匠雅音の家族についてのブックレビュー      感じない男|森岡正縛

感じない男 お奨度:

筆者 森岡正縛(もりおか まさひろ)   ちくま新書 2005年 ¥680−

編著者の略歴−1958年高知県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得(倫理学)。現在、大阪府立大学総合科学部教授。生命学・哲学・科学論をテーマとし、人文諸学を大胆に横断しつつ、自らを棚上げすることなく思考を展開している。著書に「生命学への招待」「生命学に何ができるか」(以上、勁草書房)、「生命観を開いなおす」(ちくま新書)、「意識通信」(筑摩書房〉、「宗教なき時代を生きるために」「増補決定版・脳死の人」(以上、法蔵館)、「無痛文明論」(トランスビュー)などがある。

 いくつか同意できるところはあるが、なんと幼稚な感性だろうというのが、正直な読後感である。
岩井志麻子のような女性が、「オバサンだってセックスしたい」で自分の性を語るのとは違って、きわめて観念的で自己完結的である。

 まず、同意点。
射精した後の空虚感には同意する。
女性たちが極上の絶頂感を、長時間にわたり味わっているだろうに対して、男性は射精して終わりである。
射精は一種の排泄行為だという。
相手のあるセックスでは、あまりそう感じないが、マスターベーションでは筆者の言うとおりである。
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 男性の性欲は、虎井まさ衛が「ある性転換者の記録」でいうように、女性とは比較にならないくらいに強い。
しかし、その性欲も、射精によって雲散霧消してしまう。
もちろん、時間がたつと、性欲も復活する。
男性の性欲とは、一種の排泄欲でもある。
そのため、女性のように目眩く絶頂感など、感じようもないのだ、と筆者は言う。
 
 女の前できちんと勃起できるのか、そして女を感じさせることができるのか。これが男に課せられた試練である。それを上手にやり遂げることで、男は自尊心を持つことができ、自己肯定できる仕組みになっている。だから、射精後にいくら空虚感が襲ってきたとしても、そのとき男の頭の中は、自分が男らしく上手にセックスできたのか、女を満足させることができたのかということでいっぱいなのであり、「男の不感症」のことなど深く掘り下げる余裕すらないのである。こうやって、「男の不感症」などという問題は、いつのまにか、男たちの意識の外へと消え去っていくのである。P37

 岩井志麻子は、アジアの男性は男性上位一本槍で、女性へのサービスは極小だという。
女性を感じさせることよりも、自分が感じるほうに必死かも知れない。
とすると、筆者のメンタリティは、一般化できないではないか。

 筆者は射精と性的快感を、同じものと考えているようだ。
両者は近いが、射精しても快感がないときもあるし、射精しなくても快感があるときもある。
筆者は通俗的な男性のセックス観に、汚染されている感じがする。
もともとセックスは脳がすると言われているように、観念こそ快楽の源泉なのだ。

 ポルノをポルノたらしめているのは、女を傷つけることだという。
ポルノは女性から人間性を奪い、性の道具に貶めるための男性の発明だという。
たしかに、男性の快感と女性の快感は違うし、男性のそれは貧弱にも見える。
また両者は、絶対に入れ替わって体験できないものだ。
しかし、男女は補完的ではあれ、対立するものでもないように思う。

 ポルノを、アンドレア・ドウォーキンの「インターコース」のように言うのは、タライの水と一緒に赤子を流してしまうようなものだ。
ドウォーキンやマッキノンのポルノ論は、フェミニズムのなかでも最悪の論である。
カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」やシャノン・ベル「売春という思想」のフェミニズムを学ぶべきである。
当サイトのポルノ論は、「遡及的想像力」を参照してください。

 制服や学校へのファンタジーにいたっては、ちょっとボクの理解をこえる。

 私の場合は、社会人として働いている少女たちの制服には、それほど性的には惹かれないと思われる。彼女たちの姿を見たとき、たしかにかわいい女の子だなとは感じるとしても、セーラー服やブレザーを見たときのあの清涼感やゾクゾク感を、そこに感じることはないだろうと思うのである。その理由は、やはり、彼女たちの制服の向こうに、「学校」を透かし見ることができないからではないか、と私は思ってしまうのである。
 以上をまとめてみよう。
 セーラー服やブレザーを着た少女に、清涼感やゾクゾク感を感じるのは、私がその向こうに、「学校」を透かし見ているからである。すなわち私にとって、制服萌えとは、学校萌えの別名なのである。P77


 世の中には制服への憧れがあるらしいが、学校なんて、そんなに良いものじゃないだろう。
筆者は成熟した女性の良さは感じないのかと思っていると、ロリコンが好みなのだと展開していく。
巷間にロリコンがあふれるのは、必然性があり、筆者もロリコンを肯定していく。
そして、ロリコンとは子供から女性に変わる境目の年齢を、性的に愛する心性だという。

 ロリコンは一般に、成熟しきれない男性が、幼児性をもった女性イメージに憧れるものといわれる。
つまり、マザコンがロリコンの原点だというわけだ。
しかし、筆者は、母親から自立するための心理的な回路だという。
  
