匠雅音の家族についてのブックレビュー     江戸の下半身事情|永井義男

江戸の下半身事情 お奨度:

著者:永井義男(ながい よしお) 2008年 祥伝社  ¥760−

 著者の略歴−1949年生まれ。東京外国語大学卒業。作家。1997年、『算学奇人伝』で第六回開高健賞。豊富な資料に裏打ちされた時代小説に定評がある。著書に『影の剣法』『辻斬り始末』『示現流始末』『将軍と木乃伊』『戯作者滝沢馬琴 天保謎解き帳』『図説吉原入門』など。
 江戸本が流行りだが、次のように言う筆者の視点は信頼できる。
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 近年、江戸時代や江戸について、
「江戸時代はゆたかだった」
「女性は自由を謳歌していた」
「江戸の人々はグルメで旬の食材を食べていた」
「江戸の町はリサイクルが行き届いていた」
 などという発言や記述が目立つ。
 なかには、あたかも江戸が理想の楽園だったかのような解説すらある。
 もちろん、江戸時代は暗黒時代だったわけではないが、現代とくらべると生活水準、衛生や医療の水準、教育水準ははるかに低かったし、身分制も強固だった。
 ゆたかさ、自由などについては、あくまで思ったよりゆたかだった、思ったより自由だった。あるいは、ゆたかな一面があった、自由な一面があった、に過ぎない。衣食住のすべてが現代にくらべると格段に貧しかったし、制度では庶民の自由や権利はきびしく制限されていた。
 旬の食材については、冷凍設備や迅速な輸送手段がなく、温室栽培や輸入もなかったため、旬の食材しか手に入れることができなかったことにほかならない。当時の人々は旬の物を毎日食べぎるを得なかった。
 リサイクルにしても、物の値段が高く、人件費が安かったからこそ商売として成り立っていた。江戸の人々にリサイクルの意識があったわけではない。P5

 
当然の指摘ではあるが、前述のような発言が多発しているので、筆者もあらためて言わざるを得ないのだろう。
筆者の意見にまったく同感である。
こうした前提で、江戸人の下半身事情を展開していく。
まず最初は、音についてである。

 日本の木造家屋に防音効果がなく、部屋に鍵がなく、プライバシーが守れないことにイギリス人は驚いている。
 こんな住環境で、夫婦はいったいどういう性生活をしていたのであろうか。
 夫は両親やきょうだいが寝静まったのをたしかめ、妻は舅・姑や小姑の寝息をうかがい、できるだけ音を立てずに…。
 基本は「静かに」である。嬢声をあげるなど、もってのほかであろう。(中略)要するに、息をひそめ、周囲の動向をうかがいながらの性生活だった。P14


とりわけ江戸の庶民は、きわめて狭い家に住んでいた。
ほとんどが長屋に住んでいたので、裕福な庶民でも、せいぜいが6畳に4畳半が良いところだった。
そこに何人が生活していたのかと言えば、5〜6人だろう。
ちょっと貧しく、9尺2間の長屋であれば、4畳半一間である。

 貧しくても止められないのが、セックスである。
むしろ貧しければ、お金がかかる他にやることはない。
貧乏人の子沢山といわれるように、4畳半一間という狭い部屋で、子供と川の字になりながら励むことになる。
そのうえ現在のように安全で確実な避妊法がなかった。

 ことが終わった後の、紙のガサゴソという音にも気をつかった、と筆者はいっている。
しかし、紙は高価だったので、庶民たちはセックスの後処理に紙は使えなかっただろう。
ここには目をつぶろう。
女性はことが終わると、小用に立ったはずである。

 電灯のような照明がなかったので、夜は真っ暗闇だった。
こうした事情を考えるだけで、現代とはずいぶんと違うセックス風景だろう。
まず江戸時代には、全裸でセックスすることはない。
着衣のまま局部だけをだして、手早くすますのが、江戸人のセックスだったと言っていいだろう。

 農村部では屋外でセックスをするので、事情が違うのだが、本書はそれには触れていない。
着衣で交わったのは農村も同じで、それでも女性はよがったし、男性は満足した。
しかし、農村には売春がなかった。
女性が性をお金に換えるほど、裕福ではなかったのだ。

 江戸といえば、売春である。
都市部には売春が溢れていた。
しかも、現代と違って、売春が悪いこととされていなかったらしい。
もちろん身売りされて苦界に身を沈めることになったのだが、自発的に売春婦になったのではないから、とりたてて蔑視されていなかった。
年明けすると、堅気の男性と所帯を持つこともあった。

