匠雅音の家族についてのブックレビュー お母さんは忙しくなるばかり|ルース・シュウォーツ・コーワン

お母さんは忙しくなるばかり
家事労働とテクノロジーの社会史
お奨度:

著者 ルース・シュウォーツ・コーワン(Ruth Schwartz Cowan)
  法政大学出版局 2010年 ¥3800−

著者の略歴−ニューヨーク州立大学教授を経て,現在, ペンシルベニア大学教授.専門は科学技術の社会史. 1992-94年には米国技術史学会(Society for the History of Technology/SHOT) の会長を務めた. 本書のほか,Our Parents' Lives: The Americanization of Eastern European Jews (『東欧からのユダヤ系移民の生活と米国民化』 Basic Books, 1989. 夫君(Neil M. Cowan と共著), A Social History of American Technology (『米国技術の社会史』 Oxford University Press, 1997), Heredity and Hope:The Case for Genetic Screening (『遺伝と希望??遺伝子スクリーニングと優生学の比較』 Harvard University Press, 2008) の著書がある.
  1983年に本国で出版されている本なのに、我が国で出版されたのは、27年もたった2010年である。 しかも、訳者は科学技術史を専門とする男性で、版元は法政大学出版局とある。フェミニストには最適の本だと思うが、なぜこんなに長いあいだ翻訳されなかったのだろ。
   本書は主婦の労働は変わったけど、労働時間は一向に減っておらず、むしろ長くなっているという。

    家事テクノロジーの進歩が家事を楽にしたとか (家事器具の販売広告にはそう書いてあっても)、その進歩は既婚婦人が職につきやすいような影響をもたらしたとか、 そんなことはないとわかった。 私が見出した事実は、全く反対であった。 労働経済学者オッペンハイマー (Valerie Oppenheimer) は、米国の既婚婦人と職業労働とを結びつけるもっとも重要な変数は所得であることを示した。 夫の所得が低ければ低いほど、妻は賃労働の職についていることが多い (そして、その家庭に洗濯機がある可能性は低い)。まえがきP10

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    確かに1970年頃までは家事テクノロジーつまり家電製品は高級品で、しかも単純すぎて家事労働の助けにはならなっただろう。 現代のように全自動でもなく、人がついて操作しなければならなかった。
   最もきつい家事労働は洗濯だと思う。電気洗濯機は厳しい肉体労働から女性を解放した。たしかに労働のきつさを軽減したかも知れないが、 労働時間を短縮することはなかった。洗濯物を入れ、洗剤を入れ、終わったら取り出して干すのは、時間がかかるものだ。その間、付きっきりではないにしても、それなりの時間はかかる。

  家事労働は3つの重要な点(不払い労働、孤立した労働環境、専門化されていない労働者)で市場労働とちがい、 また、3つの点(人力・畜力以外の動力・エネルギー源に頼り、その結果として社会的経済的ネットワークに依存する、 労働を可能にする道具類から疎外されている)で両者は似ていると言える。これら6つの点は、家事労働の工業化を定義する判定項目であると言ってもよい。 それゆえ、過去2世紀の欧米では男の労働と比較して女の労働は不完全に工業化されたか、あるいは異なったかたちで工業化されたと言うことができる。P5

  アメリカは前近代を持たない社会で、近代とともに始まった。近代の初期はやはり農業が主で、アメリカでも戦前は農業就業人口が80%を超えていた。 筆者は農業での生活は、男女の協力が必要だったと、次のように言う。

  家庭での労働が「女の仕事」と言われているとしても、農作業の毎日、男と女は生計のための辛い労働すべてに2人で当たることが必要であった。 両性の関係は相互的であり、外の畑では女が男を助け、家では男が女を助けた。女は炊事、掃除、洗濯、育児を受け持ち、 同様に男は鋤入れ、のこ挽き、草刈り、馬(牡牛・牝牛または豚)の世話をしたのであり、これらのどの労働も生計に不可欠であった。P38

   農業時代は2人の男女が協力しないと生きていけなかったし、電気や石油がなかったので、すべて人間の身体が生みだすエネルギーによっていた。 肉体的な力を必要とする厳しい労働は、主に男が担っていた。子供を産むことを除いて男に出来ないことはなかったが、女に力仕事は無理だったから、男が第1の性とされたのだ。

 それでも農業時代は貧しかった。シチューという聞こえは良いが、単なるごった煮である。このシチューを毎日毎日食べ続けたし、家も狭かったし、衣服も長い間洗濯せず、下着のまま寝ていた。もちろん毎日風呂に入ることなどできなかった。薪も貴重品だったから、暖房も充分ではなく冬の室内は寒かった。
 アメリカは工業化も早かった。1800年には出生率は7.04人だったのが、1900年には3.56人になった。これだけを見ても、アメリカの主婦の生活は楽になったと言われる。しかし、筆者は違うという。農業時代の家事は男女で担っていたが、工業化は男の家事を外注化し、男を給料稼ぎにした。そのため、男は家から抜け出したが、残された女にすべての家事が降りかかってきた。ここで家事は「女の仕事」になったという。
  1840年頃ストーブが普及すると、シチュー鍋だけの料理がすたれ、食卓のバラエティが豊かになった。これによって食事の準備とストーブの掃除が発生し、女の仕事はかえって増えた。

