匠雅音の家族についてのブックレビュー      「近代家族」とボディ・ポリティクス|田間康子

「近代家族」とボディ・ポリティクス お奨度:

著者:田間康子(たま やすこ)   世界思想社、2006年 ¥3200−

著者の略歴−1956年生、京都大学大学院博士後期課程修了。博士(文学)大阪府立大学人間社会学部教員・同女性学研究センター研究員。主な業績:『母性愛という制度』勁草書房(2001)「堕胎と殺人のあいだ」『近代日本文化論 6』岩波書店(2000)「近代と身体のポリテイクスを超えて」『21世紀社会の視軸と描像』御茶の水書房(2004)M.ジャコーパス他『ボディー・ポリテイクス』共監訳,世界思想社(2003)ほか

 少子化がいわれ、出生率の低下が危惧されている。
現在の出生率は、1.3を切ってしまった低水準である。
しかし、出生率の低下は、現在よりも1950年から60年にかけてのほうが激しい。
筆者は急激に落ち込んだ出生率に着目しながら、高度成長に入る時期の性と身体について、細かく論証していく。

 その前提にあるのは、出生率が4.0を越えていた時代から、夫婦と子供2人の核家族へと転じたことだ。
この核家族こそ、性別による役割分担にしたがった、近代的な家族形態だった。
しかも、それは国家と企業によってつくられ、主婦たちによって大歓迎されたのだ、と筆者は言う。
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 彼女たち(1950年頃の主婦)の置かれた状況では、三歳児神話を求められても実現は不可能だったということである。なぜなら、三歳児神話は、母親が一人だけで、少なくとも3年間、子ども数が増えれば10年、20年も育児に携わることのできる関係性においてのみ、実現可能だからだ。それには、いくつもの社会的条件が必要である。母親は、そのあいだ稼ぎ手や家業従事者になれないし、それにもかかわらず生活費を得ることができなければならない。母親が若くして死んだりしてはならないし、子どもたちが三歳以後まで生き延びていることは当然の前提となっている。また、育児を担ってくれる親や妹がいてもいけない。
 さらに言えば、この三歳児神話は、明言されてはいないけれども夫婦の一夫一婦的で永続的な関係性や夫による生活費の提供を前提としている。P2


という問題意識をもつ女性は少ない。
筆者は、三歳児神話を核家族と結びつけ、女性が社会で稼がないことにまで敷衍している。
この視点はとても重要だと思う。
つまり筆者がいうように、女性が働こうとする限り、三歳児神話を受け入れることはできない。また、子供がたくさんいても、三歳児神話の実現は不可能なのである。
三歳児神話とは少子を前提にした話でしかなかった。

 筆者は新生活運動や産児制限の普及に、核家族の成立が可能になった背景を読む。
高度経済成長の中で、次のことが前提になっていたという。

1.人々が子供の数を統制可能だと考えていること
2.人々が子供は少ないほうが良いと考えていること
3.避妊や中絶の手段があること


 戦後の一時期まで、中絶が出産数を上待っていたが、徐々に避妊が普及していく。
そして、中絶数は大きく減った。
その影にはどんな動きがあったのだろうか。
筆者は膨大な資料を、細かくあたって本書を書き上げている。

 戦前、産児制限は必ずしも歓迎されなかった。
敗戦後、サンガー女子の来日などで、徐々に産児制限が普及していくが、少子化はむしろ中絶によっていた。
そんななか、家族計画が優生保護を同伴しながら、大企業を中心に普及していく。
当時の大企業は、家族手当を支給しており、家族数が多くなると企業にとっても、家族手当は重荷になってきた。

 男性労働者とその妻たちだけでなく、女性労働者の身体ももちろん管理の対象である。富士電機の病院長で家族計画運動の熱心な推進者だった草野与平は、女性従業員を含めた独自の計算式を自社に当てはめている(『家族計画』二(1954)二頁)。それによると、一年間の受胎調節指導の成功105例によって、家族手当・夫の欠勤による生産減・その差益・欠勤に対する諸手当、女性労働者の場合には出産による生産減・その差益・哺育による生産減・その差益、健康保険診療費負担の合計として約706万円が失われずにすんだという。健康保険組合においては48万円、家族では1年間で624万円と計算されている。「家族計画と企業経営」と題されたこの記事において、草野は、労働組合は賃上げ運動をしているがその根本は扶養家族が多いことが問題なので、家族計画こそ企業家と労働者が「ともに生きる道」だと述べている。P245

 日本鋼管を手はじめに、国鉄など、大企業がこぞって家族計画の普及に力を入れ始める。
人口問題研究会が組織され、国鉄40万人、日本通運8万人、三井鉱山4.7万人、東芝3.2万人と、家族計画が指導されていく。
日本軽金属、日立造船、トヨタ自動車など、まだまだたくさんの大企業が家族計画をとりいれていく。

