著者の略歴−1928年広島に生まれる。1952年東京大学法学部政治学科卒業。現在、明治大学政治経済学部教授。専攻、政治思想史、宗教改革史。著書『異端と殉教』、編著『宗教改革と都市』、編訳書『宗教改革急進派』、訳書『カール・マルクス』などがある。 人はユートピアを求めるものだ。 しかし、ユートピアはどこにもない。 社会主義ユートピアと宗教ユートピアがあったが、社会主義ユートピアはすべて消滅した。 ユートピアの実現を目指した運動は、どこでもことごとく破綻している。 北朝鮮は言うまでもなく、武者小路実篤の「新しき村」は現在でもあるが、存続がなかなか難しいのが現実である。 アメリカはヨーロッパから自立を夢見て渡米した人が多いせいでか、とりわけユートピア実現の運動が多かった。 とりわけ悲劇的な結末に終わった「ガイアナ人民寺院」などを想像して、ユートピア運動には否定的な気持ちになりがちである。 本書はジョン・ノイズによって率いられたオナイダ・コミュニティの栄枯盛衰を描いたものである。 通常の家族は一夫一婦制を守っており、配偶者とだけセックスを行う。 配偶者以外とのセックスは不倫とか姦通と呼ばれて、良くないことだとされている。 しかし、一夫一婦制は性を固定的な関係に閉じ込めて、人間の本能を抑圧するものだという批判が古くからあった。 だからというわけではないが、1811年生まれのジョン・ノイズに率いられたオナイダ・コミュニティは、一夫一婦制を否定し、複合結婚をしたことで有名である。 彼らは2つの社会原理をもっていた。 第一は財産の共産主義つまり共有である。 第二の社会原理は情愛の共産主義だった。 第二の原理を地上に実現するには、次のように考えられた。 彼(ジョン・ノイズ)にとって性交それ自体は自然な行為で飲食と同様恥ずべきものでほない。いやそれどころか、愛という崇高な目的に奉仕する。神はそのためにこそ男女の性器を作られたのだから、それを使用しなければならない。 さらにノイズは1846年ごろになって、性交に按手と同じような神の生命の霊を媒介伝達する機能を認めた。按手礼とほ聖職者を叙任するとき、上位の聖職者が彼の肩に手を置いて、神から発し教会ヒエラルヒーを通じて流れてくる霊能を伝達する儀式であるが、性交は「按手よりもっと密接で完全な接触であり、効果はより大きい。かかる原理に基づいて性交は本質的に按手の最も完全な方法であり、適切な状況下では生命を肉体に、いやさらに神の霊を精神と心に伝える最も強力な外的手段である」。P59 性交は神の霊の媒介手段だから、神に近い高位者によって性交を行うべきだというのだ。 セックスには生殖機能と愛の機能があり、愛の機能こそ賛美されるものだった。 当初、スワッピングが行われたが、やがて複合婚へとすすんでいく。 財産の共産制をとるユートピアはたくさんあったが、性関係を固定しないユートピアは少ない。 そのうえ、複合婚は好色的な集団と見られやすい。 しかも、複数間でセックスを行うと、生まれてくる子供の親が特定できなくなる。 また、セックスには愛と快感がつきものだから、嫉妬心が混じってくることは防ぐのが難しかった。 オナイダ・コミュニティでは乱交を行ったのではない。 メイル・コンティネンスという留保性交を考え出した。 留保性交とは女性にだけオルガスムを与え、男性が射精せずに自制するというものだ。 つまり訓練された男性が若い女性相手にセックスをするが、男性は挿入するだけで射精をしないという。 これを神の与える愛の儀式であり、霊的な交流を地上で実現するものだとしたのである。 メイル・コンティネンスによって望まぬ妊娠は避けることができた。 メイル・コンティネンスによって女性は何度もオルガスムを得た。 しかし、それは男性器によって操作されているものであり、男女が共に楽しむものではない。 若者は射精をコントロールできず、留保性交ができるのは高齢者になった。 高齢男性が男性器の挿入具合を調節しながら、女性にオルガスムを与えることによって、セックスをつうじて女性を支配し始めたのである。 当時の社会における男女関係は、男性支配も甚だしかった。 <すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストかしらは神である>というコリント人への手紙がそのまま実践されていた。 また、庶民たちは男女ともに厳しい肉体労働に従事し、ましてや女性には教育も与えられず、男性より劣位に置かれ続けたのである。 そのため、セックスをつうじての女性支配も必ずしも女性に忌避されたわけではない。 しかし、後年、教祖だったノイズからの呪縛が解けると、次のような声があっていた。 メイル・コンティネンスを挺子とする複合婚は、人間のセックスの最重要機能を否定したいわば不完全なセックスであった。モリスがいうセックスの十の機能のうち、生殖セックスとつがい形成・維持のセックスは否定され、文明の高度化とともに極度にまで拡大されていったいわば人工的セックスの機能、すなわち探険的、純粋エロチシズム的、退屈療法的、支配従属的機能にだけ極限されたのである。 宗教的ファナティシズムから脱しだした時、若い娘たちが真に欲したのは、ヴアラエティに富んだ多夫の御馳走ではなく、ジェシーの夫のマイロンのようなただ一人の誠実で有能で達しい男との燃えるようなセックスとそれに基づく三人の子の出産、そして死ぬまで変らぬ夫婦の濃やかな情愛であった。P177 筆者はオナイダの女性は解放されたかという節を立てている。 日々汗を流して厳しい労働にたずさわっていた農民や職人の妻たちからすれば、オナイダ・コミュニティは天国のように見えたかもしれない。およそ活字に接したことがない彼女たちが、新聞を読み、時事解説を聞き、世界への視野を開かれていった。ノールドホフのようなインテリからすれば、ここは知的刺激のない単調な生活の繰り返しに見えるが、彼女たちからすれば興味津々として倦きることのない世界に思えたかもしれないのである。 次に、生活が安定していた。もう日々家計をやりくりする苦労をしないですむのだ。苦汗労働や煩瑣な家事育児労働もなくなった。次々と訪れる妊娠出産の恐怖からも解放された。性的快楽も十二分に与えられた。数えあげればきりがないほど、コミュニティが女性たちに与えたプラスの面は大きい。
