著者の略歴−1960年、香川県生まれ。精神科医、作家。医学博士。東京大学哲学科中退。京都大学医学部卒。京都大学大学院医学研究科修了。長年、京都医療少年院に勤務した後、岡田クリニック開業。現在、岡田クリニック院長。山形大学客員教授。パーソナリティ障害、発達障害治療の最前線に立ち、臨床医としで人々の心の問題に向かい合っている。主な著書に『パーソナリティ障害』(PHP新書)、『悲しみの子どもたち』(集英社新書)、『脳内汚染』(文春文庫)、『アスペルガー症侯群』『発達障害と呼ばないで』(共に幻冬舎新書)、『愛着障害』『回避性愛着障害』(共に光文社新書)などベストセラー多数。 本サイトは今までも、信田さよ子の「母が重くてたまらない」とか、斉藤環の「母は娘の人生を支配する」といった本を取り上げてきた。 家族には親子関係がきわめて重要だと考えるからだ。 母と娘に限らなければ、原田純の「ねじれた家 帰りたくない家」も親子関係にかんして考えるときには、必読の本だと思う。 親子が対立すると、巷間では親サイドからの見方が多く、親に味方する意見が主流だろう。 それは当然だろう。 誰でもが親から生まれてきたからだし、多くの大人が親になったからだ。 しかし、親にならない大人がたくさん登場してくると、遅ればせながら、子供のほうから親を見る眼も市民権を得てきた。 ほんとうに遅ればせである。 子供は親がいなければ育たない。 どんな子供も親を求める。 しかし、どんな親も子供を求めるとは限らない。 思春期になって、親殺しに発展する事件はあるが、小学生が親を殺したという事件はない。 子供がいなくても親は生きていけるが、子供は親の愛情がなければ、生きていくことができない。 親が子供に愛情を注ぐから、乳飲み子の時代から、幼年期へと成長できるのだ。 本書は母親と子供の関係を考察したものである。 いつも一緒にいて、いつも撫でられたり、世話をされたりして育った子どもは、いつも自分を愛してくれる存在がいて守られているという安心感を手に入れる。 それは、心理的のみならず、生理的な体質とも結びついていて、母親との絆が安定している人では、ストレスにも強く、うつにもなりにくい。 だが、そんな幸運な人ばかりではない。 生まれて間もない時期に、母親から短期間離されるだけでも、脳の構造に違いが生まれる。ましてや、長期間そばにいなかったり、母親が何かの事情で、抱っこや世話をあまりしなかったりすれば、その影響ははかりしれないほど大きい。 その子は、一生、不安におびえ、人といることになじめず、ストレスに敏感で、自信がもてないなどの生きづらさを引きずることになる。P20 精神科医の筆者は、乳幼児期の母親の役割を上記のように記す。 たしかに母親が慈しんでくれる行為は、子供を安心させゆったりとした気分にさせてくれる。 だから、年子で下の子供が生まれたりすると、上の子供は愛情を奪われたように感じるのだろう。 それは昔から言われてきた。 親子間の話は、単に家庭内の問題だけではなく、社会的な世代の問題が絡んでいる。 今までの主流な文化であった農業では、高齢者の知恵がきわめて大切だった。 加齢が経験を支え、経験が知恵を得させたのだ。 だから、高齢者が無条件に偉いのであり、若年者は黙って高齢者に従うこととされた。 つまり親の言うことは絶対だった。 それが子育てにも反映されていた。 年齢秩序の支配した農業社会なら、それでも子供は問題なく育った。
子供にも人格があるから、子供を認め、子供の主張にも耳を傾ける必要がでてきた。 もはや親は絶対ではなくなった。 しかし、長い間にわたって続いた年齢秩序は、無意識のうちに多くの人の心に住み着いている。 だから親は子供を認めるより、良かれと思って好意で親の生き方を押しつけようとする。 <母という病>を抱えた人が増えている、と筆者はう。 母という病とは、母親に充分に愛されずに幼年時代を送ったことから、自分に自信が持てず、人間関係に悩んでしまう病状だという。 母親が虐待している自覚もなく、日常的に精神的な虐待や心理的な支配をしていることから、母という病から逃れられなくなってしまう。 母という病にかかると、下記のような症状になってしまう。 親に認められない自分をダメな人間だと感じ、知らずしらず自己否定にとらわれてしまうことも多い。そんな自分を罰するかのように、自分を損なう行為に耽る人もいる。中には自分を否定してきた親に対して、仕返しや復讐をしようとする人もいる。