編著者の略歴−1943年東京生まれ。エジプト考古学者にして早稲田大学人間科学部助教授。91年に発見された2600年前の葬祭神殿は、調査の行方が全世界から注目されている。現在、エジプト調査や大学の講義以外にも、テレビ、雑誌、講演と、超多忙な毎日を送る。こんなに忙しくて、はたして結婚生活は……。でも心配御無用、独身なのである。古代史にとどまることなく様々な分野に発言を続ける著者にとっては、結婚も古代の神殿同様に興味あるスリリングな調査の対象なのだ。 はや1992年に、こうした本を書いている人がいたんだ、と感慨深い。 筆者の主張は、ほぼ「核家族から単家族へ」である。 男女が一緒に暮らすことは同棲とか、同居といわれる。 しかし、結婚となるとちょっと事情が違う。 にもかかわらず、両者はごちゃ混ぜにして論じられてきた。 賢明な筆者は、とうぜんのこととして両者を分けて論じている。
結婚制度の先兵は、制度を守ること、それだけが人間の幸せだとかたくなに思い込んでいた人たちだ。結婚なんて、所詮、人間が作った制度にすぎないのに、見直すことすらしない。 ナチュラルな気持を殺してまでも、制度を守ることこそが幸せだとは、悲しい人間だ。それは多くの場合、親である。 タチが悪いことに、親は子供のためと頑固に信じて、結婚、結婚と騒ぎ立てる。その場合の結婚は、本人たちの信頼関係より、世間に正式なワンペアと認知されるかどうかに、すべてがかかっているのだ。だから男女二人の愛の形を、本人たちの意にそわない歪んだ形にしてしまっても、いっこうに反省がない。 親は子供によかれと思って、結婚という制度の枠にはめようとする。P16 愛する男女が一つ屋根の下暮らすことは、古今東西どこでも行われてきた。 愛の営みは永遠である。 そのため、男が愛する女のもとへ夜な夜な通ってくるのも、世界各地で見られた風習である。 しかし、我が国で今日いう結婚とは、きわめて現代的なものであり、必ずしも世界中で行われているわけではない。 筆者は男女が愛することと、結婚をわけている。 筆者の青春時代には、結婚しないとセックスすることは許されていなかった。 それどころか、若い男女が手を握ることもタブー視されていた。 筆者の話が何時のことかというと、1970年頃までそうだった。 1970年頃までは結婚して初めて、セックスできるようになったのだ。 今から40年くらい前には、結婚式を目前に控えた男女にとって、婚前交渉は是か非かと論じられた。 結婚式まで性交渉をしてはいけない、というのが当時の常識だったのである。 だから、この頃には、結婚とは何よりも大っぴらにセックスできることを意味していた。 しかし、今日では結婚とセックスは切りはなされて、既婚者以外でもセックスをして良くなった。
制度といっても、法律のように明文化しておいて、罪を犯した人間に罰を科するという単純なものではなく、「道徳」という衣を着ている制度にしてしまったのだ。 男と女の問で行なわれる性行為は、本来は「罪」であり、汚れた行為だという共通のコソセンサスがあるから、聖なる神に仕える修道士や修道女は一生独身を通すのである。できるものならば、普通の人も罪を犯さずに一生を終えたほうがいいのかもしれない。 罪を知らない体のまま妊娠できるなら、それがもっとも理想的なのだ。その奇跡を行なったのは、人類ではただ一人、聖母マリアその人である。 しかし、凡人にそれはむずかしい。そこで快楽を抑えられないのなら、結婚という関係の相手だけに限ろう、爆発して困る欲望を限られた相手にだけ向けさせようという、キリスト教が知恵をしばった末に作られた制度が一夫一婦制なのだ。 それが紆余曲折を経て、社会的なコンセンサスができあがったのは、近代社会になってからである。近代は一夫一婦制を多くの社会が認知した。一夫一婦制こそが、社会秩序を守り、倫理観にあふれた制度なのだというわけだ。 でも、一夫一婦制が制度としてできてから、せいぜい2千年しか経っていないのだ。それが、社会的なコンセンサスを得てからということだと、わずかに300年なのである。P63 かつては女性に職業が用意されていなかった。 そのため、子供を持った女性は、誰かに養って貰うしかなかった。 その解決方法は結婚であり、妊娠させた男性を伴侶とさせることだった。 しかも、一度結婚したら、永久に別れることができないようにした。 それがカソリックである。 江戸時代の我が国では、女性は労働力として認知されていた。 そのため、アリス・ベーコンの「明治日本の女たち」や R・J・スミス、E・R・ウイスウェルの「須恵村の女たち」が描くように、男女の仲は今よりはるかに自由だった。 結婚とは関係ないところで、男女は愛しあうことができた。 そのうえ、女性のほうからも容易く離婚できた。 しかし、工業社会になって、女性は労働力として認められなくなった。 明治になると、子供への男性の血筋を保証させるために、女性を一夫一婦へと追い込んでいった。 あたかも世継ぎを産むことが唯一の仕事だった武士階級の女性のように、すべての女性が仕向けられたのだ。 愛情は結婚という制度が支えることはないにもかかわらず、ロマンティック・ラブなる風潮が男女を結婚へと駆り立てていった。 戸籍こそが家制度なのだ。 つまり、夫婦と子供という姓を同じくする者を、一束にして管理しょうというシステムである。個人単位ではなく、家単位であることが問題なのだ。なぜなら、個人ではなく家単位だから、そこに序列が生まれてしまう。戸籍の筆頭に書かれている人を、昔は「戸主」といった。今は「戸籍筆頭者」という。 夫婦が夫の姓を名のった時は、夫が戸籍筆頭者になり、妻の姓を名のることにした時は、妻がその戸籍筆頭者になる。だから、夫は妻の姓を名のることが嫌なのだ。 それと同じように妻だって嫌なのだ。結婚したら、どちらか一方の姓を選択しなくてはならないのは、古い家制度の名残にほかならない。 こんな家制度に縛られることはない。個人の生き方を模索しようではないか。P200 まさに「単家族」である。 愛情は愛情としてあれば良いのであって、制度に支えられなければ存在できない愛情はおかしいだろう。 個人が個人として存在するがゆえに、愛情を語ることができるのだ。 家制度にもとづく結婚制度にとらわれと、個人の自由な愛情は檻に閉じ込められていく。 優しい言葉で書かれているが、本書は結婚制度を否定した愛情賛歌である。 筆者はエジプト人女性との結婚に失敗しているからか、個人の愛情をもっとも大切なものと考えている。 それが良く伝わってくる。 現在69歳になる筆者の49歳のときの著作である。 (2012.10.22)
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