  工業化は、彼女たちの家庭に多くの新奇なものをもたらし、たぶん生活水準を全体として向上させた。 しかし、彼女たちは依然大変な量の辛い労働をしなければならなかった。非常に貧しい女やフロンティアの最前線地域に住んでいる女を例外として、 19世紀末の米国女性は、古い時代の彼女らの母や祖母よりも、バラエティに富んだ食事をし、寒さに苦しまず、家は広くて調度もととのっていて、身体と衣服をきれいに保っていた。 これらの改善にともない、家事労働の日常のパターンは大きく変わった。 しかし、これにより女の毎日の仕事が軽くなったわけではない。このような家庭労働の変化は、成人の男と子どもたち(男の子も女の子も)が家事をしなくてよいように進行した。 まき割りも水汲みも不要になり(後略)P67

   かつては多くの家で家事見習いと称して、女中を雇っていた。それが女の仕事を助けていた。 しかし、工業化が進むと、若い女は家事見習いをきらって工場へと働きにでた。女中が掃除や洗濯をしていたが、電気掃除機を使うのは主婦である。 電気洗濯機を使うのも主婦である。冷蔵庫が普及して配達や出前がなくなって、主婦が自分で車を運転して買い物に行かなければならなくなった。

   (マルクス主義フェミニストのいう資本主義と家父長制が男性支配の原因だという)この説は、子どもたち、男性、企業家がなぜ単一家族家庭を維持しようとしたかを説明できるけれども、 どの世代でも数百万人の女たちがなぜ結婚して子どもをつくる道を選んだか、彼女たちがなぜ主婦となって住居とその器具を買うのに協力したかを説明できない。 資本主義と家父長制が女を「女の居場所」に押し込めたというのが本当ならば、資本主義と家父長制は、暴力と恐怖というよくある手段を使わずに、 世代から世代へと数百万の女たちが自らを抑圧するように仕向けたことになる。もしそうならば、女は、階級として、とんでもなく愚かであるか、非常に保守的であるかである。 この結論は歴史と反するし、ひどい反フェミニズムでもある。P157

  人々は、自分の住居に家族と一緒に住むことを好み、自分の子どもを育て、決まった時間に家族と食事をし、自分の好みで住居を飾り、 自分の趣味の服を着て、仕事の道具は自分で選ぶ。もし選択の余地があれば、たいていの人は自分のプライバシーと自治が増大するように動く。 すなわち、干渉されないで眠り、食べ、 セックスをし、子どもをしつけ、体と衣服を洗いたいのである。 自分が選んだ相手である家族と長期にわたって気持ちを通わせあう関係を、自分たちだけで築きたいのである。(中略)
 19世紀にいくつかの物質的・文化的条件によって形成された社会的仕組みである。この仕組みは、私たちの個人および集団としての意識に深く根ざしており、 20世紀に生じた大きな変動にもかかわらず強固に残っている。P159

  筆者の言うことは納得できる。女が(男も)個別的な家庭生活を好んでおり、共同炊事や共同育児を好んでいない。 共同保育や共同炊事の実験も、各地で挑戦されたが皆ながつつきしなかった。男も女もプライバシーのある生活をのぞみ、男女の営みも個別の家庭で行いたいのだ。 ピンとしたシャツを着たいし、床もきれいにしたいと望んでいる。これを否定できないのは歴史が証明している。

 主婦を支配している規則の多くは自覚されていない。だから、19世紀にできた意味が不明な規則を自覚して、意味のある規則だけを残せば女の仕事は減るだろ、と筆者は言う。 工業社会が男だけに賃金を支払い、女を家庭に取り残した。工業社会で男女差は拡大したのだと、筆者に同意する。 それにしても、資本主義と家父長制はひどい反フェミニズムだという。このあたりが翻訳が見送られた理由だろうか。       (2022.8.28)
 
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参考:
伊藤友宣「家庭という歪んだ宇宙」ちくま文庫、1998
永山翔子「家庭という名の収容所」PHP研究所、2000
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003
光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997
ミシェル・ペロー編「女性史は可能か」藤原書店、1992
マリリン・ヤーロム「<妻>の歴史」慶應義塾大学出版部、2006
シモーヌ・ド・ボーボワール「第二の性」新潮文庫、1997
亀井俊介「性革命のアメリカ」講談社、1989
イーサン・ウォッターズ「クレージ・ライク・アメリカ」紀伊國屋書店、2013
エイミー・チュア「Tiger-Mother:タイガー・マザー」朝日出版社、2011
清泉 亮「田舎暮らしの教科書」東洋経済新報社、2018
柴田純「日本幼児史」吉川弘文館、2013
黒川伊保子「妻のトリセツ」講談社α新書、2018
先崎学「うつ病九段」文藝春秋、2018  

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