匠雅音の家族についてのブックレビュー   うつ病九段−プロ棋士が将棋を失くした一年間|先崎学(せんざき まなぶ)

うつ病九段
プロ棋士が将棋を失くした一年間
お奨度:

著者 先崎学(せんざき まなぶ)  文藝春秋 2018年 ¥1250円

著者の略歴−1970年、青森県生まれ。1981年、小学5年のときに米長邦雄永世棋聖門下で奨励会入会。1987年四段になりプロデビュー。 1991年、第40回NHK杯戦で同い年の羽生善治(現竜王)を準決勝で破り棋戦初優勝。棋戦優勝2回。A級在位2期。 2014年九段に。2017年7月にうつ病を発症し、慶応大学病院に入院。8月に日本将棋連盟を通して休場を発表した。そして1年の闘病を経て2018年6月、順位戦で復帰を果たす。
  誰でもうつ病になる可能性がある。筆者は本書でそう力説している。
まったく同感である。
しかし、頭脳をやられたにもかかわらず本書が出版されたのは、幸運だったと言って良いだろう。
御木達哉氏が「うつ病の妻と共に」を書いているが、
うつ病を患った本人が闘病記を書いている例は少ない。
脳梗塞をやっても闘病記は書きにくいものだが、うつ病ではもっと困難ではないかと想像する。

  人は家族に生きるので、本サイトで本書を取り上げるのも必然性があるだろう。
単家族をうたう本サイトだが、
複数での同居を否定しているわけではないことは理解されているだろう。
むしろ好感を持つ者同士が同居することは、人間としてまったく自然の行動だと結論して、本書を読んでいこう。

うつの九段−プロ棋士が将棋を失くした一年間
  冒頭で6月23日にうつが発症した、と筆者は書いている。
これには驚いた。
何時とは判らないうちに徐々に発症していくのか思っていたが、この日からと明確に自覚できるものらしい。
しかし、この日に発症したが、ここから10日くらいかけて重篤になっていく。

  プロの棋士は将棋を指すことが仕事である。
将棋を指さなければ飯が食えない。
しかし、うつ病になってしまった以上、もちろん将棋を指すことはできなくない。
誰でも仕事を放棄せねばならない状況は認めたくないものだろう。
筆者も抵抗するが、どうにもできないところまで追い詰められて、とうとう7月26日に慶応大学病院精神神経科へと入院する。

  やがて、胸が苦しくなるという症状が出るようになった。横になっていると、無性に胸がせりあげてくるような感覚が襲ってくる。すると必然的に呼吸が早くなってしまう。息が詰まるとまではいわないが、どうしても浅い呼吸しかできない。そのうちに、胸が苦しくなるとともに頭が重くなっていくのがはつきりと分かった。常に頭の上に1キロくらいの重しが乗っているようである。頭痛とはまた違う。これは生まれて初めての体験だった。そして困ったことに、この頭の上の重しは横になっても取れないのである。  P11

  苦しかっただろう。
電車に乗って出勤できない。ホームに立つと、電車に吸い込まれそうになる。
こうなってしまえば、もう仕事はできない。
その時には、精神科医である兄や妻たちの奔走によって、入院準備が進んでいた。
兄たちは筆者の自殺を恐れていたのだ。

  うつ病とは死にたがる病気だと言われるように、多くのうつ病患者が自殺している。
前記の御木達哉氏も、闘病の甲斐なく奥さんを失っている。
しかも完治したと思われた3年後に自殺してしまったのだ。

  筆者は体調が悪いと自覚していても、簡単に治ると思っていたらしい。
そうだろうと思う。自分の頭はわからないものだ。
しかし、医者からは半年から1年の療養が必要だ、と宣告されて絶望に陥る。
とうとう諦めて、将棋連盟に「私先崎学は、一身上の都合により3月31日まで休場します」という休場届をだす決心をする。

