匠雅音の家族についてのブックレビュー   ゲイ・スタディーズ|キース・ヴィンセント他

ゲイ・スタディーズ お奨度:

筆者 キース・ヴィンセント(Keith Vincent)、風間孝(かざま たかし)
河口和也(かわぐち かずや)   青土社 1997年 ¥2400−

編著者の略歴−キース・ヴィンセント−1968年,オクラホマ州生まれ。現在,コロンビア大学大学院日本文学専攻博士過程在学中。主な論考に,「正岡子規と病の意味」(『批評空間』TT−8,1996,所収),「敵はどこにいるのだろう−エイズの「起源」と近代日本のホモフォビア」(『現代思想』1996年9月号,所収)がある。
 風間孝−1967年,群馬県生まれ。1992年,法政大学大学院社会学専攻修士過程終了。主な論考に,「運動と調査の間 同性愛者運動への参与観察から」(佐藤健二編『都市の解読力』勁草書房,所収),「エイズのゲイ化と同性愛者たちの政治化」(『現代思想』1997年5月臨時増刊号,所収)がある。
 河口和也−1965年,愛知県生まれ。1997年,筑波大学大学院社会学専攻博士過程単位取得満期退学。主な論考に,「世界の同性愛(者)をめぐる状況」(『女子教育もんだい』1996年冬号,所収),「懸命にゲイになること」(『現代思想』1997年3月号,所収),「エイズをめぐる言説,規制・患者・感染者−そして共生へ」(共著,『性 セクソロシー 第5巻』専修大学出版局,所収)がある。

 3人のゲイが、2年間の研究会をもとに、書いたのが本書である。
1994年には井田真木子の「同性愛者たち」が上梓されているが、ゲイである者が書いたものとしては、早い時期に属するのではないだろうか。
しかし、当事者が書けば、すぐれた書物になるかというと、必ずしもそうではない。

 本書は3部構成を取っている。
第1部 歴史編  河口和也著
第2部 理論編  キース・ヴィンセント著
第3部 実践編  風間孝著

 筆者達が、3人とも30歳前後という若さだ。
若い年齢を理由にして、批評に手加減されることは望まないだろう。
いや30歳といえば、充分にオジサンだから大丈夫だろう。
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 ゲイを同性愛と同視して、ゲイを定義しないで、本書を書き始めてしまったことは大問題だ。
それでありながら、ゲイ・スタディには冒頭の<前書き>で、次のような定義を与えている。

 当事者たるゲイによって担われ、ゲイが自己について考え、よりよく生きることに寄与すること、さらに異性の問の愛情にのみ価値を置き、それを至上のものとして同性愛者を差別する社会の意識と構造とを分析することによって、同性愛恐怖・嫌悪と闘っていくのに役立つ学問。P2

 女性学や黒人学が先行した。
そこでは当事者の発言が、そのまま正義であるかの如くに扱われている。
ゲイ達によって担われとするゲイ学も、ゲイ達が主張するものが正義とされる。
これでは最初から、腐敗が決定づけられている。
筆者達も、ストレートへの排他性を、学問中立性への侵犯だと感じているらしく、ゲイという党派性に拘ることの正当性を主張している。

 フェミニズムも女性から発したがために、女性が多く担ってきた。
とくに我が国では、フェミニズムは女性しか担えないという、愚かな学者もいた。
しかし、人間存在は関係性の中にあるのだから、1つの思想を女性しか担えないということはあり得ない。
むしろ、当事者性に寄りかかることによって、独りよがりになって思考の幅が狭まっていく。

 我が国のフェミニズムは、まさに独善化の道を辿った。
同じように、本書の問題設定の限りでは、最初から独善化の道が決められてしまっている。
ストレートにゲイに関する発言の対して、<知ったかぶり>するなと言っている。
この発言は、自分だけが知っているという驕りそのもので、知に対する真摯さはまったくない。

 ゲイを定義しないでいながら、<私たちは「ホモ」ではない>という章をもうけている。
それでいながら、ホモセクシャルや同性愛とゲイを同じ意味に使っている。

 ミシェル・フーコーをはじめとする多くの研究者の問では現在、「セクシュアリティとは近代の所産である」という考えがほぼ通説になっている。「同性愛」の概念も「異性愛」に先んじる形で「セクシュアリティ」の出現と時を同じく十九世紀に出てきたものであり、レズビアン/ゲイという主体の構築の契機となった。P18

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 ボクも「セクシュアリティとは近代の所産である」というのは賛成する。
そして、ゲイという概念も、最近のものだとも考えている。
しかし、ギリシャの少年愛を持ちだすまでもなく、同性愛は大昔からある。
成人男性が少年と肛門性交することを、同性愛ではないとは言えない。
この部分の説明抜きに、フーコーをもちだして済ませてしまうのは、大きな知的怠慢である。

 ゲイが少年愛や男色とは違うと考えるゆえに、ゲイの独自性を定義しなければならないのだ。
筆者達はゲイは本質ではなく、流動的なゲイネスだという。
それだからといって、ゲイが何かを言えないはずはない。
ましてや同性愛ができたから異性愛が認識されたという以上、同性愛とは何か、ゲイとは何か、ホモとどう違うのかが問われて当然である。

