編著者の略歴−1954年,福島県生まれ.東京教育大学文学部卒業.専攻,日本近世史.主な著書に,「江戸藩邸物語」「殿様と鼠小僧」(ともに中公新書),「小石川御家人物語」(朝日新聞社)などがある. 武士たちが男同士でセックスしていたのは、衆道=ホモとして知られている。 織田信長と犬千代こと前田 利常との関係は有名だし、「葉隠」にも衆道の心得が書かれているほどである。 本書は、衆道は武士道の華といって、武士たち男同士の恋の道を描いている。 ホモという同性愛は、古代ギリシャを取り上げるまでもなく、昔から世界中にあった。 男女間のセックスが生殖を目的としていたのに対して、男性間のセックスは純粋に愛情のため、そして、知を伝えるという文化の継承のためだった。 しかし、近代に入る頃から、ホモが抑圧され始めた。 20世紀に入る頃には、完全に禁止状態になっていく。
我が国でも、江戸中期まで盛んだった男性同性愛は、後期になると歴史の表舞台から姿を消していく。 それまで公の場でも、男性同性愛が語られていたが、秘められたものとなっていくのだ。 その理由はハッキリしない。 20世紀も後半になって、ゲイという形で同性愛が復活してくるが、ホモとの関係はないといって良い。 にもかかわらず、両者の関係が語られることは少ない。 本書は、江戸時代の武士達の愛憎関係を、事実に即して書いている。 同性愛者が同性愛の歴史を書くと、どうしても身びいきになって、好い加減なことを書きがちである。 筆者は同性愛者ではないようだが、それだけに冷静で公平な筆致になっている。 敵討ちというと、ふつうは主君や親などが、殺されたときに行われたと思う。 ところが、同性愛の片方が殺されると、その敵を討つことが許されていた、という。 伝兵衛、忠義の勇之有ると雖も、実は主従和合の因あり 意訳してみよう。−草履取の伝兵衛が主人の敵を討ったのは「忠義」ゆえ。忠義の深さが勇気を奮い起こさせたためだ。でも、それだけではない。亡主の小姓と草履取の伝兵衛、二人の間には「和合の因」、特別な契りがかわされていたからである−。 「和合の因」という表現からすぐに同性愛的関係を想起する解釈は、あるいは早計と批判されるかもしれない。しかし右の文脈からみて、まずそう理解していいと思う。加えて、江戸時代の前期まで、主人と草履取が肉体的関係を結ぶことが少しも珍しくなかったことを想い起こせば、二人の関係はほぼ疑いのないところではないだろうか。(草履取りをめぐる同性愛風俗については、氏家『江戸藩邸物語』を参照されたい)。だからこそ伝兵衛は、亡主の「弟分」、いうまでもなく義兄弟の弟分として奉行所に敵討を願い出、周囲もまたそれを承認したにちがいがいないのだ。P36
と問われれば、しなかっただろう。 建て前は、あくまで主君の敵討ちだったのだ。 秀吉が籐吉郎時代、信長の草履を暖めた話がある。 これは事実ではないらしい。 しかし、主君と草履取りとのあいだには、セクシーな関係が多かったのは事実だった。 恋愛もそれを突きつめていくと、現世の仕来りと衝突する。 宗教もそうだが、何ごとも原理主義は過激になる。 主君に使えることが最優先であるはずの武士が、男との愛情に誠を捧げたら、武士の勤めは果たせなくなる。 そこに筆者はホモが隠れていった理由を見る。 本来、武士には、武芸その他己の芸(特技)を売り物に仕官先を渡り歩く独立した職業人(プロフェッショナル)という性格があったが、江戸幕府成立以降、そのような職業としての武士は「芸者」と呼ばれ、一段低く見られるようになってしまう。このことが物語るように、太平の世の武士に要求されたのは、もはや独立した戦士としての優秀さではなく、それ以上に、幕臣あるいは○○藩士としての意識と行動であった。すなわち、それぞれが所属する組織の一員として、過度に目立たず(自己を主張せず)奉公することが求められはじめたのである。 そんなタテ割り化の鵜勢の中で、個としての武士と武士が、所属(御家)や家格(組織内における序例)にかかわらず、愛し合い協力し合う義兄弟の契り(ヨコ割りの連帯)は、それだけで十分に組織からの逸脱とみなされえたのではなかったか。いや、たとえ同じ家中の同僚だったとしても、組織の承認なしに男どうしが結びっくことは、紛れもない徒党行為として危険視されることになったのだろう。