匠雅音の家族についてのブックレビュー   昭和前期の家族問題|湯沢雍彦

昭和前期の家族問題
1926〜45年、格差・病・戦争と闘った人びと
お奨度:

筆者 湯沢雍彦(ゆざわ やすひこ) ミネルヴァ書房、2011年 ¥3500

編著者の略歴− 1930年 東京都生まれ。東京都立大学人文学部社会学専攻・同法学専攻卒業。東京家庭裁判所調査官,お茶の水女子大学教授,郡山女子大学教授,東洋英和女学院大学教授を経て,現在 お茶の水女子大学名誉教授,養子と里親を考える会理事,地域社会研究所理事。 主著『少子化をのりこえたデンマーク』朝日新聞社,2001年。『里親制度の国際比較』ミネルヴァ書房,2004年。『里親入門』ミネルヴァ書房,2005年。『明治の結婚 明治の離婚』角川書店,2005年。『大正期の家庭生活』クレス出版,2008年。『新版 データで読む家族問題』日本放送出版協会,2008年。『大正期の家族問題』ミネルヴァ書房,2010年ほか。
 昭和元年から戦争の終わった20年8月までを、対象にして家族の状態を追ったものである。
この時期は、戦争への足音が高くなる時期なので、どうしても事件の記述に追われ、個々の家族に目を向けることが少ない。

 昭和6年(1931年)には満州事変がおきているし、 昭和11年(1936年)には2.26事件が起きている。
この2つの出来事だけで、歴史書の昭和前期のページを埋めてしまう。
そのため、庶民の生活まで筆が届かないのだ。
しかし、こうした時代であっても、当然のことながら人間は生きている。
TAKUMIアマゾンで購入

 この2つの出来事だけをみると、この時代は戦争へ急傾斜していったので、市井の生活は暗かったと思いがちである。
しかし、筆者は次のように言う。

 文化住宅に住む恵まれた層の妻たちは、デパートで格安の買い物を楽しみ、街歩きを楽しんだ。定職・定収入が保証されていた家族にとっては、物価が下がって暮らしよくなり、昭和5年は悪くない時代であった。それは、反対側の厳しい世間とはまるで関係がないかのような明るい賑々しい表情に見えるものだった。
 だが同じ年、世界恐慌のあおりを受けて産業界はたちまち昭和恐慌となり、失業者が巷にあふれ、金がなくなった男女は、鉄道線路を歩いて遠くの郷里へ帰って行った。だが、その農村も、昭和5年はまれなる大豊作に恵まれながら、そのためにかえって米価は大暴落し、すぐそのあとには冷害が続いた。P10


 当時、大学出が銀行に勤めた初任給は70円で、公務員上級職は75円だった。
定収入のあるサラリーマンたちには、デフレの影響で可処分所得がふえて、暮らしが楽になっていた。
しかし、サラリーマンは全労働者の20パーセント程度で、月々の定収入を持たない労働者が80パーセントだった。

 職人や農民は、いわゆる定収入はない。
職人は日給であり、農民は1年に一度の収穫が、現金に変わるだけだ。
職人や農民だって労働者である。
その彼らは、たった150円のお金が返せずに、娘を売春宿へと身売りしていた。
つまり、戦前は人身売買がまかり通っており、前払いの借入金で人間が拘束されていたのである。
2.26事件の背景には、東北地方での極貧にあえぐ農民の生活があった、というのが定説である。

広告
 昭和前期という時代は、20パーセントの勤め人は裕福な生活をしていたが、それ以外の80パーセントの労働者は、極貧に苦しんでいた。
こうした時代に、どちらに焦点を当てるかによって、書物の顔はまったく違ってくる。
すべてを戦争のせいにして、戦前の生活を見ると、実像から離れたものになってしまう。

 一般に家族の始まりは結婚だと言われている(当サイトは家族の始まりは出産だと考えるが)。そのため、家族を扱う本書でも最初に結婚にページが割かれている。

 昭和に入って何年たってもこの予言(恋愛が推奨されるようになる)は当たらなかった。かえって昭和10年を超えて戦時体制が強められると、再び恋愛結婚に対する非難・批判が一層強められ、大部分すなわち9割近くの結婚が、恋愛意志のない結びつきが当然のこととして続けられていったのだった。P37

