匠雅音の家族についてのブックレビュー   ウーマンリブがやってきた|佐藤文明

ウーマンリブがやってきた
70年代・目覚めはじめた男たち
お奨度:

筆者 佐藤文明(さとう ぶんめい) インパクト出版会 2010年 ¥2400−

編著者の略歴−1948〜2011年 東京都南多摩郡日野町生まれ。フリーランス・ライター、戸籍研究、多摩史研究、批評者。新宿区職員(戸籍係)を経てフリーに。1979年、〈私生子〉差別をなくす会、1982年、韓さん一家の指紋押捺拒否を支える会を結成。代表作はロングセラーとなっているFORBIGINNERSシリーズ『戸籍』(1981年・現代書館)著書に『お世継ぎ問題読本』(2007年・緑風出版)『未完の「多摩共和国」』(2005年・凱風社)『戸籍って何だ(増補改訂版)』(2010年・緑風出版)『在日「外国人」読本(三訂版)』(2009年・緑風出版)『〈くに〉を超えた人びと』(1997年・社会評論社)などがある。
 本書関連情報はhttp://www2s.biglobe.ne.jp/~bumsat/ 

2011年1月3日、筆者は他界してしまった。
同じようなスタンスで、しかも同じ年齢だったので、早い死にがっかりしている。
生前に一度会っておけば良かったと、微かながらセンチメンタルになる。
本書でも書いているが、筆者は思想や思考の人ではなく行動の人だった。
筆者の軌跡は、余人の及ぶところではなく、充分に輝くものだった。
本サイトでも、「戸籍がつくる差別」を採り上げている。

 サブ・タイトルに、70年代と入っているが、男が目覚めはじめたのは60年代末からである。
1968年のパリ5月革命と同種の問題意識は、我が国の学生運動に薄かったが、それでも同時代の感覚はあった。
すでに学生運動にかかわっていたボクには、学生運動のなかの男尊女卑的な雰囲気が嫌で嫌で仕方なかった。
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 男子学生が街頭闘争、女子学生が救対(逮捕・起訴された者への救援対策)や食事当番といった、性別による役割分担がまかり通っていた。
それに違和感を感じていたボクのような男もいたのだ。
カントはかく考える」を書いたのは70年を過ぎてだが、60年代の終わりには、すでに男尊女卑に嫌悪の感覚をもっていた。

 筆者も60年代末には、当時主流だったマルキシズムに違和感を感じ始めている。
筆者とボクは、ほとんど同じような生活軌跡を辿ったが、筆者は一貫して運動へとかかわっていく。
筆者は法政の学生であると同時に、新宿区役所の戸籍係でもあった。
そのためもあって、戸籍制度の犯罪性に目覚めていったのだろう。

 筆者は女性解放運動とかかわったから、本書のようなタイトルが付いたのだろうか。
女性運動に啓発されたという。
しかし、女性運動が先端的だったわけではない。
むしろ、我が国の女性運動は、ウーマンリブをふくめて女性であることに拘っていた。
そんななか、次のような道もあったのだ。

 性解放の運動とは既存の世界による新参者差別、若者を半人前扱いし、社会の片隅に押しとどめようとする差別と抑圧の構造からの解放、大人たちが作り出したとする既存の価値基準への挑戦であった。性とは世代間の対立がもっとも鮮明に現れる前線なのである。そしてこの闘いもまた、自らの営みそのものを新たな価値として打ち立てようとするものであり、決して一人前の成人として認めてもらおうとするものではなかった。P19

 しかし、我が国ではどうしたわけか、性の解放が謳われることはなかった。
ウーマンリブも女であることに拘り、女だけで閉じこもっていた。

 我が国では、共産党のハウスキーパー的男女感覚か、かぐや姫が歌う神田川のどちらかがあっただけで、性的な抑圧からの解放とはならなかった。
共産党は論外だが、神田川も一夫一婦制の枠を出るものではなかった。
法律婚は否定しながら、筆者もボクもそれは同じである。

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 一夫一婦制的に1人の男と女が対を作るのが正しく、性的な関係だけを求めて、次々と相手を替えることは否定されていた。
性的な関係だけを求めるには、当時の我が国には、男女ともに1人で生きていく土壌がなかったのだろう。
就職といっても保証人が必要だったし、女性の働き口は少なかった。

 高度成長の真っ盛りだった我が国は、肉体労働から事務職へ転じることが、最高の人生行路と考えられていたのだろう。
大学を卒業したら、大企業に就職することが、憧れであり当たり前でもあったのだ。
だから、政治的には左翼でも、日常生活はきわめて保守的だったのだ。
残念ながら、西洋的な意味で、性と正面から向き合う姿勢はなかった。

