匠雅音の家族についてのブックレビュー   エロティック・キャピタル−すべてが手に入る自分磨き|キャサリン・ハキム

エロティック・キャピタル
すべてが手に入る自分磨き
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筆者 キャサリン・ハキム  共同通信社、2012年 ¥1429−

編著者の略歴−社会学者で、ロンドンの政策研究センター、シニア・フェロー。ロンドン・スクール・オブ・ビジネスで長年にわたり社会学の研究員を務めた。労働市場における社会学、社会体制の変化、女性の雇用と社会での女性地位理論の専門家。その学術論文や著書は、欧州、米国で広く出版されている。ハキム博士のエロティツタ・キャピタル理論は、発表と同時に多くのメディアに取り上げられ、世界中から注目されている。
 興味本位になりがちな扇情的なタイトルだが、個人的な意見を述べた本ではなく、社会的な調査に基づいた主張だ、と筆者はいう。
大学フェミニストが聞いたら、卒倒しそうな言葉が並ぶが、本書のほうが正しいと思う。
とりわけ、自分の美しさを仕事に生かしてはいけないというのは、男性社会に洗脳された結果だというのは納得である。
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 人間の能力はさまざまな側面があり、それらが組み合わさって総合的な能力となる。
社会で重視されるのは、経済的な資産、学歴、職業、人脈などだ。
これらは職場でいかんなく力を発揮し、地位向上に役にたてることに与っている。
しかし、エロティックな魅力を、仕事上で使うのはタブー視されている。
その理由は、男性支配の社会だからだという。
筆者は、エロティックな能力を次のように定義する。

 エロティック・キャピタルとは、美しさ、セックスアピール、快活さ、着こなしのセンス、人を引きつける魅力、社交スキル、性的能力などが組み合わさった、外見の魅力と対人的な魅力を総合したものと考えるといいだろう。P17

 本書は男性支配の社会を弾劾するだけではなく、男性支配の社会規範にのってしまったフェミニストをも批判する。

 第3章では、男性優位主義のイデオロギーが女性のエロティツク・キャピタルの価値をおとしめ、女性たちが(男性を犠牲にして)それを利用しないようにしてきたことに目を向ける。一般に、男性よりも女性の方がエロティック・キャピタルに恵まれているため、男性たちはその存在も価値も否定し、女性たちが相対的優位に立つこの資産を利用しないように努めてきた。残念ながら現在の急進的フェミニストも、エロティツク・キャピタルに関しては、「道徳」を表向きの理由にした男性優位主義の抑圧的な態度に味方している。最近のフェミニスト的視点から書かれた書物は、女性の美しさや性的な魅力を軽蔑すべきものと印象づけて、女性に対する優越感を守ろうとする男性たちの偏執的な努力に加担している。P13

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 残念ながら、筆者のこの主張は当たっている。
女性の美しさは、男性を喜ばせるためのもので、美に拘ることは男性支配の社会に迎合することだという道徳観に、女性たちも毒されている。
美女は誰にとっても美しいように、そして、美女は好まれるように、イケメンだって美しいし、好まれている。

 女性が台頭してきたので、女性は自分の好みをハッキリと言うことができるようになった。
そのため、イケメンがもてはやされるようになった。
今まで女性は男性から、経済的な保護を受けようとしてきた。
保護を受ける戦略として、美しさが語られたから、自立しようとするブスい女性たちには美女が不評だったのだ。
しかし、もはや女性は自力で立てる。
もう男性の経済的な保護は不要である。
とすれば、本書のような主張が出てきて当然である。

 一部のフェミニストは男女の性欲は等しいと主張する。
女性のそれが表に出てこないのは、男性支配の社会が女性を抑圧しているからだと理由を述べる。
しかし、筆者は女性の性欲は、男性のそれより遙かに弱いと主張する。
にもかかわらず、男女が同じだと主張した結果、困難な状況に立ち至ってしまった。