  入院して10日ほどすると、最悪期を脱したという。最悪期は下記のような状況だったという。

  最悪の時はまったく何も読めなかった。ホントに新聞の一面の見出しを読むだけで精一杯だったのである。信じられないかもしれないが、文庫本などを見ても、一行の半分も読むと頭のなかで文として整理がつかず、疲れ果てるという按配だったのだ。じやあ漫画ならいいかというと、こちらはなんとか眺めることができてもストーリーを全然追えないので、四コマ漫画しか駄目というていたらくだった。そして四コマ漫画も、何かを見て面白いと感じる能力がそもそもなくなっているので楽しくないという状態だったのである。  P31

  うつ病には散歩が良いと言われて、筆者はさかんに散歩をする。
医者である兄から「うつ病は必ず治る」と言われたのも心強かったのだろう。
入院中は病状が回復しているのは自覚できなかったと書いているが、病状は徐々にだが確実に回復に向かっていた。
外出をくり返しながら、8月28日に退院する。
普通の病気なら、退院はうれしいものだが、うつ病の場合は退院してからも大変である。

  退院しても落ち込む症状は残っている。頭がボーとして深い霞がかかっているらしい。
退院すると家から出られない。まずベッドから起き上がれない。
それを無理矢理おきて、コンビニまでコーヒーを買いに行く。
コーヒーを買いに行くという動機付けがないと、家を出ることができないのだ。
それから徐々に外出の範囲が広がっていく。

  うつ病は頭の病気だから、新しいことに手が出せなくなるのは想像がつく。
筆者もさまざまな抵抗をはねのけて、新しいことに挑戦していく。
しかし、新しいことと言っても、発症前には普通にできたことばかりだ。
だいたい将棋を指すのが仕事のプロ棋士が、将棋を指すのでさえできなくっていた。
将棋を指すのでさえ怖くて手がだせないのを、何とか頑張ってできるようになっていく。

  しかし、精神的な話しだけではない。
発症前には80キロを超えていた体重は、64.8キロになったという。
2ヶ月で16キロも痩せてしまったとある。
筆者はボクシング・ジムに通っていたというが、10月にジムに行った時のことを次のように書いている。
  

  ジムヘ行くのは9月中旬以来だった。その時はまったく動けずに、ほうはうの体で帰ってきた。おそらく私の姿はあまりにも異様だったのだろう。トレーナーの人にぎょつとした顔をされ、どこか悪いんですかといわれたのを覚えている。   ジムでは前回よりも動くことができた。これは自信になった。ちいさな自信を感じると、胸が温かくなって、その場だけでも元気になるのだ。 P77

  プロ棋士に復帰すると決めていた4月には無事に元に戻れたらしい。
6月には順位戦に復帰している。ほんとうに良かった。
身体の病気も困るが、
頭の病気は本人の気力に関わるだけではなく、考えていることが掴めなくなってしまうのだ。
自分に自信がなく、正しいことをしているのか不安になる。筆者が無事な毎日を送れることを切に祈っている。   (2019.5.2)
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参考:
伊藤友宣「家庭という歪んだ宇宙」ちくま文庫、1998
永山翔子「家庭という名の収容所」PHP研究所、2000
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003
光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997
ミシェル・ペロー編「女性史は可能か」藤原書店、1992
マリリン・ヤーロム「<妻>の歴史」慶應義塾大学出版部、2006
シモーヌ・ド・ボーボワール「第二の性」新潮文庫、1997
亀井俊介「性革命のアメリカ」講談社、1989
イーサン・ウォッターズ「クレージ・ライク・アメリカ」紀伊國屋書店、2013
エイミー・チュア「Tiger-Mother:タイガー・マザー」朝日出版社、2011
清泉 亮「田舎暮らしの教科書」東洋経済新報社、2018
柴田純「日本幼児史」吉川弘文館、2013
黒川伊保子「妻のトリセツ」講談社α新書、2018
先崎学「うつ病九段」文藝春秋、2018  

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