 ロリコンの男の心の中の、もっとも深い部分にひそんでいるのは、いまや排卵可能となった少女へと誰よりも早く精液を流し込み、自分の精子と少女の卵子で子どもを妊娠させたいという欲望なのではないか、と私は考えている。では、仮にそうだとして、そこからは、いったい誰の子どもが生まれてくるのであろうか。
 もう一度、考えてみよう。
 私は、目の前の少女に、何を見ているのか。
 その答えはすでに明白だ。私は、目の前の少女の体に、ほかならぬ自分自身の姿を見ているのだ。P138


 自分の精子と、少女の卵子で、新たな生命をつくる。
その生命は母親とは無関係だから、そこで母親離れができるのだという。

 本書は日本女性学会で発表したものをもとに、筆者自身の個人的な体験を描き直したものである。
つまり、筆者自身の性的な感覚を、あけすけに暴露したものに他ならない。
心情吐露する自分を学者だ、というのもスゴイと思うが、体験を相対化しないで、そのまま心情吐露してしまうのもスゴイ。
幼児性もここに極まったと言うべきだろう。
こんなメンタリティで、筆者は女性にもてるのだろうか?

 あとがきに、ちくま新書に持ちこんだとあるから、持ちこまれた編集者たちも、筆者の論に一般性を感じたのだろう。
本書が世にでる背景に、創造力や知力の低下を感じた。
教える方がこれでは、教えられる方も幼稚化するのは当然である。
 (2010.11.2) 

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参考:
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、 1972
フランチェスコ・アルベローニ「エロティシズム」中央公論 1991
ジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」ちくま学芸文庫、2001
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1995
アンドレア・ドウォーキン「インターコース」青土社、1989
カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995
シャノン・ベル「売春という思想」青弓社、2001
シャノン・ベル「セックスワーカーのカーニバル」第三書館、2000
アラン・コルバン「娼婦」藤原書店、1991
曽根ひろみ「娼婦と近世社会」吉川弘文館、2003
アレクサ・アルバート「公認売春宿」講談社、2002
バーン&ボニー・ブーロー「売春の社会史」筑摩書房、1991
編著:松永呉一「売る売らないはワタシが決める」ポット出版、2005
エレノア・ハーマン「王たちのセックス」KKベストセラーズ 2005 
高橋 鐵「おとこごろし」河出文庫、1992
正保ひろみ「男の知らない女のセックス」河出文庫、2004
ロルフ・デーゲン「オルガスムスのウソ」文春文庫、2006
ロベール・ミュッシャンプレ「オルガスムの歴史」作品社、2006
菜摘ひかる「恋は肉色」光文社、2000
ヴィオレーヌ・ヴァノイエク「娼婦の歴史」原書房、1997
ジャン・スタンジエ「自慰」原書房、2001
ジュリー・ピークマン「庶民たちのセックス」KKベストセラーズ、2006
松園万亀雄「性の文脈」雄山閣、2003
ケイト・ミレット「性の政治学」ドメス出版、1985
謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960
山村不二夫「性技−実践講座」河出文庫、1999
ディアドラ・N・マクロスキー「性転換」文春文庫、2001
赤川学「性への自由/性からの自由」青弓社、1996
佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1996
ウィルヘルム・ライヒ「性と文化の革命」勁草書房、1969
田中貴子「性愛の日本中世」ちくま学芸文庫 2004
ロビン・ベイカー「セックス・イン・ザ・フューチャー」紀伊國屋書店、2000
酒井あゆみ「セックス・エリート」幻冬舎、2005  
大橋希「セックス・レスキュー」新潮文庫、2006
アンナ・アルテール、ベリーヌ・シェルシェーヴ「体位の文化史」作品社、2006
石川弘義、斉藤茂男、我妻洋「日本人の性」文芸春秋社、1984 
石川武志「ヒジュラ」青弓社、1995
村上弘義「真夜中の裏文化」文芸社、2008 
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1994
岩永文夫「フーゾク進化論」平凡社新書、2009
ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003
メイカ ルー「バイアグラ時代」作品社、2009
イヴ・エンスラー「ヴァギナ・モノローグ」白水社、2002
橋本秀雄「男でも女でもない性」青弓社、1998
エヴァ・C・クールズ「ファロスの王国」岩波書店、1989
岸田秀「性的唯幻論序説」文春文庫、1999
能町みね子「オカマだけどOLやってます」文春文庫、2009
レオノア・ティーフアー「セックスは自然な行為か?」新水社、1988
井上章一「パンツが見える」朝日新聞社、2005
吉永みち子「性同一性障害」集英社新書、2000
三橋順子「女装と日本人」講談社現代新書、2008
宮崎留美子「私はトランスジェンダー」株)ねおらいふ、2000
虎井まさ衛「ある性転換者の記録」青弓社、1997
杉山文野「ダブルハピネス」講談社、2006
上川あや「変えてゆく勇気」岩波新書、2007
岩井志麻子「オバサンだってセックスしたい」KKベストセラー、2010
森岡正縛「感じない男」ちくま新書、2005

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