匠雅音の家族についてのブックレビュー      江戸の捨て子たち−その肖像|沢山美果子

江戸の捨て子たち
その肖像
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著者:沢山美果子(さわやま みかこ)   吉川弘文館 2008年 ¥1700−

著者の略歴−1951年、福島県に生まれる。1979年、お茶の水女子大学大学院博士課程人間文化研究科人間発達学専攻修了。博士(学術)。現在、岡山大学、ノートルダム清心女子大学非常勤講師。主要著書「出産と身体の近世」「性と生殖の近世」

 筆者は「出産と身体の近世」などで、江戸時代の性の分野を、丁寧に拾っている研究者である。
セックスをすれば、妊娠し子供ができる。いつの世でも変わらぬ事実である。
江戸時代、子供は労働力であり、親の老後の保障だったから、子供は歓迎された。
しかし、歓迎されない子供もいた。
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江戸の捨て子たち―その肖像

 西洋では女性の身体や貧乏人の生活よりも、<いのち>の大切さが認識され、間引きはきびしく否定されていた。

 なぜ近代以前の西洋では嬰児遺棄がおもで、日本では堕胎・間引きなどの嬰児殺害だったのか、そこにはどのような子ども観、生命観、家族観の違いがあるのか。古代ローマの嬰児遺棄を扱った本村凌二は、その「対照はあまりにも際立っているために、われわれには無視できない論点であるように思われる」と述べている。
 中世後期に日本を訪れたイユズス会宣教師、ルイス・フロイスが注目したのも「ヨーロッパでは嬰児が生まれてから殺されるということは滅多に、というよりはほとんど全くない。日本の女性は、育てていくことが出来ないと思うと、みんな喉の上に足をのせて殺してしまう」(ヨーロッパ文化と日本文化)という、西洋と日本の違いであった。P16


 我が国では、「<いのち>をめぐる近代史−堕胎から人工妊娠中絶へ」でも扱われているように、歓迎されない子供は堕胎という形で処理された。
また、間引きという形で抹殺された。堕胎も間引きも、けっして好んでなされたわけではない。
やむを得ない事情に押されて、仕方なしの選択だった。

 現代では、子供を育てるのは産んだ親たちである。
だから、子供を捨てるのは、人否人であるかのように見られる。
しかし、江戸時代は事情がすこし違った。
もちろん、喜んで捨てたわけではない。
子供に対する見方が違っていたのだ。

 子供を育てるのは親とは限らず、むしろ村全体で育てる、そんな気風があった。
本書は生まれてしまった子供を、育てられなくなったとき、子供を捨てた記録である。

 飢饉などで生活が苦しくなると、自分の生存を優先する。
子供はまた産めばいいのだ。
成人である自分が、生き延びられなければならない。
そして、余裕のある人に育ててもらおう。
これはごく自然な考え方である。

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 飢饉と貧困の二重苦の中で、自分の身を、そしてできることなら子どもも生かそうとするこの親の、とくに母親の姿は、「産む性」であることに翻弄される受身の犠牲者という印象からは程遠い。また「子を捨て我が身を立てる」との言葉は、近代になると「母性愛」という言葉とともに社会に流布していく自己犠牲や献身により子育てをする母親像とも無縁である。P74

 近代になると、男女による性別役割分業がうまれ、女性は子育ての専業者になっていく。
男性に稼ぐことが強制されてように、女性には自己を犠牲にしてまでも、子供を養育するように仕向けられた。
だから、子供を捨てる母親は、人否人と見られるようになったのだ。
しかし、江戸時代の女性は違った。
子供を育てるのが母親とは限らなかったので、自己を犠牲にするという発想がなかったのである。

 現代では、子供を捨てるのは母親と見なされている。
2007年に設置された<赤ちゃんポスト>も、母親を対象にしている。
それにたいして、江戸時代には夫婦相談の上、男性も子供を捨てている。
もちろん捨て子が発覚すれば、刑罰があった。
捨てた本人だけではなく、村の責任者も処罰されている。
つまり、子供を育てるのは、村全体の役割と見られ、母親だけが育てるということではなかった。

 江戸時代は家が生産組織であり、家に属することが生活の道だった。
家に属するということは、構成員を家が守ったということでもある。
そのため、家を作れないような貧しい者は、家の保護がなかった。
家の保護がない女性は、村の若い男性から性的な標的とされた。 

 明治にはいると、捨て子の位置づけが変わってきた。

 明治政府は明治4年(1871)4月には戸籍法を制定する。すべての国民が、戸主と呼ばれる家長によって総括・支配され、家産を相続・維持する「家」に入ると定められたことは、そこから外れる者たちの存在を浮かび上がらせることとなった。戸籍法では、捨て子は「棄児」とみなされる。
 戸籍法の制定とほぼ同時、同じ明治4年の6月、大政宮布達「棄児養育米給与方」が出される。近代の子どもの保護が「棄児」の保護から始まったこと、またそこでは拾う者の存在をうかがわせる江戸の生類憐み令の「捨子」ではなく「棄児」の名称が用いられた点が興味深い。P151


 明治の中頃まで、我が国の離婚率はきわめて高かった。
戸籍法の制定や、婚姻制度の確立などによって、離婚は減っていく。
すると、棄児も減っていった。
「家庭の生成と女性の国民化」でも言うように、この時代に家庭ができて、女性が子育ての専従者になった。
そのため、この時代から女性の行動に、大きな制限が課せられたのである。

