匠雅音の家族についてのブックレビュー   キリスト教と同性愛 1〜14世紀西欧のゲイ・ピープル|ジョン・ボズウェル

キリスト教と同性愛
1〜14世紀西欧のゲイ・ピープル
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筆者 ジョン・ボズウェル    国文社 1990年 ¥7000−

編著者の略歴−1947年ポストンの生まれ、ハーバード大学で博士号修得後イエール大学の助教授、準教授をへて、1982年から歴史学教授、84年から学部長の任にある。本著で、1981年の全米図書賞(歴史部門)を受賞している。

 ラビ記などを持ちだして、キリスト教は同性愛を否定しているというのが、一般的な定説である。
しかし、本書はキリスト教は同性愛を否定しておらず、世俗のほうが同性愛を否定したと言いたいようだ。
一度、ある価値観を否定する時代を潜ってしまうと、それ以降の歴史は、それ以前の歴史まで改ざんしてしまうのは確かだろう。

 現在語られる歴史は、かつてあった時代にそのまま残っているわけではなく、現在の価値観で描き直されたものだ。
たとえば天皇の位置付けだって、戦前は神のように強くて全能だったから、天皇が戦闘的な武人であることは矛盾しなかった。
しかし、平和憲法の時代になって、いつの間にか天皇は平和主義者になってしまった。
軍部や宮内庁のとりまきが、戦争に引きずり込んだというわけだ。

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 筆者は語学の達人らしい。
ギリシャ・ラテン語はもちろん、ヘブライ語からアラビア語まで操るようだ。
これは羨ましい。
筆者はギリシャやローマでは、同性愛という観念がなかったという。
また、歴史をつうじて、同性愛史のほとんどが男性に関するもので、女性に関する者はきわめて少ないという。
しかし、筆者はゲイ・ピープルという言葉を使うことによって、女性同性愛も含めている。

 まず聖書の扱いについて、次のように言う。

 ある聖書の章句が、同性愛行動に対する西欧人の態度に及ぼしたと思われる影響について考察する際、聖書とは、道徳的権威をもつものと認められた文書の首尾一質した集成を内容とする単一の書物である、とする観念をまず捨て去る必要がある。(中略)
 聖書は、初期キリスト教倫理の唯一のどころか主要な典拠でさえなかったし、同性愛に関連するとされている聖書の章句も、同性愛に対する初期キリスト教徒の疑念とはあまり関係がなかった。影響力のある神学者で、今日同性愛行動を非難するものだと主張されている新約聖書の章句にもとづいて同性愛の習慣に反対した者はきわめてまれであったし、反対した者にしても、主に彼ら自身の権威にもとづく議論の援護として、そうした章句を引き合いに出したにすぎない。そのうえ、初期キリスト教徒のあいだの同性愛関係を無条件に禁止する言葉が聖書には一つも見られないことは歴然としている。誤解を招く英語訳にもかかわらず、聖書には、「同性愛」という言葉が存在しないのである。P109


といって、まず聖書の有効性をグッと下げてしまう。


 旧約聖書のなかで、同性愛行為に言及しているのは「レビ記」だけであり、キリスト教徒の大半がユダヤ人ではなくなっていた。
そのため、「レビ記」は隠喩であり、道徳的な拘束力もつと考える者は皆無に近かったという。
それが証拠には、キリスト教徒は割礼もしなければ、豚も海老も食べるではないか、というのが筆者の論である。

 同性愛という概念は、聖書の中には見あたらず、新約聖書はむしろ欲望一般を否定していると筆者はいう。
姦淫、マスターベーション、あげくの果てには夫婦間のセックスすら、快楽だから過度にわたってはいけないと言うわけだ。
キリスト自身はむしろ快楽主義者のように感じるが、後のカソリック教会が禁欲に走ったのだろう。

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 筆者はキリスト教は同性愛を禁止するものではなく、むしろ市民法が同性愛を禁止したという。
 
 13世紀以前に成立した同性愛行為に反対する少数の法律は、ほとんど例外なく世俗権力によって制定されていて、教会からの忠告や支持をなんら受けていない。時折脅迫の下で、教会会議や教会当局がこのような法律の制定を承認することもあったが、正統な教会の記録には刑罰がまったく記されないか、非常に緩やかなものが記載される程度であった。問題の市民法がしばしば聖職者目当てであったという事実が、こうした傾向に大きな役割を果たしたのは明らかである。P186

 本書をつうじて、筆者はキリスト教と同性愛との関係を切断しようと必死である。
初期キリスト教徒にはゲイ・ピープルに対する偏見もなかったし、敵対的な行動も取らなかった。
あくまで世俗的な市民たちが、同性愛を嫌悪したのであり、キリスト教は同性愛には無関係だったという。
 