だが他方、そのためには、愛する者と暮し、その子を育てるという女としての、また母としての喜びや楽しみを捨てなければならなかった。その代りにコミュニティという抽象物を愛するようにさせられた。具体的には申込んでくるどの男とも寝る義務であり、コミュニティの所有に帰する子を生むことである。P209 宗教的なユートピアは教祖の力が衰えてくると、崩壊の運命に直面する。 オナイダもノイズが老年になってくると、彼の威光が衰えて崩壊に向かった。 オナイダは経済的な基盤を確立したので裕福になったが、こうした共産制にもとづくユートピアに暮らすことは、人間にとって幸福なのだろうか。 貧しい時代にはユートピアの実現を夢見て、厳しい規律のもとで生活できるが、豊かになるとユートピアを実現する内的な必然性が失われてくる。 どうも、それが多くの現実のようである。 (2014.4.16) 感想・ご意見などを掲示板にどうぞ 参考: J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957 下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993 ジョン・デューイ「学校と社会・子どもとカリキュラム」講談社学術文庫、1998 伊藤友宣「家庭という歪んだ宇宙」ちくま文庫、1998 永山翔子「家庭という名の収容所」PHP研究所、2000 イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」 筑摩書房、1994 江藤淳「成熟と 喪失:母の崩壊」河出書房、1967 田中美津「いのちの女たちへ」現代書 館、2001 末包房子「専業主婦が消える」 同友館、1994 梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、 1988 ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジ ンズ、2002 まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワー クス、2001 ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」 大和書房、1965 シンシア・S・スミス「女は結婚すべ きではない」中公文庫、2000 水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979 フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書 店、1993 細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、 1980 サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」 思索社、1982 赤松良子「新版 女性の権利」岩波書 店、2005 マリリン・ウォーリング「新フェミニスト 経済学」東洋経済新報社、1994 ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」 平凡社、1992 清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002 モリー・マーティン「素敵なヘルメット」 現代書館、1992 R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の 水書房、1987 荻野美穂「中絶論争とアメリカ社 会」岩波書店、2001 山口みずか「独身女性の性交哲学」 二見書房、2007 田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、 2000 ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、 1952 スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、 1994 杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、 1994 ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」 中公新書ラクレ、2009 斉藤美奈子「モダンガール論」文春文 庫、2003 エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」 草思社、1997 奥地圭子「学校は必要 か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992 フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980 伊藤雅子「子どもから の自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975 ジェシ・グリーン「男 だけの育児」飛鳥新社、2001 熊沢誠「女性労働 と企業社会」岩波新書、2000 ミレイユ・ラジェ「出産の社会史 まだ病院がなかったころ」勁草書房、1994 信田さよ子「母が重くてたまらない」春秋社、2008 匠雅音「核家族か ら単家族へ」丸善、1997 ミシェル・ペロー編「女性史は可能か」藤原書店、1992 マリリン・ヤーロム「<妻>の歴史」慶應義塾大学出版部、2006 ジャーメン・グリア「去勢された女」ダイヤモンド社、1976 シモーヌ・ド・ボーボワール「第二の性」新潮文庫、1997 亀井俊介「性革命のアメリカ」講談社、1989 信田さよ子「父親再生」NTT出版、2010 倉恤ス「ユートピアと性」中央公論社、1990
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