 当時、庶民のあいだでは、葬式のあとに男が精進落しと称して女郎屋に繰り込むのはごく普通のことだった。冒溝や背徳の意識はまったくないから、人目をはばかることもなかった。あっけらかんとしたものである。
 大一座数珠をとん出すふざけ客
という川柳は、葬式帰りに大勢で女郎屋にあがり、酒宴の場などで数珠を取り出して悪ふぎけをした男がいたのであろう。 
葬式のあとの敬虔さはどこにもない。性は聖だったとはとても言えないであろう。P120


筆者は言及していないが、売春だけではなく、生死観が違ったのである。
死はもちろん悲しい出来事だが、現在のように儀式じみたものではなかっただろう。

 性をめぐる行動は、江戸時代でも大きく変わることはないだろうが、性が置かれた位置が違ったのである。
筆者は具体的な例をいくつも並べて、論を展開していく。
多くは肯首できる話である。
軽い読み物ながら、視点がしっかりしている。
   (2009.1.22)

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参考:
アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000
M・ハリス「ヒトはなぜヒトを食べたか」ハヤカワ文庫、1997
早川聞多「浮世絵春画と男色」河出書房新社、1998
氏家幹人「大江戸残酷物語」洋泉社、2002
福田和彦「閨の睦言」現代書林、183
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999年
佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年
佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995
フランチェスコ・アルベローニ「エロティシズム」中央公論 1991
ジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」ちくま学芸文庫、2001
オリビア・セント クレア「 ジョアンナの愛し方」飛鳥新社、1992
石坂晴海「掟やぶりの結婚道 既婚者にも恋愛を!」講談社文庫、2002
梅田功「悪戦苦闘ED日記」宝島社新書、2001
山村不二夫「性技 実践講座」河出文庫、1999
謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
プッシー珠実「男を楽しむ女の性交マニュアル」データハウス、2002
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984
福田和彦「閨の睦言」現代書林、1983
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1995
アンドレア・ドウォーキン「インターコース」青土社、1989
カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995
シャノン・ベル「売春という思想」青弓社、2001
シャノン・ベル「セックスワーカーのカーニバル」第三書館、2000
アラン・コルバン「娼婦」藤原書店、1991
曽根ひろみ「娼婦と近世社会」吉川弘文館、2003
アレクサ・アルバート「公認売春宿」講談社、2002
バーン&ボニー・ブーロー「売春の社会史」筑摩書房、1991
編著:松永呉一「売る売らないはワタシが決める」ポット出版、2005
エレノア・ハーマン「王たちのセックス」KKベストセラーズ 2005 
高橋 鐵「おとこごろし」河出文庫、1992
正保ひろみ「男の知らない女のセックス」河出文庫、2004
ロルフ・デーゲン「オルガスムスのウソ」文春文庫、2006
ロベール・ミュッシャンプレ「オルガスムの歴史」作品社、2006
菜摘ひかる「恋は肉色」光文社、2000
ヴィオレーヌ・ヴァノイエク「娼婦の歴史」原書房、1997
ジャン・スタンジエ「自慰」原書房、2001
ジュリー・ピークマン「庶民たちのセックス」KKベストセラーズ、2006
松園万亀雄「性の文脈」雄山閣、2003
ケイト・ミレット「性の政治学」ドメス出版、1985
謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960
山村不二夫「性技−実践講座」河出文庫、1999
ディアドラ・N・マクロスキー「性転換」文春文庫、2001
赤川学「性への自由/性からの自由」青弓社、1996
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1996
ウィルヘルム・ライヒ「性と文化の革命」勁草書房、1969
田中貴子「性愛の日本中世」ちくま学芸文庫 2004
ロビン・ベイカー「セックス・イン・ザ・フューチャー」紀伊國屋書店、2000
酒井あゆみ「セックス・エリート」幻冬舎、2005  
大橋希「セックス・レスキュー」新潮文庫、2006
アンナ・アルテール、ベリーヌ・シェルシェーヴ「体位の文化史」作品社、2006
石川弘義、斉藤茂男、我妻洋「日本人の性」文芸春秋社、1984 
高月靖「南極1号伝説」バジリコ、2008
石川武志「ヒジュラ」青弓社、1995
佐々木忠「プラトニック・アニマル」幻冬社、1999
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
村上弘義「真夜中の裏文化」文芸社、2008 
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1994
岩永文夫「フーゾク進化論」平凡社新書、2009
ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003
メイカ ルー「バイアグラ時代」作品社、2009
イヴ・エンスラー「ヴァギナ・モノローグ」白水社、2002
橋本秀雄「男でも女でもない性」青弓社、1998
エヴァ・C・クールズ「ファロスの王国」岩波書店、1989
岸田秀「性的唯幻論序説」文春文庫、1999
能町みね子「オカマだけどOLやってます」文春文庫、2009
島田佳奈「人のオトコを奪る方法」大和文庫、2007
工藤美代子「快楽(けらく)」中公文庫、2006

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