 家族計画とは、いわばセックスの管理である。
従業員は会社にいる時間だけ、会社の支配下にあるが、家に帰れば私的な時間となるはずだった。
しかし、企業はもっとも私的な行為であるはずの、セックスを管理しだした。
それは従業員の妻に対して、避妊方法などを教え、子供を減らすよう指導したのだ。
具体的な指導方法は本書に譲るが、避妊具の無償配布や、受胎調節方法の指導だった。
 
 人口政策としての家族計画運動は近代家族というかたちを重視し利用した。その家庭は、異性愛で永続的な一夫一婦制であり、企業に利する明確な労働のジェンダー化が存在し、夫婦は愛し合い、話し合って経済的な人生計画を立て、生殖を統制すると想定されている。親子は実親実子関係にあり、母親は少数の子どもを愛し育てる。つまり、異性愛で性別役割分業を行う一夫一婦制夫婦とその少数の実子によって構成される「近代家族」が、人口資質の向上のための機関となり、母親たち(主婦)がその中心的エイジエントと位置づけられたのである。1960年代に入り、母親たちの育児責任が「三歳児神話」として神話化され、子どもの健診制度が強化され、さらに公的保育制度が後退していく過程は、生殖が統制可能であることを自明の前提として成立している。P248

 大企業に勤務する夫をもつ女性。
彼女たちは専業主婦として、少ない子供を育て、その結果恵まれた経済的な地位を手にいれた。
もちろん、彼女たちは喜んで専業主婦になったのであり、専業主婦になれない女性たちからは、憧れをもってみられたのである。

 本書は、国家と企業が差し出す人口政策を、労働者とその主婦たちが、受け入れる様子を細かく記している。
とくに主婦たちは、企業と結びついて、女性個人としてでなく主婦として、少子化に貢献した。
筆者の目は、なかなかに鋭い。
  (2010.5.27) 
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参考:
伊藤友宣「家庭という歪んだ宇宙」ちくま文庫、1998
田間泰子「「近代家族」とボディ・ポリティックス」世界思想社、2006
H・J・アイゼンク「精神分析に別 れを告げよう:フロイト帝国の衰退と没落」批評社、1988
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フィリップ・アリエス「子 供の誕生」みすず書房、1980
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G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可 能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的 基礎」桜井書店、2000
湯沢雍彦「明治の結婚 明 治の離婚」角川選書、2005
越智道雄「孤立化する家族」時 事通信社、1998
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、 1972
大河原宏二「家族のように暮らした い」太田出版、2002
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜 社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家 族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形 成」昭和堂、1987
S・クーンツ「家族に何が起 きているか」筑摩書房、2003
賀茂美則「家族革命前 夜」集英社、2003
信田さよ子「脱常識の家族づくり」 中公新書、2001
黒沢隆「個室群住居: 崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
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S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実の ゆくえ」原書房、2001
石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談 社文庫、2002
マーサ・A・ファインマン「家族、積みすぎた方舟」 学陽書房、2003
上野千鶴子「家父長制と資 本制」岩波書店、1990
斎藤学「家族の闇をさぐる」小学 館、2001
斉藤学「「家族」はこわい」新潮 文庫、1997
島村八重子、寺田和代「家族と住まない家」春秋社、 2004
伊藤淑子「家族の幻影」大 正大学出版会、2004
山田昌弘「家族のリ ストラクチュアリング」新曜社、1999
斉藤環「家族の痕跡」 筑摩書房、2006
宮内美沙子「看護婦は 家族の代わりになれない」角川文庫、2000
ヘレン・E・フィッシャー「結 婚の起源」どうぶつ社、1983
瀬川清子「婚姻覚書」 講談社、2006
香山リカ「結婚がこわい」 講談社、2005
山田昌弘「新平等社会」 文藝春秋、2006
速水由紀子「家族卒業」朝日 文庫、2003
ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河 出書房新社、2004
川村邦光「性家族の誕生」 ちくま学芸文庫、2004
菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」 すばる舎、2005
原田純「ねじれた家 帰りたくない家」 講談社、2003
A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さ の常識」中公文庫、1998
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文 庫、2002
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、 2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャン ダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」 新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家 庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半 と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」 ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」 光文社文庫、2001
中村久瑠美「離 婚バイブル」文春文庫、2005
佐藤文明「戸籍がつくる差別」 現代書館、1984
松原惇子「ひとり家族」文春文庫、 1993
森永卓郎「<非婚> のすすめ」講談社現代新 書、1997
林秀彦「非婚の すすめ」日本実業出版、 1997
伊田広行「シングル単 位の社会論」世界思想社、 1998
斎藤学「「夫 婦」という幻想」祥伝社新書、2009
マイケル・アンダーソン「家族の構造・ 機能・感情」海鳴社、1988
宮迫千鶴「サボテン家族論」河出書房新社、 1989
牟田和恵「戦 略としての家族」新曜 社、1996
匠雅音「核家族か ら単家族へ」丸善、1997

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