 法律として民法や戸籍法を扱う者は多いが、戸籍の研究者は少ない。
ましてや現在の問題として、戸籍を扱う者は本当に少ない。
筆者は女性運動にかかわったが、それ以上に戸籍の犯罪性を克明に知らしめた。

 現在の民法では、配偶者の相続分は1/2だが、1980年以前は1/3だった。
民法が改正されて配偶者の取り分が増えた。
法律上の妻がより強く保護され、一夫一婦制が強化されたのだ。
その時に、嫡出児と非嫡出児の相続分を同じにするという後段が検討されたが、婦人たちの反対で否決されたという。

 社会党の政策審議局に「後段反対」の理由を聞きにいった。すると「党としては試案受け入れだったのですが、婦人部が反対で、後段は見送りにせざるを得ない」ということだった。共産党にも同様の歯切れの悪さがあり、ぼくはここに戦後の婦人運動の限界を見た。
 女性運動ではなく婦人運動、すなわち夫を持つ妻の権利拡張運動だったのである。しかし、妻という女の権利は妻でない女の権利と村立する。この構造を変えない限り、婚外子差別を一掃するわけにはいかないのだ。P140


 多くの女性団体から、民法改正への対応を間違えたとの反省があったので、我が国の婦人団体は女性団体に脱皮したと筆者は言う。
しかし、ボクは我が国の女性運動は、いまだに結婚指向をしていると思う。
結婚して男女が平等な家庭を築く、これが女性運動である。
ここには女性が個人として自立する発想は希薄である。

 筆者には<単家族>という概念を知って欲しかった。
単家族こそ、筆者が思い描いていた男女関係を実現できる基礎なのだ。
運動のなかで思考していた筆者だが、思想も現実を読む力があるのだ。 

 筆者はゲイについて、次のようなことを書いている。

 1980年12月のはじめ、ぼくは新宿のとあるスナックにいた。ホモ・セクシュアルの解放を訴えていた『薔薇族』の編集長・伊藤文学が主宰する出会いのためのスペースである。このスペースをぼくは『週刊サンケイ』(1981年1月29日号)で、こう表現している。
 「その店の客は真っ二つに分かれていた。半分はいかにも学生で、まだ高校生ほどにしか見えぬ者もいる。彼らは互いにスズメのようにしゃべっては笑い転げている。
 残りの半分は、働き盛りをすぎ、安定した余裕を感じさせる中年。ドツカと腰を下ろし、言葉もなくグラスを傾けている。目だけがときどき若者たちの上をはうだけだ」。P150


 これをゲイというのだろうか。
これは少年愛とか男色と呼ばれるものだろう。
いささか時代の制約性を感じる。

 2008年1月1日に、韓国が戸籍制度を廃止して、家族関係登録制に移行したことは触れられている。
その箇所で、韓国が二重国籍の容認に踏み切ったと書かれている。
初めて知ったが、これは画期的なことだ。
我が国は国籍選択制を採用しており、あきらかに韓国に後れをとった。
グローバル化する今後、二重国籍を認める方向へ行くだろう。
 もう少し生きていて欲しかった。   (2011.3.17)
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参考:
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
越智道雄「孤立化する家族」時事通信社、1998
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
賀茂美則「家族革命前夜」集英社、2003
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997
黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
E・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、1970
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
ジョージ・P・マードック「社会構造 核家族の社会人類学」新泉社、2001
S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001
石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002
マーサ・A・ファインマン「家族、積みすぎた方舟」学陽書房、2003
上野千鶴子「家父長制と資本制」岩波書店、1990
斎藤学「家族の闇をさぐる」小学館、2001
斉藤学「「家族」はこわい」新潮文庫、1997
島村八重子、寺田和代「家族と住まない家」春秋社、2004
伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004
山田昌弘「家族のリストラクチュアリング」新曜社、1999
斉藤環「家族の痕跡」筑摩書房、2006
宮内美沙子「看護婦は家族の代わりになれない」角川文庫、2000
ヘレン・E・フィッシャー「結婚の起源」どうぶつ社、1983
瀬川清子「婚姻覚書」講談社、2006
香山リカ「結婚がこわい」講談社、2005
山田昌弘「新平等社会」文藝春秋、2006
速水由紀子「家族卒業」朝日文庫、2003
ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河出書房新社、2004
川村邦光「性家族の誕生」ちくま学芸文庫、2004
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001
菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」すばる舎、2005
原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003
A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998
ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001
中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005
匠雅音「性差を越えて 」新泉社、1992
イヴァン・イリイチ「シャドー・ワーク」岩波書店、1982
イヴァン・イリイチ「ジェンダー」岩波書店、1984
佐藤文明「ウーマンリブがやってきた」インパクト出版会、2010

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