 本書はさいごに、映画<誰も知らない>をとりあげ、次のように言っている。

 親や家族や社会制度によって子どもは保護されるべきだとする近代の子ども観によって、言い換えれば、社会的に制度的に保護され、制度のなかに取り込まれることによって子どもたちから奪われてしまったものは何か。『誰も知らない』のなかの子どもたちが、自らの感受性や能力、時に動物的とも言えるような生きるカを最大限発揮しながら自らの力で生きていこうとする姿は、そんなことを問いかけてくる。P181

と言ったあと、次のように言って本書を締めくくっている。

 捨て子は、必ずしも非難されることではなかった。親が、自らの生存のために子どもを捨てることは、やむを得ないこととみなされたのである。江戸後期には、下層の人々のあいだにも「家」存続への願いは強まりつつあった。しかし、その「家」は自立し始めたとはいえ、まだ脆く、夫婦と子どもだけで構成される家族の場合、貧困や飢饉だけでなく、親の死亡、離婚、柑共同体からの追放、生活のための労働によって子どもを育てられなくなる可能性は大きかった。また家族を構成できない未婚の母が生きるために、あるいは非嫡出、乳が出ないといったさまざまな事情で子どもは捨てられた。
 親にとって捨てるという選択は、苦悩を伴うものではあったが、自分も子どもも生き延びるためのやむない選択であり、社会はそのことに許容的であった。捨て子たちは、拾ってもらえそうな時間、場所に、様々なモノを添えて捨てられている。これら捨て子に添えられたモノの数々は、他人の「家」で生きて、その命をつないでほしいという親の願いを物語る。その生命への願いは、捨て子たちの多くが、生後すぐではなく、ある程度育てた後で捨てられていることからもうかがえる。P183


 筆者は捨て子を個人的なモラルに還元しない。
社会のなかで生起してしまう問題としてとらえている。
そして、捨て子から棄児となる近代になって、何がうまれ何が失われたのか、きちんと検証しようとしている。
たんに大学フェミニズムのイデオロギーを振りまわすのではなく、時代のまた社会の構造へと分析をすすめている。
信じて良い数少ないフェミニストの1人だろう。  (2010.5.10) 
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参考:
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信田さよ子「脱常識の家 族づくり」中公新書、2001
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ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」 早川書房、2000
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ウルズラ・ヌーバー「<傷つきやすい子ども> という神話」岩波書店、1997
編・吉廣紀代子「女が子どもを 産みたがらない理由」晩成書房、1991
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瀬川清子「若者と娘 をめぐる民俗」未来社、1972年
赤川学「子どもが減って何が 悪い」ちくま新書、2004
浜田寿美男「子どものリアリティ 学校 のバーチャリティ」岩波書店、2005
本田和子「子どもが忌避される時代」 新曜社、2008
鮎川潤「少年犯罪」 平凡社新書、2001
小田晋「少年と犯罪」 青土社、2002
リチヤード・B・ガートナー「少年への 性的虐待」作品社、2005
広岡知彦と「憩いの家」「静かなたたかい」 朝日新聞社、1997
高山文彦「地獄の季節」 新潮文庫、2001 
マイケル・ルイス「ネクスト」潟A スペクト、2002
服部雄一「ひきこもりと家族ト ラウマ」NHK出版、2005
塩倉 裕「引きこもる若者たち」 朝日文庫、2002
ロイス・R・メリーナ「子 どもを迎える人の本」どうぶつ社、2005
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年
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ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」 とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新 潮文庫、2005
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参 画社会」 洋泉社、2006
小関智弘「おんなたちの町工場」 ちくま文庫、2001
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シンシア・S・スミス「女は結婚すべ きではない」中公文庫、2000
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」 角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、 2004
鹿野政直「現代日本女性史」 有斐閣、2004
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ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」 水声社 2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、 1972
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
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細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、 1980
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赤松良子「新版 女性の権利」岩波書 店、2005
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スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、 1994
井上章一「美人論」朝日文芸文庫、 1995
ウルフ・ナオミ「美の陰謀」TBSブリタニ カ、1994
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、 1994
ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」 中公新書ラクレ、2009
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光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」 草思社、1997
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フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもから の自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
ジェシ・グリーン「男 だけの育児」飛鳥新社、2001
ジュリー・ピークマン「庶民たちのセックス」 KKベストセラーズ、2006
松園万亀雄「性の文脈」雄山閣、2003
ケイト・ミレット「性の 政治学」ドメス出版、1985
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山村不二夫「性技−実践講座」河 出文庫、1999
ディアドラ・N・マクロスキー「性転換」 文春文庫、2001
赤川学「性への自由/性か らの自由」青弓社、1996
佐藤哲郎「性器信仰の系 譜」三一書房、1996
ウィルヘルム・ライヒ「性と文化 の革命」勁草書房、1969
熊沢誠「女性労働 と企業社会」岩波新書、2000
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史  まだ病院がなかったころ」勁草書房、1994
ディアナ・ノーグレン「中絶と避妊の政治学」青木書店、2008
沢山美果子「江戸の捨て子たち」吉川弘文館、2008

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