匠雅音の家族についてのブックレビュー      同性愛の社会史|アラン プレイ

同性愛の社会史
イギリス・ルネサンス
お奨度:☆☆

筆者 アラン プレイ   彩流社 1993年 ¥2500−

編著者の略歴− 歴史家。公務員として勤務するかたわら、在野でイギリス史を研究。本書の続篇として “Homosexuality and the Signs of Male Friendship in Elizabethan England”(History Workshop, No.29, Spring,1990)という論文を発表している。1970年ウエールズ大学卒業。
 すでに読んだ本書だが、必要があってもう一度読み直してみた。
精緻で大胆な論に、あらためて敬意を表する。
同性愛を扱った本の中では、白眉である。
本書が男色と言わずに、同性愛というのには理由があり、実に説得的である。
筆者は「<子供>の誕生」のアリエスと、同じような経歴である。

 ギリシャの少年愛、我が国の衆道など、世界中に男性同性愛は存在する。
男性同性愛と一口に言うが、これには2種類あるのは周知だろう。
第1は、ギリシャの少年愛や我が国の衆道など、成人男性が精通後の若年男性を相手にする性愛である。
第2は年齢も地位も同じくらいの成人男性間での性愛活動である。
前者を男色=ホモといい、後者をゲイという。
TAKUMIアマゾンで購入

 ホモはそれこそ世界中に存在したし、今でもホモはいる。
農業を主な産業とする社会、いいかえると伝統的社会では、年長者の知恵はたいそう大切なものだった。
農業生産や戦闘などの全ノウハウが、年長者から若年者へと人づてに受け継がれたのである。
それは文化の継承といっても良い。

 高齢者優位という年齢秩序の支配するところにホモが登場する。
知識や生きるノウハウが、年長者から若年者へと受け継がれるとき、そこに愛やセックスが挟まれても不思議ではない。
重要な奥義は、とくに親密な関係でのみ伝えられた。
身体を媒介にして伝えられる知識や生きるノウハウとは、男性同士の肉体を媒介にして伝達された。

 前記のような背景があるから、プラトンもいうように、年長者が愛する者であり、若年者が愛される者だった。
愛は相互関係だとはいえ、ホモ行為は一方的である。
年長者が自らの男性器を挿入し、若者は受け入れる存在だった。

 ホモ行為とは愛情を表現する行為であったが、同時に文化を承継する行為として、社会的な認知を受けていた。
社会的な認知を受けていたからこそ、男女間のセックスと同様に、歴史上の記録にも、ホモ行為がたくさん残ってきたのだ。

 年長者の精液が若年者の身体に入ることは、知恵が注ぎ込まれることであった。
ホモ行為の相手をすることは、立派な社会人になるための、一種の通過儀礼といっても良い。

 しかし、ゲイは違う。
ゲイとは年齢、地位、教育程度などが、似かよった二人の男性同士の性的関係である。
年齢秩序にしたがった上下の人間関係があたりまえの時代に、横ならびの人間関係を持ちこんだら、どうなるか想像がつくだろう。

広告
 ゲイは存在するだけで、年齢秩序に反する。
ゲイのもつ価値観は、上下関係に生きている人間を支える現存社会の価値観を、根底からひっくり返す。
ゲイの存在は、年齢秩序という文化の流れそのものを破壊する。
ゲイの存在は、人間社会の存続にたいする挑戦と見られる。
国家反逆罪と同じように、ゲイは一種の文化反逆罪に相当するのだ。

 ゲイはものを破壊するでもないし、人を殺すわけでもない。
ゲイは肛門性交するからと特別視されるが、男女間でも肛門性交は可能である。
しかし、男女間の肛門性交は問題にされない。
ゲイのセックスが問題なのではない。
ゲイという存在そのものが、もしくはゲイが象徴する横並びの人間関係が否定されるのだ。

 本書はホモからゲイへと転じる時代を、16世紀から20世紀ととらえ、その間に、どのように同性愛が変質してきたかを述べている。
この変質していく期間を扱うから、男色ともゲイとも呼べないで、同性愛というのだ。

 「同性愛者」の概念が、いつ頃、そして、なぜ生まれたのかという疑問が湧いてきました。本書では、少なくともイギリスの男性同士の同性愛に関しては、その答えは17世紀後半に見出せると論じています。その後出版されたオランダや北フランスに関する書物でも、同じような結論が示されております。しかし、これで問題が解決したわけではありません。私の提示した時期よりもっと後の時代を打ち出す、もっともな議論もあるわけで、結果的には、どちらとも言えないということになりましょう。ここで提示した時期はもっとも早い初期の頃といえるものですが、現代の「同性愛者」の概念が成立するについては、その後、重要な意味をもつことになる変化が、どこかの時点でいくつか現れてきました。P4

 同性愛(ホモセクシャアル)という言葉が、初めて使われるようになったのは、1890年だという。
ここで言う同性愛は、ギリシャ的な少年愛を射程に入れつつ、近代を意識したものだ。
しかし、まだまだ男色が多かったはずである。
そして、同性愛という事実より、経済的なまた社会的な力関係によって、表れ方が変わるという。