P141 衆道が禁じられるようになった第1の理由は、色恋沙汰から発生する殺傷事件の防止だった。 武士という男性同士であるから、メンツを重んじたがる上に、刀という武力を持っている。 美少年をめぐって彼等が切れたときには、簡単に傷害事件、それも重大な事件へと発展してしまう。 だから男色が禁止されたというのが、第1の理由である。 それ以上に、上記の組織の論理の普及こそ、衆道が禁じられるようになった本当の理由だと、筆者はいう。 これは納得できる。 そして、これ以降、ホモだちは公的には認められず、あくまで習慣として隠れていくのである。 しかし、禁止されれば、隠れても楽しむもの。 男性同性愛がなくなることはなく、隠花植物のように日陰の関係として続くいてくる。 義兄弟とか、舎弟とか、男同士の関係がさまざまに言われる。 男が男に惚れるといった表現があるように、男性間の愛情関係は昔からあったものだろう。 当サイトは、それを年齢秩序に従った男性文化の承継方法だった、と考えている。 だからホモは世界中にあったのだ。 年上の男性から年下の男性へと、精液を媒介にして文化が継承された。 そう考えれば、世界中でホモが見られた事情は、かんたんに納得できる。 それが、近代に入って年齢秩序が崩れ、上下関係から横並びになった。 そのため、ホモが否定され、ゲイへと変化したのだ。 (2010.12.24)
参考: 早川聞多「浮世絵春画と男色」 河出書房新社、1998 松倉すみ歩「ウリ専」英知出版、2006年 ポール・モネット「ボロウド・タイム 上・下」時空出版、1990 ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛 鳥新社、2001 伊藤文学「薔薇ひらく日を 薔薇族と 共に歩んだ30年」河出書房新社、2001 モートン・ハント「ゲイ:新しき隣 人たち」河出書房新社、1982 リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」 筑摩書房、1996 尾辻かな子「カミングアウト」講談社、 2005 伏見憲明+野口勝三「「オカマ」は差別か」 ポット出版、2002 顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000 及 川健二「ゲイ パリ」長 崎出版、 2006 礫川全次「男色の民俗学」 批評社、2003 伊藤文学「薔薇ひらく日を」河出書房 新社、2001 リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」 筑摩書房、1996 稲垣足穂「少年愛の美学」河出 文庫、1986 ミシェル・フーコー「同性愛と生存の美学」 哲学書房、1987 プラトン「饗 宴」岩波文庫、1952 伏見憲明「ゲイという経験」ポット出 版、2002 東郷健「常識を越えて オカ マの道、70年」 ポット出版、2002 ギルバート・ハート「同性愛のカルチャー研究」 現代書館、2002 早川聞多「浮世絵春画と男色」 河出書房新社、1998 ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛 鳥新社、2001 神坂次郎「縛られた巨人」 新潮文庫、1991 風間孝&河口和也「同性愛と異性愛」 岩波新書、2010 匠雅音「核家族か ら単家族へ」丸善、1997 井田真木子「同性愛者たち」文芸春秋、1994 編ロバート・オールドリッチ「同性愛の歴史」東洋書林、2009 ミッシェル・フーコー「快楽の活用」新潮社、1986 アラン プレイ「同性愛の社会史」彩流社、1993 河口和也「クイア・スタディーズ」岩波書店、2003 ジュディス・バトラー「ジェンダー トラブル」青土社、1999 デニス・アルトマン「ゲイ・アイデンティティ」岩波書店、2010 イヴ・コゾフスキー・セジウィック「クローゼットの認識論」青土社、1999 デニス・アルトマン「グローバル・セックス」岩波書店、2005 氏家幹人「武士道とエロス」講談社現代新書、1995
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