 昭和5年の資料は、男性の98.2パーセント女性の98.4パーセントは、49歳までに1度は結婚したという。
国民のほとんどが結婚した。
それは女性に職業がなく、結婚しないと生きていけなかったからだ。
結婚は愛情によって結びつくものではなく、生活のために共同生活をするものだった。

 しかし、戦前の夫婦の情というのは、生活の必要性の上に成り立ち、セックスによって結ばれていた。
愛情のない男女がセックスをしても性の快楽はある。
夫婦になった男女はセックスをくり返し、やがて女性もセックスの味を忘れられなくなる。
それが長年続いていくという形で、性的な快楽が男女を結びつけていた。
見合いによって結ばれた戦前の結婚は、純然たる肉体の性交からに基づいた畜生道から踏みだしている、と厨川白村が喝破している。

 昭和4年(1929年)の大恐慌は我が国に暗い影を投げかけたが、戦争への道が明るさを切りひらく。


 国民は社会の矛盾や貧困も忘れ、どんな戦勝の報道にも拍手し、喜び浮かれるように変わっていった。勝ちいくさの報道はすべての人を麻痺させる妙薬なのである。軍需景気で収入も上がってきた。
 満洲事変が昭和6年に始まるや否や、日本国民の雰囲気はがらりと変わって、一般大衆は喚声をあげて軍隊の行動を賛美した。インテリ層の大部分も「冷静傍観」するのをやめて、戦時体制にのめりこんでいった。大正時代から昭和初年までのデモクラシーや民主主義は一時的な付け焼き刃に過ぎないようだった。個人主義は悪で、団結して国のためにつくすことが一番大切になっていく。P245


 戦争が本格化した後は、被災地のことを思えば、こんな生活は罰が当たるという風潮が支配していった。
本書は大事件は扱わずに、市井の人々の生活を描いているので、等身大の社会が見える。
しかし、引用文が長すぎて、ちょっと興ざめな部分もある。

 興味深い記述が2つあった。まず、戦前の大銀行に入社するときには、身元保証金として200円程度を積み立てることを強制されたのだそうである。
もう1つは、テノール歌手の藤原義恵へと走った宮下あき子に対して、当時の社会は次のように対応している。

 (宮下あき子の)この行動に対して『婦人画報』は、「彼女はあまりにも個人的だ。自己の幸福の追求のみに執心して、愛児二人の幸福や向上のために犠牲となることも辞さない母性愛の欠陥せる人」、「彼女は恋を求めて、愛を知らざる人」と非難した。あき子は学習院女子部の同窓会「常盤会」から、卒業生の名誉を汚すという理由で除名されている。P25

 現在、2人の子供を持つ女性が、子供を捨てて愛人の元に走ったら、何といわれるだろうか。
おそらく婦人画報と同じことが言われるだろう。女性の地位は戦前と何も変わっていない。 
(2011.8.11)
広告
 感想・ご意見・反論など、掲示板にどうぞ
参考:
杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か その言説と現実」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、
I・ウォーラーステイン「新しい学 21世紀の脱=社会科学」藤原書店、2001
レマルク「西部戦線異常なし」新潮文庫、1955
田川建三「イエスという男 逆説的反抗者の生と死」三一書房、1980
ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981
野村雅一「身ぶりとしぐさの人類学」中公新書、1996
永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
武田勝蔵「風呂と湯の話」塙書店、1967
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001
匠雅音「家考」学文社
M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975
E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988
イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001
ポール・ファッセル「階級「平等社会」アメリカのタブー」光文社文庫、1997
橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984
石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
古舘真「男女平等への道」明窓出版、2000
三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992
クロード・レヴィ=ストロース「親族の基本構造」番町書房、1977
湯沢雍彦「昭和前期の家族問題」ミネルヴァ書房、2011

「匠雅音の家族について本を読む」のトップにもどる