匠雅音の家族についてのブックレビュー   古代ギリシアの女たち|桜井万里子

古代ギリシアの女たち
アテナイの現実と夢
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筆者 桜井万里子(さくらい まりこ)   中公文庫 2010(1992)年 ¥781−

編著者の略歴−1943年、東京都生まれ。東京大学大学院人文科学研究科西洋史学専門課程修士課程修了。東京学芸大学教育学部教授、東京大学大学院人文社会系研究科教授を経て、東京大学名誉教授。専門は古代ギリシア史。主な著書に『世界の歴史5』(共著 中央公論新社)、『古代ギリシア社会史研究−宗教・女性・他者』(岩波書店)、『ソクラテスの隣人たち−アテナイに於ける市民と非市民』『ヘロドトスとトゥキディデス−歴史学の始まり』(ともに山川出版社)、訳書に『リュシアス弁論集』(共訳注、大学書林) など。
 1992年に初版が上梓されている。
古代ギリシャの女性に焦点を当てた著述は、我が国では本書が初めてだという。
1989年にはエヴァ・C・クールズの「ファロスの王国」などが出ているが、我が国では関心を持たれなかったようだ。
まず、女性が古代ギリシャの歴史などに、興味を示さなかっただろう。
そのうえ、女性が歴史の表舞台に出ていない。
だから、女性に焦点を当てること自体が、ほとんどなかったに違いない。

 本書が日の目を見るようになったのは、何よりも女性の研究者が誕生したからだ。
古代ギリシャの女たちが、いかに魅力的であっても、現在の女性が興味を示さなければ、研究は始まらない。
遅ればせながら、やっと女性も研究者になった。
しかし、女性の研究者が、女に興味を向けてしまうのは、何だか残念な気もするのだが…。
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 女性が女性を研究するのは、研究者と研究対象との間が近すぎないだろうか。
筆者は記録が男性の手になると嘆いている。

 それまでの研究は、男によって書かれ、作られた史料に基づいて女の実態を解明しようとしていた。史料に見いだされる女性像は、男の眼が捉えた、あるいは男によって作り上げられたそれであった。そもそもの出発点である史料にこうした偏向がある以上、その史料をそのまま用いた研究に歪みが生ずるのは当然といえよう。P20

 この嘆きを反対に言えば、女性の書いたものがあれば、女性の歴史が正確に書かれるというのだろうか。
そんなことはないだろう。
誰が書こうが、事実は事実だし、歴史の必然は必然である。
ギリシャで女性がなぜ政治に参加しなかったのか、それが問われる。
おそらく、女性が参加すれば、他の国との戦争に負けるから、女性は排除されたのだ。

 現在から見れば、女性が劣位におかれたように見える。
確かに、参政権もなく、契約の主体にもなれないとなれば、女性は不幸だったように感じる。
しかし、政治的な権利を持つことと、人間の幸福感は違う。
言葉は悪いが、<身の楽は下郎にあり>も、また事実なのだ。
戦争で殺されるより、家庭にいることを選ぶ道もありだ。 

 上記のように言ったからといって、女性を蔑視しているわけではない。
境界線は男女の間に引かれていたのではなく、国家間に引かれていた。
戦争に負けることは、けっして男性の運命を決めたでけではない。
アテナイが戦争に負ければ、アテナイの女性たちにも悲劇が襲ったのだ。
この事実は、いつの時代にも変わらない。
だから、平塚らいてうも市川房枝も戦争を賛美したのだ。

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 アテナイはまた、古代民主政を徹底したかたちで実現させたポリスであった。古代民主政はもちろん近代の民主主義とは質的に異なる。それは男性市民というごくかぎられた一部の人間のあいだで実現し、実践された政治体制であった。市民の母や妻である女たちは、この民主政からは排除されていた。アテナイの政治も文化もあくまでも男性市民中心に築かれていたのである。
 アテナイには多数の奴隷がおり、市民に代わって、あるいは市民とともに生産労働に従事していた。商品として買い入れられた奴隷は、主人の所有物であって、その運命も主人の意向次第という、自由を奪われた存在だった。P24

 
 現代の目で、歴史を裁いてはいけない。
奴隷のいることが悪いことのように書かれている。
しかし、人間はみな平等とか、基本的な人権があるなどという考え方は、つい最近できたのだ。
人間は神様に創られたもので、神様の意志が支配を支えていた。

 王権神授説は中世のものかも知れないが、時代を遡るほど、人智は小さくなっていく。
そして、自然は偉大になり、神の力は大きくなる。
人間も生まれや身分によって序列されていた。
そして、農業が主な産業だったから、何より屈強な肉体が優位だったのだ。

 古代ギリシャでは、市民の妻になった女性は、家庭内の仕事に従事し外出することはなかった。
そして、男性たちが自宅で饗宴を開くときでも、客の前に出ることはなかった。
現代的な目から見れば、何という差別だと思うだろう。
しかし、当時の市民とは、背広を着た紳士達ではない。
手の皮はゴツゴツし、農作業の臭いを体中から発散させていたのだ。

 それに対して、女性達は家のなかで香料にサフラン、甘いものを食べ、優雅に暮らしていた。
彼女たちが生活の糧を稼ぐことは下品であり、わずかに針仕事と家庭内の維持が役割だった。
現在の男女平等観から見ると不可解かも知れないが、過去の女性たちは自由より優雅な生活を選んだかも知れないのだ。

 現在の女性であれば、女性も農作業をするから、自由が欲しいと言うだろう。
現代社会においては、完全な男女平等が実現されるべきだと思う。
女性の政治家もありだし、女性が経営者になっても良い。なるべきだ。
そして、戦争になれば、女性も前線で闘うべきだ。
男女別の更衣室もトレイも反対である。
出産を除いて、性別による役割分担などもっての他である。
当サイトは男女に対して、完全に同じ対応を正しいものと考えている。
しかし、現代の価値観で、歴史をみることは慎みたいと思う。 (2011.1.20)
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参考:
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永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000
高見澤たか子「「終の住みか」のつくり方」集英社文庫、2008
矢津田義則、渡邊義孝「セルフ ビルド」旅行人、2007
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
増田小夜「芸者」平凡社 1957
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
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宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
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瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
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平山洋介「住宅政策のどこが問題か」光文社新書、2009
松井修三「「いい家」が欲しい」三省堂書店(創英社)
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田川建三「イエスという男」三一書房、1980
石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
北見昌朗「製造業崩壊」東洋経済新報社、2006
小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000
ジル・A・フレイザー「窒息するオフィス」岩波書店、2003
三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992

ミシェル・ペロー編「女性史は可能か」藤原書店、1992
桜井万里子「古代ギリシアの女たち」中公文庫、2010

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