匠雅音の家族についてのブックレビュー    「家族」難民−生涯未婚率25%社会の衝撃|山田昌弘

「家族」難民
生涯未婚率25%社会の衝撃
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著者:山田昌弘(やまだ まさひろ)    朝日新聞出版 ¥1600 2014年

 著者の略歴−1957年、東京生まれ。1981年、東京大学文学部卒。1986年、東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。現在、中央大学文学部教授。専門は家族社会学。学卒後も両親宅に同居し独身生活を続ける若者を「パラサイト・シングル」と呼び、「格差社会」という言葉を世に浸透させたことでも知られる。「婚活」という言葉を世に出し、婚活ブームの火付け役ともなった。主な著書に、『近代家族のゆくえ』『家族のリストラクチェアリング』(ともに新曜社)、『パラサイト・シングルの時代』『希望格差社会』(ともに筑摩書房)、『新平等社会』『ここがおかしい日本の社会保障』(ともに文芸春秋)、『迷走する家族』(有斐閣)、『家族ペット』(サンマーク出版→文春文庫)、『少子社会日本』(岩波書店)などがある。
 パラサイト・シングルなどキャッチーな言葉を生み出す人で、本書の家族難民という書名もなかなかに思わせるものがある。
現代日本では家族が個人のつながりを支えている。
そのため、−自分を必要とし大切にしてくれる存在がない人たち−のことを「家族難民」と呼ぶのだそうだ。

 人は1人で生まれ1人で死んでいく。

そういった意味では、家族がいても1人は1人である。
しかし、1人は家族の中に生まれるのであって、突如1人がこの世に誕生するわけではない。
家族は最初の人間的な関係である。
そして、子供は誰かが世話をしないと成長できない。
多くの場合、その誰かとは家族であろう。

 シングルという場合、父や母、もしくは子供と言った世代の上下を言うのではない。
配偶者もしくは恋人といった、横の関係がないことを言うことが多い。
本書も冒頭で、配偶者がいない人、つまりシングル(単身)と呼ばれている人が増えている、と言っている。

 筆者はシングルでいることに対する価値判断はしないと断っている。
しかし、生涯未婚率が25%という副題から見ても、シングルの増加を肯定的に捕らえているとは言いがたい。
筆者の問題と考える点は、シングルが増えることによって、若者が減って社会を支える労働力が減少してしまうことだろう。
結局、それが本書を貫く主題である。

 日本とアメリカではシングルの意味が異なるといっている。
日本では恋人がいても、結婚していなければシングルだが、アメリカでは未婚であっても、恋人がいない人をシングルと呼ぶのだそうだ。
アメリカに限らず、法的な婚姻制度が崩れ、同棲や事実婚がふえている。
各国ではそれを法制度が追認するように変わってきた。

 我が国では、性別役割分業にしたがった婚姻制度を変えようとしない。
そのためか、事実婚や同棲している人たちは2%だという。
西洋諸国が50%くらいあるのに対して、きわめて少ない数字である。
我が国の社会制度は核家族中心であるが、西洋諸国では多くの社会制度が個人単位になっているため、シングルであっても大きな問題にならないという。

 核家族を頑として守る我が国だからこそ、さまざまな社会的な歪みが生じていると言わざるを得ない。
本書が言うのも、シングルが増えると子供が減ると言ったことであって、それを問題だととらえている。
しかし、子供が減るのは、シングルが増えるからではないと、当サイトは考えている。

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 さらにいまは、子どもの教育が終わって成人しても、なかなか就職できない状況が広がっています。教育費だけでもたいへんな額なのに、学卒後の子どもの面倒まで見なければいけないとなると、親にのしかかる負担はさらに増えていきます。いまの若い人たちは、そのような負担に苦しむ親の姿を間近で見ているので、ますます子どもをたくさんもつ意欲を失っているでしょう。
 このようにいまの日本は、人が人生を全うするために必要なものを、経済的にも心理的にも家族にすべて押しつけています。そのプレッシャー、あるいは不安から、結婚を躊躇したり子どもをつくることを控えるカップルも多いのです。
 社会保障が個人単位であれば、関係する家族の面倒を全面的に見なければいけないという重圧から多少は解放されるはずです。さらに、子どもが高校卒業後、高等教育の費用という経済的負担を少なくとも負わなくて済むということになれば、結婚や出産のハードルが低くなり、家族をつくろうとする人も増えてくるでしょう。P122

と筆者は言う。

 シングルに関して価値判断しないと言いながら、やはり価値判断をしている。
問題は筆者もいやいやながら認識しているように、核家族が社会制度の中心になっていることなのだ。
親の老後を見させるという、古い子供の役割はすでに命脈が尽きている。
にもかかわらず、核家族から離れることができない。