 自己認識は他者を鏡として行われる。
だから、ゲイが見えない我が国では、ゲイが自己認識できないかも知れない。
しかし、新たな自己認識は、つねに試行錯誤なのだ。
アリエスが「<子供>の誕生」で書くように、子供ですら近代になって発見されたのだ。
子供という自己認識は、時代と供に変わっている。
親子関係だって、いまも刷新され続けている。
近代を解明する必要性は、ゲイだからといって言い逃れはできないのだ。

 同性愛嫌悪の社会に生きているかぎり、同性愛に中立的な言説はないという理由で、同性愛偏愛におちいるのは理由にならないだろう。
また、我が国と西洋諸国との、ゲイに対する違いも述べている。
我が国では同性愛者だからといって、就職できなかったり、アパートを借りることができなかったりすることはない。
我が国では露骨な同性愛差別はない。
これに対しては、「平等扱い」による差別とか、見えない差別といって論じている。

 本書を読んでいると、西洋諸国から都合のいい部分を借りてきていながら、都合の悪い部分は言い訳しているように感じる。
自分たちが少数者だと言い、少数者の人権として、何を訴えたいのか、よく判らない。
ゲイである筆者達は、日本でどういう関係を作りたいのか、どんな社会を目指しているのかを論じるべきだろう。

 同性愛嫌悪というが、同性愛者が見えなければ、嫌悪も何もありえない。
馴染みようがないではないか。
そうでありながら、同性愛者だと名のることの危険性を訴える。
相手がゲイだと判りながら、ゲイだと名のらないことは、ストレートのほうも対応に困るのだ。
それこそ暗黙の秘密を共有したまま、秘密に触れないように、会話するのだから隔靴掻痒なのである。

 ゲイ学の確立を望むのは、自分たちゲイの職探しのようにも感じた。
フェミニズムの女性達が、大学に職を得て食い扶持を稼ぐようになったように、ゲイも大学で生計を立てたいように感じる。
本書が書かれてから14年後、河口和也と風間孝は大学に職を得ている。
こうした背景を見ると、結局、稼ぐ場を作るためだったと感じてしまう。
女性が大学に職を得て、フェミニズムがやせ細っていったのを思いだしてしまう。

 在日韓国人には論及していたが、差別と言うことであれば、部落の運動にも目を配るべきだろう。
マルキシズムの歴史をみれば判るように、実践と理論が結びついた研究は、きわめて難しい。
しかも、そこに当事者性をもちこむと、個人的にいくら真摯であっても、知の腐敗が不可避になっていく。
ゲイは後近代を切りひらく者となる、と期待するがゆえに、厳しい批評をするのだ。
しかし、2010年に同じ筆者によって書かれた「同性愛と異性愛」を読むと、 残念ながら筆者たちの閉鎖性は変わりがないようだ。  (2011.1.28)
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参考:
早川聞多「浮世絵春画と男色」 河出書房新社、1998
松倉すみ歩「ウリ専」英知出版、2006年
ポール・モネット「ボロウド・タイム  上・下」時空出版、1990
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛 鳥新社、2001
伊藤文学「薔薇ひらく日を 薔薇族と 共に歩んだ30年」河出書房新社、2001
モートン・ハント「ゲイ:新しき隣 人たち」河出書房新社、1982
リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」 筑摩書房、1996

尾辻かな子「カミングアウト」講談社、 2005
伏見憲明+野口勝三「「オカマ」は差別か」 ポット出版、2002
顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000
及 川健二「ゲイ パリ」長 崎出版、 2006
礫川全次「男色の民俗学」 批評社、2003
伊藤文学「薔薇ひらく日を」河出書房 新社、2001

リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」 筑摩書房、1996
稲垣足穂「少年愛の美学」河出 文庫、1986
ミシェル・フーコー「同性愛と生存の美学」 哲学書房、1987
プラトン「饗 宴」岩波文庫、1952
伏見憲明「ゲイという経験」ポット出 版、2002

東郷健「常識を越えて オカ マの道、70年」 ポット出版、2002
ギルバート・ハート「同性愛のカルチャー研究」 現代書館、2002
早川聞多「浮世絵春画と男色」 河出書房新社、1998
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛 鳥新社、2001
神坂次郎「縛られた巨人」 新潮文庫、1991
風間孝&河口和也「同性愛と異性愛」 岩波新書、2010
匠雅音「核家族か ら単家族へ」丸善、1997
井田真木子「同性愛者たち」文芸春秋、1994
編ロバート・オールドリッチ「同性愛の歴史」東洋書林、2009
ミッシェル・フーコー「快楽の活用」新潮社、1986
アラン プレイ「同性愛の社会史」彩流社、1993
河口和也「クイア・スタディーズ」岩波書店、2003
ジュディス・バトラー「ジェンダー トラブル」青土社、1999
デニス・アルトマン「ゲイ・アイデンティティ」岩波書店、2010
イヴ・コゾフスキー・セジウィック「クローゼットの認識論」青土社、1999
デニス・アルトマン「グローバル・セックス」岩波書店、2005
氏家幹人「武士道とエロス」講談社現代新書、1995
岩田準一「本朝男色考」原書房、2002
海野 弘「ホモセクシャルの世界史」文芸春秋、2005
キース・ヴィンセント、風間孝、河口和也「ゲイ・スタディーズ」青土社、1997

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