 同性愛の行動が、社会秩序や平和を妨げないかぎり、とくに家父長的な社会習慣に適合するかぎり、同性愛は無視されてきたという。
そうだろう。農業に従事する小さな村のことである。ホモ行為があっても、大問題とするほどではなかった。
キリスト教など建前としては、ホモがバッシングされても、具体的な状況ではホモを無視するという形で、許容してきたという。

 1699年、1707年、さらに1726年に起こった出来事が、当時、モリー・ハウスの同性愛文化を弾圧するためにとられた行動のすべてであると考える理由は何もない。ほかにも同じような出来事があったろうし、また、1699年が初めてだったとも限らない。しかし、それらは社会現象としては、まったく新しいことであった。これは、イギリスにおいて、17世紀後半の四半世紀ごろまで支配的だった状況とは、きわめて対照的である。この種の大量逮捕というか、全員の(あるいは発見できた者全員の)一斉検挙というのは、この時点までイギリスには見られなかった。17世紀の終わり近くまでは、男色の訴追は、はとんど常に集団ではなく、それぞれの個人に対して行われていた。その場合でも数は限られており、現在でも状況を確認することができる。これは何かが根本的に変化したからだと考えざるをえない。P157

 18世紀の大迫害は、かつて前例のないほど破壊的であり、一連の大量の逮捕者を出したばかりか、大喜びする群衆のまえで処刑まで行われた。男色の罪が確定すれば死刑にもなりかねなかった−そういうことは何度もあった−し、男色未遂が確定すれば入牢や罰金、晒し刑に処せられたりした。とくに晒し刑は死刑宣告にも等しかった。群衆は致命傷になりかねない危険な投石行為を禁止されていたが、それはたてまえだけであり、じつさいには、この制約はかなり無視され、重傷を負わされたり殺される者まで出ることもあった。P169


 1637年にはデカルトの「方法序説」が出版される。
すでに活版印刷も普及していた。
1789年にはフランス革命が勃発する。
近代市民革命によって、人間の平等が謳われ、自由が希求された。
同性愛が顕在化し、ゲイの台頭は明らかに近代の胎動だった。

 近代へと入りながら、人間が横並びになる近代の秩序は、いまだ確立されていない。
高齢者が上で、若者が下という年齢秩序が、社会を覆っていた。
多くの人は年齢秩序に従って生きていたのだ。
そこへ横並びのゲイが登場したら、どうなるか。
火を見るよりも明らかである。

 国家反逆罪は死刑である。
人殺しよりも、社会の秩序を破壊するほうが罪が重い。
ゲイは文化の秩序を破壊しようとしていた。
近代が未成熟だったから、同性愛は徹底的に弾圧され、迫害されることになる。

 この頃から、20世紀になるまで、アメリカやヨーロッパ諸国で、ソドミー法が存続することになる。
17世紀の終わりから20世紀の終盤まで300年にわたって、ゲイを内包してしまった同性愛は迫害を受け続けていく。
ゲイがその存在を公然とあらわしたのは、1969年6月のストーンウォールの反乱においてだった。
原文も読みやすく、日本文も読みやすい。   (2010.11.18) 
広告
  感想・ご意見・反論など、掲示板にどうぞ
参考:
早川聞多「浮世絵春画と男色」 河出書房新社、1998
松倉すみ歩「ウリ専」英知出版、2006年
ポール・モネット「ボロウド・タイム  上・下」時空出版、1990
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛 鳥新社、2001
伊藤文学「薔薇ひらく日を 薔薇族と 共に歩んだ30年」河出書房新社、2001
モートン・ハント「ゲイ:新しき隣 人たち」河出書房新社、1982
リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」 筑摩書房、1996

尾辻かな子「カミングアウト」講談社、 2005
伏見憲明+野口勝三「「オカマ」は差別か」 ポット出版、2002
顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000
及 川健二「ゲイ パリ」長 崎出版、 2006
礫川全次「男色の民俗学」 批評社、2003
伊藤文学「薔薇ひらく日を」河出書房 新社、2001

リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」 筑摩書房、1996
稲垣足穂「少年愛の美学」河出 文庫、1986
ミシェル・フーコー「同性愛と生存の美学」 哲学書房、1987
プラトン「饗 宴」岩波文庫、1952
伏見憲明「ゲイという経験」ポット出 版、2002

東郷健「常識を越えて オカ マの道、70年」 ポット出版、2002
ギルバート・ハート「同性愛のカルチャー研究」 現代書館、2002
早川聞多「浮世絵春画と男色」 河出書房新社、1998
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛 鳥新社、2001
神坂次郎「縛られた巨人」 新潮文庫、1991
風間孝&河口和也「同性愛と異性愛」 岩波新書、2010
匠雅音「核家族か ら単家族へ」丸善、1997
井田真木子「同性愛者たち」文芸春秋、1994
編ロバート・オールドリッチ「同性愛の歴史」東洋書林、2009
ミッシェル・フーコー「快楽の活用」新潮社、1986
アラン プレイ「同性愛の社会史」彩流社、1993

「匠雅音の家族について本を読む」のトップにもどる