 核家族は明治になってできたものだし、夫婦同姓だって明治になって定まったものだ。
夫婦同姓が明治に始まったことは筆者も記している。
にもかかわらず、筆者は次のように言う。

 シングル化の問題も同様です。従来型の家族になれるように結婚や出産を促す対策を取りながら、一方では標準家族の枠組みの外にいる人も同じように安心して暮らしていけるようにする。この両方が必要なのです。
 保守系の人は伝統的家族の再構築こそ重要だと主張して、逆にリベラル系の人は一人で生きていける仕組みの構築こそ大切だと説きます。しかし、シングル化によって孤立する人を減らしたければ、両方の対策が必要です。どちらが重要なのかと不毛な論争をしている場合ではありません。ここは、ぜひ強調しておきたいところです。
 イデオロギーを振りかざしても、家族難民の人たちは救われません。現実に、伝統家族からこぼれて孤立し貧困に陥っている人々が増えている一方で、伝統的な結婚をしたいという人たちも確実にいるのです。どちらかに偏ることなく、親方に目配りしたバランスが取れた政策対応が必要です。P157

 いかにも口当たりの良い発言だが、家族制度の基本をどう設計するかという問題であって、両方とも良いという話ではない。
個人は家族より根底的な概念で、個人単位の制度設計にしても、家族を否定することにはならない。
しかし、家族単位の制度になっているから、個人が弾き出されてしまっているではないか。

 筆者は現実をよく見ていると思う。
現実を知っているが故に、歯切れが悪いのかも知れない。
しかし、現実にシングル指向の人と核家族指向の人がいるから、両方に対応すべきだというのは何も語ったことにならない。
子育ての楽しさを妨げる制度があるから、子供が減るのだし、それが核家族という制度に由来しているのだ。

 巻末で久保田裕之と対談してしているが、その中で次のように批判されている。
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 家族は100%頼れる存在だと信じるのは、まさに家族という「神話」を信じているわけですよね。山田さんは「家族神話によって安心できることが重要」とおっしゃつていると思うんですが、僕はむしろ家族神話を解体していかなければいけないと考えています。だつて実際に、家族は100%頼れる存在ではないわけですから。P202

 それに対して、筆者は次のように返答しているが、こうした姿勢が現状を固定させている。

 私も、いずれは、神話に頼らなくていい時代になれば理想的だと考えていますよ。P202

 家族神話に頼らなくてすむ社会制度をどう作っていくか、それが問われているのである。
にもかかわらず、筆者のように理想だと答えてしまっては、核家族温存派と何ら変わるところはない。

 筆者にこうした日和見的な姿勢があるから、政府の審議会委員に呼ばれたりするのだろうし、大マスコミから安心してお呼びがかかる原因なのだろう。
筆者がこの位置にいる限り、現状維持でしかない。
    (2014.6.2)
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参考:
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
ジョン・デューイ「学校と社会・子どもとカリキュラム」講談社学術文庫、1998
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
高倉正樹「赤ちゃんの値段」講談社、2006
デスモンド・モリス「赤ん坊はなぜかわいい?」河出書房新社、1995
ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」早川書房、2000
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997
ウルズラ・ヌーバー「<傷つきやすい子ども>という神話」岩波書店、1997
編・吉廣紀代子「女が子どもを産みたがらない理由」晩成書房、1991
塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
ピーター・リーライト「子どもを喰う世界」晶文社、1995
ニール・ポストマン「子どもはもういない」新樹社、2001、
杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980
矢野智司「子どもという思想」玉川大学出版部、1995  
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年
赤川学「子どもが減って何が悪い」ちくま新書、2004
浜田寿美男「子どものリアリティ 学校のバーチャリティ」岩波書店、2005
本田和子「子どもが忌避される時代」新曜社、2008
鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001
小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
リチヤード・B・ガートナー「少年への性的虐待」作品社、2005
広岡知彦と「憩いの家」「静かなたたかい」朝日新聞社、1997
高山文彦「地獄の季節」新潮文庫、2001 
マイケル・ルイス「ネクスト」潟Aスペクト、2002
服部雄一「ひきこもりと家族トラウマ」NHK出版、2005
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972
ロイス・R・メリーナ「子どもを迎える人の本」どうぶつ社、2005
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年
イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」筑摩書房、1994
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
芹沢俊介「母という暴力」春秋社、2001
編・吉廣紀代子「女が子どもを産みたがらない理由」晩成書房、1991
信田さよ子「父親再生」NTT出版、2010
山田昌弘「家族難民」朝日新聞出版、2014

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