学に無関心ではありえなくなった。また、高学歴化や社会の情報化は、育児や家庭教育の細かなノウハウをどの階層の親でも手に入れることを可能にしただけでなく、子供のことで学校や行政と交渉するだけの知識やノウハウを身につけたりすることも可能にした。「少ない子供を大事に育てる」親の志向は、進行する少子化の趨勢により、ますますあたりまえのこととなった。P122

その結果、下記のようなことになった。

 地域共同体が消失し、学校が不信の目にさらされる中で、家族のみが子供の最終責任者としでの地位を強めてきているのである。少子化がすすむ中で、親たちはますます子供の教育やしつけに熱心になり、大事に育てようとするようになってきている。「家族の絆」こそが、人々の人生に意味を与え、アイデンティティの源泉になるような時代になっている。今ほど家族の結びつきの強い時代はないし、親が子供の教育に全面的に関わる時代はない−むしろ、問題はそこから生じてきている。P145

 教育する家庭は、母親が最近では父親も、子供に向き合い、親子間の密度がきわめて高くなった。
ここでしつけが行われていないはずはない。
むしろ、いわるゆ母子密着が、家族密着になってきたのだ。

 家族の結びつきが強まりすぎて機能不全を引き起すケースが広がっているのである。幼少期の母子密着にかぎらず、進学率の上昇にともなって長期化した<子供期>や濃密な家族内の情緒的関係により、親と子との関係は、しばしば<逃げ場のない牢獄>のような悲惨なケースを生んでいる。育児不安による幼児虐待や過保護・過干渉の問題、家庭内暴力などがそうした例である。P147

 日本の家庭は、しつけを放棄したわけでも、衰退したわけでもない。
事情は反対である。
子供を労働力と見ていた時代には、庶民たちには子供をしつけるという発想はなかった。
学校教育が優位にたち、高度経済成長を経て学校不信が広がり、家庭教育が優位になった。
その結果、しつけを親が一身に担うようになった。
これが現在の我が国であると、筆者は力説する。

 個人的な目的が分散化した現在、子育てにもさまざまな形があり得る。
しかし、学校教育が力を落とし、家庭教育が人間形成に中心的な役割を負わされている。
だから、親たちは困惑し、必死で子育てを行っている。
そして、その大変さを見ている若者たちは、子供を持つことに慎重になっているのだ。
本書の論旨に全面的に賛成である。  (2010.4.28) 
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参考:
奥地圭子「学校は必要か:子供 の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
信田さよ子「脱常識の家 族づくり」中公新書、2001
高倉正樹「赤ちゃんの値 段」講談社、2006
デスモンド・モリス「赤 ん坊はなぜかわいい?」河出書房新社、1995
ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」 早川書房、2000
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもから の自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」 草思社、1997
ウルズラ・ヌーバー「<傷つきやすい子ども> という神話」岩波書店、1997
編・吉廣紀代子「女が子どもを 産みたがらない理由」晩成書房、1991
塩倉裕「引きこもる若者たち」 朝日文庫、2002
ピーター・リーライト「子どもを喰う世界」 晶文社、1995
ニール・ポストマン「子ども はもういない」新樹社、2001、
杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980
矢野智司「子どもという 思想」玉川大学出版部、1995  
瀬川清子「若者と娘 をめぐる民俗」未来社、1972年
赤川学「子どもが減って何が 悪い」ちくま新書、2004
浜田寿美男「子どものリアリティ 学校のバーチャリティ」岩波書店、2005
本田和子「子どもが忌避される時代」 新曜社、2008
鮎川潤「少年犯罪」 平凡社新書、2001
小田晋「少年と犯罪」 青土社、2002
リチヤード・B・ガートナー「少年への 性的虐待」作品社、2005
広岡知彦と「憩いの家」「静かなたたかい」 朝日新聞社、1997
高山文彦「地獄の季節」 新潮文庫、2001 
マイケル・ルイス「ネクスト」潟A スペクト、2002
服部雄一「ひきこもりと家族ト ラウマ」NHK出版、2005
塩倉 裕「引きこもる若者たち」 朝日文庫、2002
瀬川清子「若者と娘 をめぐる民俗」未来社、1972
ロイス・R・メリーナ「子 どもを迎える人の本」どうぶつ社、2005
瀬川清子「若者と娘 をめぐる民俗」未来社、1972
小山静子「子どもたちの近代」吉川弘文館、2002
岩田重則「<いのち>をめぐる近代史」吉川弘文館、2009
広田照幸「日本人のしつけは衰退したか」講談社現代新書、1999

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