その仕返しは、直接親を攻撃し痛めつけることによる場合もあるが、むしろ自分自身をダメにし痛めつけることで、間接的に親に痛みを味わわせようとすることの方が多い。 自分を認めない親を否定し、自分の人生から切り捨てることで、どうにか自分を保とうとする場合もある。だが、母親と距離をとり、顔を合わせないようにしている場合でさえも、心の安定が守られているわけではない。P24 高度経済成長期の子育てでは、子供を褒めろとは言われなかった。 褒めて育てることは子供を甘やかすことだと考え、むしろ厳しく対応することが良いとされてきた。 しかし、実は戦前、庶民の親たちは子供を褒めていた。 時代を遡れば遡るほど、我が国の子育ては、子供を褒めて、甘やかすことだったと言っても過言ではない。 アリス・ベーコンの「明治日本の女たち」やR・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」などを読むと、それがよくわかる。 生まれたばかりの子供に対して、親を始め祖父・祖母たちは、可愛い可愛いといって抱き上げてきた。 それが古来からの子育てだった。 抱き癖がつくなど言い出したのは、高度経済成長期以降のことなのだ。 農業社会から工業社会へと転じて、身分制が崩れて庶民も出世ができるようになった。 立身出世を目指すここで、子育てが歪み始めた。 核家族が普通になり、女性の仕事が家庭内に閉じ込められて、男性だけが職場に通う。 ここで親が社会的な上昇指向性をもてば、子供に特別な生き方を強制することになる。 子供は幸せになって欲しいと、愛情をもって叱咤激励する。 子供の可愛さをそのまま受け入れるという時代ではなくなった。 乳幼児の頃から、英才教育が施されていくようになった。 母親が職場で働きだし、オキシトシンという母性ホルモンに従いにくくなった。 子供との接触が少なくなり、母親自身の仕事や楽しみを優先するようになった。 母親の不在や母性の欠如が、<母という病>をもたらすことになった、と筆者は言う。 一見するとこの認識には疑問を感じるが、母親が生物的な子育てから離れてきたという意味では、信田さよ子や斉藤環が言うのと表裏の関係にあるだけで同根なのだろう。 子供はどんな時代でも、人格を持っていることに変わりはない。 とくに母親との関係は、心理的なレベルを超えて、生理的、神経的、身体的なレベルにまで影響を及ぼす、と筆者は言う。 そうだろうと思う。 小さな時に受けた扱いは、脳構造にしみこんで、一生を左右するだろう。 本書は母親との関係を考えているので、父親の話はあまり登場しない。 しかし、父親を無視して子育てが成り立つとは思えない。 悪影響を大きくしたのは、裕人の母親が父親への不満を、息子に嘆き続けたことだった。そうしたことを聞かされることは、母親に対して、不安や憐みを感じるだけでなく、父親に対して不信感や批判を抱くことによって、どちらに対しても安定した愛着が保てなくなってしまう。つまり、この母親の行動は、結果的に、父母双方との関係を損なったと言える。 受動的であるのにかかわらず、否定的なことばかりを口にするタイプの母親をもつと、子どもは否定的な考えにとらわれ、ストレスや不安を感じやすくなるだけでなく、周囲の人との関係にもネガティブな先入観を抱きやすく、上手に相談したり甘えたりができなくなる。P168 父親との関係は「父という病」で考察するので、あまり立ち入らないが、母親が父親の悪口を言い続けると、子供は両親ともに頼れなくなるのは事実だ。 それでも、子供は親との関係を修復しようとするし、親を許そうとする。 親より子供のほうが、ずっと強く親のことを思っている。
親が子供を思うよりも、子供のほうが親のことを思っている。 それでなくては、子供は育つことができないのだ。 父の恩は山より高く、母の恩は海より深いというが、子供の恩は遙かに高く深いものだ。 躾という言葉で、子供に厳しい対応が許された時期があった。 しかし、それは性別役割分業の核家族の時代のものだ。 不幸にして厳しく育てられた子供は、心に母という病や父という病を持っている。 農業に生きるという自然から離れた人間は、自然のまでは子育てもできなくなってしまった。 自然を外れた親に育てられた子供は、母という病や父という病を患って一生を送る。 この病を癒やすには、何事にもポジティブに反応する癖を付けることだという。 そして、笑顔を増やす努力をすることだという。 これは名言だと思う。 (2014.5.7)
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