編著者の略歴−シドニー大学教授(ヨーロッパ史)。著編書:”The Seduction of the mediterranean: Writing,Art and Homosexual Fantasy" "Colonialism and Homosexuality" "Homosexuality" "Who's Who in Gay and Lesbian History"(編、全2巻)など。他にオーストラリアのゲイ・レズビアン・スタディーズに関するいくつかのエッセイがある。 百科事典のようにどっしりとした装丁、厚くて光沢のあるページ紙。 ふんだんに使われる写真やカット、そして、高価な値段設定。 いかにも同性愛にかんする決定版といった外観である。 しかし、目次を見れば分かるように、14人が書いているので、主張が一貫せず、ばらばらな感じがぬぐえない。
目次 第1章 ゲイとレズビアンの歴史…ロバート・オールドリッチ 第2章 ギリシアとローマにおける同性愛…チャールズ・フパーツ 第3章 中世…ベルント=ウルリヒ・ヘルゲメラー 第4章 近代初期のヨーロッパ(1400−1700)…ヘルムート・パフ 第5章 啓蒙と革命の時代の男性同性愛(1680−1850)…マイケル・シバリス 第6章 ヨーロッパ近代初期のレズビアンなど(1500−1800)…ローラ・ガウイング 第7章 アメリカ大陸(植民地時代から20世紀まで)…プレット・ジェニー・ビーミン 第8章 同性愛の時代(1870−1940)…フローレンス・クマーニュ 第9章 第二次大戦以後の公的領域とゲイの戦略…ドメニコ・リッツオ 第10章 現代世界における〈女を愛する女〉…リーラ・J・ラップ 第11章 同性愛の発見 異文化間の比較とセクシエアリティーの歴史…リー・ウォレス 第12章 中東と北アフリカの同性愛…ヴインチェンツオ・パターネ 第13章 アジアにおける欲望と同性間のまじわり…エイドリアン・カートン 第14章 ゲイの世界(1980年から現在まで)…ゲルト・ヘクマ 本書は、まず男性が男性を愛したといい、次に女性のゲイに話をすすめている。 いかに同性愛の歴史が古いか、えんえんと書き連ねる。 成人男性が若い男性を愛したという同性愛なら、同性愛の歴史は古い。 そして、成人男性が若い男性を愛した同性愛ではなく、成人男性同士の同性愛が昔からあったという。 しかし、この点はあきらかに論証不足である。 女性にかんしては、次のように言う。 古代ギリシアにおける女性同士の同性愛については、ほとんど何もわかっていない。しかし、それは女性同性愛が稀だったとか、知られていなかったということではなく、ただ、残されている資料のほとんどが、男性向けに男性が書いたものであるということにすぎない。レズビアンだと解釈できる壷の絵はいくつかあるが、ギリシアの古典文学で女性の同性愛にはっきり言及しているものと言えば、プラトンの『饗宴』でアリストバネスがおこなう演説にみられるものぐらいしかない。P46 本書の論証は、ほとんどが上記のようである。 女性の同性愛に関する事実を並べていない。 書かれていないから、無いと言うことではない、と断定する。 こんな論証であれば、どんなことでも言える。 しかも、ホモがバッシングされ始めた理由、ゲイが誕生してきた理由、ホモからゲイに変わった理由など、原因には論究していない。 例をいくらあげても、これではまったく、水掛け論だろう。 女性が女性の陰部をいじっている壷絵を掲出している。 この絵をもって、女性の同性愛だと言いたいらしい。 しかし、これはヘタイラの陰毛の手入れだ、と解釈する学者がいると併記している。 この姿勢はフェアーだが、女性が女性とセックスするシーンを描いたものはない。 もともと女性同士のセックスは、なかなか難しいのではないか。 身体を触るだけであれば、セックスといえるか疑問である。 張り型を使えば男性とのセックスと違わなくなってしまう。
ローマ人にとってセックスとは挿入することであり、挿入するほうである限り、相手は誰でもよかったという。 そう言いながら、相手に女性・若者に加えて、成人男性も数えている。 成人男性が挿入する主体のほうだから、相手に成人男性を加えることはできない。 同性間の性的な行動は、ある社会では一般に受け入れられ、ときには賞賛されもしたという。 しかし、男性の同性愛は、少年を愛するホモだっただろうし、女性の同性愛はサッフォーだったに違いない。 サッフォーは肉体関係というよりも、女性への憧れのようなものだろう。 同性に憧れをもつだけなら、同性愛がバッシングされることはない。 本書はヨーロッパや中近東だけではなく、中国や日本にも目をくばっている。 中国や日本にも同性愛があった。 だから、同性愛は世界中にあったというわけだ。 しかし、中国や我が国の同性愛は、衆道という典型的なホモだった。 ヒゲが生えるまでの若い衆を、成人男性がセックスの相手にしたのが、中国や我が国の同性愛である。 しかも、このホモたちは、少年とセックスした後で、何のためらいもなく女性ともセックスをしたのだ。 ホモという同性愛が世界中にあったことは、まったくの事実であった。 それは農業を主な産業とする社会が、高齢者を尊重するという年齢秩序をもっていたからだ。 高齢者の知恵を、男性たちは男性器をもって、精液という形で若者たちに注入したのだ。 筆者たちは、年長者→少年という一方的なセックスを、否定したくて仕方ないようだ。 259ページにも、少年が年長者に挿入したアフリカの例を書いているが、出典が曖昧である。 ホモは文化の継承でもあり、教育でもあった。 