 (性革命によって)西洋諸国では、結婚していてもいなくても、レクリエーションとして楽しむセックスへの扉が開かれた。なぜなら(ピルにより)望まない妊娠のリスクがほぼなくなったからだ。性革命は長期的なパートナー以外とのセックスに対する態度を急激に変えることになった。最初は婚前交渉の解放だったのが、徐々に結婚相手以外と性的関係を結ぶ機会も増えていった。男性と平等な権利を求めるフェミニストの要求もそれを後押しした。というのも、女性も男性と同じように性的な満足感や大胆さに興味があると主張したからだ。男性のフリーセックスは認め、女性には禁じるという二重基準はもう時代遅れだというのだ。P51

 筆者は、上記の理由で、女性たちは慎ましくあるべきだとは言わない。
むしろ反対である。
自分を磨くことは誰にでもできる。
資格を取得するように、知識を身につけるように、体力を付けるように、エロティックな能力を磨くべきだと主張する。
しごく尤もな主張である。

 本書のような主張を聞くと、ブスはどうするのだという反論が返っている。
美は天与のものであり、不公平だという声が聞こえる。
しかし、それは本書への反論にはならない。
知的な能力だって、一面では生得のものだ。
運動能力に至っては、もう生まれつきとしか言いようがない。
普通の人がどう頑張っても、オリンピックに出場できることはない。

 日曜テニスに興じる人は、まったく上達しないかというと、そんなことはない。
練習によっていくらかは上手くなる。
難しい試験だって、猛勉強すれば受かるかも知れない。
エロティックな能力も同じだろう。
エリザベス・テーラーほどの美人にはなれないが、エロティックな能力は訓練によって向上させることはできる。

 筆者はさまざまな調査結果をひきながら、きわめて説得的に論を展開していく。
あれもダメ、これも差別という大学フェミニストより、遙かに建設的であり、なにより明るく希望が見える。
女性が自立する時代になって、スクリーンから美女は消えてしまったのだ。
とすれば女性が自分のエロティックな能力を磨いて、社会で有効に使うことに何の障害があろう。  (2012.6.30)
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参考:
J・S・ミル「女性の解放」 岩波文庫、1957
イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」 筑摩書房、1994
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田中美津「いのちの女たちへ」現代書 館、2001
末包房子「専業主婦が消える」 同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、 1988
ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジ ンズ、2002
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワー クス、2001
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」 大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書 房、1966
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現 代思想社、1984
モリー・マーティン「素敵なヘルメット職 域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
小野清美「アンネナプキンの社会史」 宝島文庫、2000(宝島社、1992)
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」 とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新 潮文庫、2005
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参 画社会」 洋泉社、2006
小関智弘「おんなたちの町工場」 ちくま文庫、2001
エイレン・モーガン「女の由来」どうぶつ社、 1997
シンシア・S・スミス「女は結婚すべ きではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」 東洋経済新報社、2001
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」 角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、 2004
大塚英志「「彼女たち」 の連合赤軍」角川文庫、2001
鹿野政直「現代日本女性史」 有斐閣、2004
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、 2006
ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」 水声社 2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、 1972
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書 店、1993
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、 1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」 思索社、1982
赤松良子「新版 女性の権利」岩波書 店、2005
マリリン・ウォーリング「新フェミニスト 経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」 平凡社、1992
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」 現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の 水書房、1987
荻野美穂「中絶論争とアメリカ社 会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」 二見書房、2007
田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、 2000
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、 1952
スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、 1994
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、 1994
ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」 中公新書ラクレ、2009
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文 庫、2003
光畑由佳「働くママが日 本を救う!」マイコミ新書、2009
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」 草思社、1997
奥地圭子「学校は必要 か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもから の自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
ジェシ・グリーン「男 だけの育児」飛鳥新社、2001
末包房子「専 業主婦が消える」同友館、1994
熊沢誠「女性労働 と企業社会」岩波新書、2000
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史  まだ病院がなかったころ」勁草書房、1994
信田さよ子「母が重くてたまらない」春秋社、2008
匠雅音「核家族か ら単家族へ」丸善、1997
ミシェル・ペロー編「女性史は可能か」藤原書店、1992
マリリン・ヤーロム「<妻>の歴史」慶應義塾大学出版部、2006
ジャーメン・グリア「去勢された女」ダイヤモンド社、1976
シモーヌ・ド・ボーボワール「第二の性」新潮文庫、1997
キャサリン・ハキム「エロティック・キャピタル」共同通信社、2012

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