 1150年から1350年までの200年間に、ひとびとの眼には同性愛行為は、俗謡で諷刺されたり喧伝されたりした富裕な少数派の個人的嗜好から、危険で反社会的な、ひどく罪深い非行へと変化したように見える。1100年ごろでは、教皇から好まれ尊敬された優秀な聖職者たちの努力をもってしても、現に同性愛的な生活スタイルを送っていることで有名なある人物が、司教として推挙され叙任されることを妨害することはできなかった。その当時の民衆文学でしばしば司教や司祭によって書かれたもののうちの大半は、ゲイの愛やゲイの生活スタイルや目立ったゲイ下位文化を取り扱っていた。1300年までには、あからさまなゲイ文学はヨーロッパの表層部からはほとんど消滅したばかりでなく、ただ1回の同性愛行為すら、当事者のいかなる聖職叙階をも決定的に不可能にし、教会における訴追にさらし、あるいは−多くの地域で−死刑に値するとされる十分な理由となったのである。P298

 中世までのキリスト教と同性愛が関係なかったという話は、信じても良いように感じる。
というのは、キリスト教にはホモ行為を、禁止しなければならない内的な必然性がないのだ。
嫡出以外の子供の誕生を認めたくなかったので、むしろ男女間の姦淫を禁止したかったのだろう。

 年齢秩序の厳しかった時代には、男色は一種の文化の伝達方法として、どんな社会でも認めていた。
とすれば、キリスト教が固有にホモ行為を禁止する必然性はない。
むしろ、本書がいうように、近代の目覚めによって合理的な発想が生まれ、年齢秩序が崩壊過程に入ってから、世俗の世界でホモ行為を嫌悪し始めたのではないか。

 訳者あとがきに、フーコーの言葉が引用されている。

 同性愛の弾圧と呼ばれるものがキリスト教時代とともに始まったのではなく、キリスト教時代の進行に伴ってもっと後世に始まったことを、ボズウェルに発見させたのである。P601

 おそらく筆者もゲイだと思われるが、西欧のゲイたちにとっては、キリスト教との関係は大問題なのだろう。
日本人のゲイにはどうでもいい話だが、キリスト教とホモフォビアが無関係なら、キリスト教徒がエイズになっても、安心してキリスト様にすがれるではないか。

 622ページという大部だが、本文は333ページまでで、以降は注という構成である。
しかも7000円という定価で、誰が買うのだろうか。   (2011.6.1)
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参考:
早川聞多「浮世絵春画と男色」 河出書房新社、1998
松倉すみ歩「ウリ専」英知出版、2006年
ポール・モネット「ボロウド・タイム  上・下」時空出版、1990
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛 鳥新社、2001
伊藤文学「薔薇ひらく日を 薔薇族と 共に歩んだ30年」河出書房新社、2001
モートン・ハント「ゲイ:新しき隣 人たち」河出書房新社、1982
リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」 筑摩書房、1996

尾辻かな子「カミングアウト」講談社、 2005
伏見憲明+野口勝三「「オカマ」は差別か」 ポット出版、2002
顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000
及 川健二「ゲイ パリ」長 崎出版、 2006
礫川全次「男色の民俗学」 批評社、2003
伊藤文学「薔薇ひらく日を」河出書房 新社、2001

リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」 筑摩書房、1996
稲垣足穂「少年愛の美学」河出 文庫、1986
ミシェル・フーコー「同性愛と生存の美学」 哲学書房、1987
プラトン「饗 宴」岩波文庫、1952
伏見憲明「ゲイという経験」ポット出 版、2002

東郷健「常識を越えて オカ マの道、70年」 ポット出版、2002
ギルバート・ハート「同性愛のカルチャー研究」 現代書館、2002
早川聞多「浮世絵春画と男色」 河出書房新社、1998
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛 鳥新社、2001
神坂次郎「縛られた巨人」 新潮文庫、1991
風間孝&河口和也「同性愛と異性愛」 岩波新書、2010
匠雅音「核家族か ら単家族へ」丸善、1997
井田真木子「同性愛者たち」文芸春秋、1994
編ロバート・オールドリッチ「同性愛の歴史」東洋書林、2009
ミッシェル・フーコー「快楽の活用」新潮社、1986
アラン プレイ「同性愛の社会史」彩流社、1993
河口和也「クイア・スタディーズ」岩波書店、2003
ジュディス・バトラー「ジェンダー トラブル」青土社、1999
デニス・アルトマン「ゲイ・アイデンティティ」岩波書店、2010
イヴ・コゾフスキー・セジウィック「クローゼットの認識論」青土社、1999
デニス・アルトマン「グローバル・セックス」岩波書店、2005
氏家幹人「武士道とエロス」講談社現代新書、1995
岩田準一「本朝男色考」原書房、2002
海野 弘「ホモセクシャルの世界史」文芸春秋、2005
キース・ヴィンセント、風間孝、河口和也「ゲイ・スタディーズ」青土社、1997
ギィー・オッカンガム「ホモ・セクシャルな欲望」学陽書房、1993
イヴ・コゾフスキー・セジウィック「男同士の絆」名古屋大学出版会、2001
スティーヴン・オーゲル「性を装う」名古屋大学出版会、1999
ヘンリー・メイコウ「「フェミニズム」と「同性愛」が人類を破壊する」成甲書房、2010
ジョン・ボズウェル「キリスト教と同性愛」国文社、1990

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