匠雅音の家族についてのブックレビュー    江戸のアウトロー−無宿と博徒|阿部昭

江戸のアウトロー  無宿と博徒 お奨度:

著者:阿部昭(あべ あきら)−講談社、1999年、  ¥1700−

著者の略歴−1943年栃木県生まれ。東京教育大学文学部日本史学専攻卒業。現在、国士館大学教授。専攻は日本近世史。主な著書に、「近世村落の構造と農家経営」文献出版、「下野の老農小貫万右衛門」下野新聞社。論文に、「近世村落の変質」:「日本村落史講座7生活2近世」雄山閣などがある。
 無宿のことを、本書ではアウトローと呼んでいる。
今日考えると、無宿とは宿無しの意味であろう。
しかし、身分秩序の確立していた江戸時代には、今日とは少し違った意味があった。
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 江戸時代の民衆の生活では何をやるにも、まず家長の了解のもと、町村の役人や組内・親族などから保証人を立て領主の承認を受けて、はじめて一つの行為が社会的有効性を発揮する、そういう身分社会のシステムができあがっていた。
 これはかなり面倒な拘束であるが、一面、それによってはじめて、その人間の立場が、領主と町村の双方から保護されることも見逃せない事実である。
 しかし、無断で町や村を抜け出し人別帳から名前が消されると、そういう社会システムから、すべてドロップアウトして、身分の拘束も受けないが、一切の保護の枠外に出されることになる。それが無宿(帳外れ)というものである。P275


 私たちはどうしても今の生活をもとにして、他の時代や地域の生活を想像しがちである。
そのため無宿というと住所不定だからと、やくざや博徒または犯罪者を思い浮かべる。
そして、時代劇などによってだろうが、無宿者は義賊かとも思う。
しかし本当の話、無宿は様々な人たちから成り立っており、一様にとらえることはできない。

 人別帳からはずれる理由は、いろいろとあった。
1. 罪を犯して、帳外れにさせられる。
2. 博徒など自由人を標榜して、帳外れになる。
これ以外にも、
3. 生活苦から村をでて、都市に向かう。
4. 脱藩した浪人や遊行する僧侶など
といった人たちも、無宿だった。
つまりやくざや博徒に限らず、江戸の身分秩序である人別帳に、記されていない人がすべて無宿である。

 身分秩序といってすぐに思い浮かぶのは、士農工商といった秩序である。
それ以外にも、非人と呼ばれる賎民がいたことに思い至る。
しかし、非人はここでいう無宿とは限らない。
                              
 近年、江戸時代の賎民制研究はとみに進展を見せてきた。その過程で「えた」−非人関係を軸に編成される江戸の賎民組織は、江戸初期から身分制度として確立していたわけではなく、幕藩体制の進展とともに、およそ元禄・享保期以後に、ようやく身分組織として確立し、固定されるようになったことがあきらかにされた。
 江戸を中心とする関八州の賎民組織は、「えた」が戦国大名の皮革統制に身分編成の契機を有するとされているのに対し、非人は社会から疎外され、食い詰めてあふれ出た浮浪の貧民を源流としていると考えられている。貧窮民は身分制社会のどのような歴史的段階からも発生してくるものであるが、中世から近世社会への移行過程もその例外ではなかった。P106


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 江戸中期になると非人小屋ができはじめ、非人身分の編成が次第に固定されるようになる。
賎民組織は、浅草の「えた頭」弾左衛門の支配下に組み込まれ、幕府公認の職業に就くようになる。
もちろん、公認された職業が世襲化されて、差別の固定化につながっていくのだが、非人=無宿ではなく、非人という登録を受けたものになる。
つまり人別帳外ではなく、非人として帳内に近い扱いとなる。

 物乞い・袖乞いを生業として行うことは非人の特権であり、賎民組織の支配下にある者の行為である。天災・飢饉に際し、野非人(無宿)が大量発生し、物乞い・袖乞いを行う者が急増することは、購民組織との摩擦を引き起こし、非人制道の対象とされる。江戸時代は、窮民が取りすがる、最後の手段さえも身分制のなかに取り込み、非人の特権とすることで、野非人(無宿)を身分制のなかに吸収、再編成することを指向していたのである。P152

 商品経済の浸透は、幕藩体制を徐々にむしばんでいった。
それまでの農耕生活では、生計が成り立たなくなっていった。
それは身分秩序からこぼれ落ちる人、つまり無宿の増加となってあらわれた。
百姓一揆は目に見える反体制運動だったので、幕府のそれへの対応は比較的容易だった。
しかし、村や家から音もなく離脱していく無宿の発生は、支配者たちには掌握しがたい動きであり、より頭の痛い問題だった。

 本書は、無宿を単なる無法者とは見ない。
むしろ幕府が成熟していく過程で、封建支配体制の軋みが、必然的に生み出した法の外の人ととらえる。

 身分制の論理からいえば、「異端」でありながら、江戸後期の経済文化の流れのなかでは、それなりの「実在感」を持ち、少しも異端ではない民衆意識の存在もあったのではないだろうか。
 そうした動きのなかに、江戸時代後期に固有な民衆文化の流れの一つがあるとすれば、同時代に大量に発生した無宿の社会的存在も、まさに、そうした社会現象の一環と見なすことができる。
 動機はいろいろあるにしても、無宿はそれまで属していた環境(人別・身分)から抜け出し、居所と生業を変え、年貢諸役の負担もろくに果たさぬ行動に出る。それは、分を守り生業に力を尽くし、先祖伝来の家を相続して生きてゆくという、幕藩制社会が民衆に期待していた通俗道徳の世界とは、基本的に相容れない生き方である。P258

 土地のうえに成り立つ農業に、支配の基盤をおいていた江戸時代。
土地が固定したものだったので、当時の人間関係も固定的な身分秩序だった。
しかし、それが商品経済という、流動的な時代に入り始めるやいなや、人間関係も流動化を始めたのである。
固定的な身分関係から脱して、流動的な人間関係への変化が、無宿者の大量発生だったと理解できる。

 無宿の発生とは、今日、工業社会から情報社会への転機に、多くの失業が発生するのと同じ問題であろう。
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参考:
松原岩五郎「最暗黒の東京」岩波文庫、1988
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000
M・ハリス「ヒトはなぜヒトを食べたか」ハヤカワ文庫、1997
早川聞多「浮世絵春画と男色」河出書房新社、1998
氏家幹人「大江戸残酷物語」洋泉社、2002
福田和彦「閨の睦言」現代書林、183
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999年
佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年
佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995

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