だから、ホモはどんな社会にもあった。 しかし、同年齢の成人男性間の性的な関係は、年齢秩序に対する挑戦であった。 だから、決して許されるものではなかった。 ゲイは火あぶりによる死刑から、去勢まで過酷な刑罰がくだったのだ。 挿入されるほうだった若者も、ヒゲが生えてくると挿入するほうへと出世する。 それが伝統的社会のしきたりだった。 そのため、男娼という男性は、挿入するほうへと変われたのに変わらなかったと、男性支配の社会を裏切ったという意味で、娼婦以上につよく蔑視されたのだ。 近代初期のヨーロッパでは、ホモたちがトイレで交わったというが、この時代にトイレがあったのだろうか。 ベルサイユ宮殿ですら、トイレがない。 にもかかわらず、市民の利用できる公衆トイレがあったとは信じられない。 また、象牙の張形の写真を掲載して、女性同士のセックスを論証しているが、張形は男性が女性にたいして使ったとも考えられる。 両性具有者の話をだしているが、両性具有者はきわめて少ない。 おそらく10万人に1人くらいだろうか。 本書が描くように、両性具有者で特別な任務を担当するほど大勢はいない。 本書が描くようなことは不可能だ。 しかも、両性具有者は両性具有者であり、同性愛者とは関係ない。 1950年代、西欧ではどの国でも同性愛嫌悪の風潮が強まった。それは核家族が、結婚を重視し男女の役割をはっきり分けた望ましい社会の支配的なモデルとして、理想化された結果であった。 第二次大戦後の何十年開か、この価値システムはとくにきびしく働いて、逸脱的な性は大きな脅威とみなされた。冷戦の政治的風土では、共産主義と同性愛が混同されることが多く、それは両方とも国と社会構造そのものをゆるがしかねないものであるとされた。 しかしおもしろいことに、ソ連と東欧〈人民民主主義国〉にも西欧とおなじように同性愛嫌悪の流れがあったのである。同性愛行為は深く反社会的・個人主義的であり、したがってその人間の資本主義的・中産階級的価値観をあらわすものとして罰せられた。P203 上記は信じてよい。 しかし、上記のような事情があったから、ホモとゲイを分けることができるのだ。 ゲイと核家族の普及は、おそらく同時進行だったのではないだろうか。 歴史的に大昔からあったのはホモである。 大家族の時代だからホモはいた。 ゲイは近代になって生まれたものだ。 だから核家族の普及と平行して、嫌悪感が強まり、ゲイは迫害されていったのだ。 それは近代的な核家族を良しとした共産圏諸国でも、ゲイが迫害された事実でもわかるだろう。 本書は、同性愛に対する贔屓の引き倒しで、信憑性に欠ける。 ゲイはありもしない歴史を語らなくても、充分に同時代的でしかも未来指向的ある。 歴史をでっち上げるより、ゲイの主張をするべきだ。 ホモとゲイの区別が、ゲイが認知される現代の歴史だった。 ゲイだけで自立している。 もうホモを同類だと論じるのは、やめたほうが良い。 本サイトはゲイに対しては、熱いエールを送る。 是非、自由で平等な人間関係をつくってほしい。 ゲイの存在が、ストレートをも解放するのだ。 しかし、ホモは今日は女性を相手にし、明日は少年を相手にする。 だから、ホモの行為は、年齢秩序と性別役割を強化するものである。 ホモに対しては、否定的な立場である。 (2010.7.2)
参考: 早川聞多「浮世絵春画と男色」 河出書房新社、1998 松倉すみ歩「ウリ専」英知出版、2006年 ポール・モネット「ボロウド・タイム 上・下」時空出版、1990 ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛 鳥新社、2001 伊藤文学「薔薇ひらく日を 薔薇族と 共に歩んだ30年」河出書房新社、2001 モートン・ハント「ゲイ:新しき隣 人たち」河出書房新社、1982 リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」 筑摩書房、1996 尾辻かな子「カミングアウト」講談社、 2005 伏見憲明+野口勝三「「オカマ」は差別か」 ポット出版、2002 顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000 及 川健二「ゲイ パリ」長 崎出版、 2006 礫川全次「男色の民俗学」 批評社、2003 伊藤文学「薔薇ひらく日を」河出書房 新社、2001 リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」 筑摩書房、1996 稲垣足穂「少年愛の美学」河出 文庫、1986 ミシェル・フーコー「同性愛と生存の美学」 哲学書房、1987 プラトン「饗 宴」岩波文庫、1952 伏見憲明「ゲイという経験」ポット出 版、2002 東郷健「常識を越えて オカ マの道、70年」 ポット出版、2002 ギルバート・ハート「同性愛のカルチャー研究」 現代書館、2002 早川聞多「浮世絵春画と男色」 河出書房新社、1998 ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛 鳥新社、2001 神坂次郎「縛られた巨人」 新潮文庫、1991 風間孝&河口和也「同性愛と異性愛」 岩波新書、2010 匠雅音「核家族か ら単家族へ」丸善、1997 井田真木子「同性愛者たち」文芸春秋、1994 編ロバート・オールドリッチ「同性愛の歴史」東洋書林、2009
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